すべては勘違い、という深いおはなし

パニック障害などの神経症をお持ちのかたで、ヨガや仏教にすこし興味や縁があるひとに、ぜひオススメしたい本です。

心がスーっと軽くなる本

 

パニック障害の本ではなくて、ヨガの考え方の本です。

具体的なアサナとか呼吸法のことは、最後にすこし書かれているだけで、ほとんどはベースとなる「考え方」のところを、わかりやすく書いてくれています。

 

とにかく、文章がすごく読みやすいのですよ。

インド哲学や仏教思想の、あのひじょうに難解な考え方が、

「なんだ、そういう意味だったのか」

と、まさに「スーっと」入ってきます。

文章力って、ほんとに大事だなあと思いました。

 

ああ、いますぐに、死ぬかもしれない。

心臓や脳の病気で、突然死するかもしれない。

私はいま、ひじょうに苦しい。

こういったパニックの症状について、この本を読み、練習すると、こう思えるようになるかもしれません。

 

 

 

ぜんぶ、勘違いだ。

 

 

 

じっさい、勘違いなんですよね。

脳や心臓の病気ではないですし、今すぐ死ぬというのも、まちがい。

「ほんとうではないこと」を「ほんとうである」と思い込み、それに振り回される。

これがパニック障害です。

しかしパニック発作を起こしている人に、

「それ、勘違いだから」

なんてことを言うと、たぶんキレると思います。

こんなに明確な症状の、どこが勘違いなんじゃあ!!!!

って。

 

「ほんとうではないこと」を「ほんとうである」と思い込む。

これはじつは、パニック障害などの神経の病気だけに、見られることではないのですね。

あらゆる悩み、苦しみというのが、じつは勘違いが原因になっているそうなのです。

脳は、空想さえも、現実と思い込む特性がある。

この原理を応用した(?)ものの最たるものが、パニック障害なのでしょう。

 

パニック障害が、治るかどうか。

いったんそれは置いておいて、もうすこし広範に考えてみる。

「悩みや苦しみの原因は、なにか」

このことが、この本に書かれています。

 

なかなか深いことなので、ここでは書ききれませんので、ぜひ読んでいただければと思いますが、この本のなかでとても気に入っている言い回しがあります。

 

ネコは目を閉じるたびに、世界が暗くなると思っている

 

「わたし」「ほんとうのわたし」という存在論のようなことを、この一言で言い表しているのですが、なるほどな!と思いました。

 

発作をおこしているとき、ぼくは「心臓がとまる」と思っています。

でもほんとうは心臓は止まりませんし、むしろ心臓にはいっさいの問題がありません。

 

「私が認識していること」は「勘違い」である。

ネコが、まばたきのたびに世界が暗くなると思っているのと、全く同じことなのですね。

「私の認識」だけから事象の解釈をしていくと、ぜんぜん誤った認識をする、ということ。

 

「私は、私の肉体のことである」

「私は、私のこころのことである」

この勘違いから、すべての苦悩がうまれているというのです。

じっさいは、私の肉体は、私本体ではありません。

私のこころは、私本体ではありません。

私の名前が、私自身ではないように、わたしの髪の毛が、私自身ではないように、私の肉体は「私に属するもの」ではあるが「私自身」ではない。

私のこころは、「私に属するもの」ではあるが「私自身」ではない。

一瞬、なにゆーとねん、という感じですが、よくよく落ち着いて考えたら、これはものすごいことを言っている。

パニック障害の本質というところに、グググ、っと迫っているように思うのです。

 

ほんとうの私とは、なにか。

たとえば、友達から、LINEがきた。

「いま、なにしてる?」

私は、答えた。

「いま、映画みてる」

 

この瞬間「映画を見ている私」という存在に、気づいている主体が「ほんとうの私」。

いっぽう、感動した、面白い、つまらない、そんな感想を持っている状態は、じつは「私ではない」

それらは、じつは「私の心の作用」であり「私の心の反応」にすぎない。

…っていう。

 

同様に、怒っているのは、私が怒っているのではない。

「怒っている私がいる」ということに、気づいているものこそが、ほんとうの私。

 

ま、結局、なにゆーとーねん、ですけどね。

ようするに、パニック発作で脂汗をたらし、七転八倒しているというのは「私自身」というよりは「反応の集合体」である、という解説です。

 

マインドフルネスなどの瞑想は、じつはこの「ほんとうの私」に認識の主導権をバトンタッチする訓練でもあります。

ふだんは、身の回りで起こっている事象に「反応するこころ」つまり「こころのはたらき、作用」に、認識の主導権を持っていかれてしまっている。

この認識の主導権を、本来の「ほんとうの私」に返却してしまえば、格段に苦悩が減っていくということなんだそうです。

 

パニック障害に若い女性が非常に多いというのも、この「認識の主導権」ということが、関係しているのかもしれません。

いろいろな実験でも言われていますが、女性は主観的にものごと考える傾向が、すこし強いそうなのです。

女性に方向音痴が多かったり、霊感が強かったりするのも、これが関係しているという話があります。

認識の多くを「主観」に依存しているのですね。

とくに「女らしい」ひとほど、その傾向がつよいとのことです。

 

主観に認識の主導権を持っていかれると、「こころの作用」にすぎないものを、「現実である」と思い込みやすくなる。

むろん男性にもこの傾向が強いひとはいるし(ぼくのこと)、女性は認識の主導権を変更できない、ということでもないようです。

一種の、クセのようなことのようです。

 

とにかく、

今起こっていることは、まぼろしみてえなものだ

これを腹の底から思えるようになれば、発作もずいぶんと、やり過ごすことが楽になるのは確かだと思います。

病気だけでなく、これは一般的な人生上の苦悩にも応用できそうなことですから、客観への認識主導権の移譲という練習は、日々行っても全く損はないと思います。

 

パニック障害は、いがいと、「ひとの本質」のようなところから来ている病かもしれません。

だからでしょうか、栄養だの神経だの運動だの骨盤矯正だの、そういったことだけでは、なかなか治らないことも多いようです。

「認識の主体の問題」であれば、この状況にも、説明がつきます。

外側をいくらいじくりまわしても、肝心の「主人公」のキャスト変更ができていないから、なにも変わらない。

 

おすすめの本です。

 

 

 

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