ハングリー・モチベーション以降、現代の「高等遊民」

この本は、まだ読み切っていないけれど、すごく参考になると思うのです。

仕事なんか生きがいにするな

 

時代はもう、変わってしまった。

パニック障害や新型うつになる理由は、その人自身の精神の脆弱性にあるのではなく、社会のありように起因している。

というような感じの話からはじまるのです。

 

考えてみれば、おかしいのです。

こんなにも安全で、すくなくとも「餓死する」ということはないこの日本、もし病気になっても発達した医療が受けられて、暴力沙汰もかなりなくなってきています。

銃は禁止で、警察も優秀。

生きていくための「もの」は、有り余るほどに、ある。

こんなにもめぐまれた環境で、なぜ精神を病む必要があるのか?

東日本大震災の犠牲者を上回る数のひとが、毎年自殺をしている。

こんなにすばらしい世界で、どうして悩む必要があるのか?

 

古いシステムの人は、こういうことを言います。

「ぜいたくだ」

「辛抱が足りないんだ」

「こころが弱すぎる」

 

ぼくも、自分自身で、そう考えていたところがあります。

パニック障害になるなんて、ぼくになにか、弱いところがあるからだ。

あるいはどこか、過剰なところがあるのかもしれない。

いずれにせよ、ぼく自身に、なにか不具合があるのだ。

 

そういった発想に「喝」を入れてくれる本。それがこの本だと思います。

そうじゃない。

 

こころを病むひとについて、

「ぜいたくだ」

「辛抱が足りないんだ」

「こころが弱すぎる」

こういった感想や考えを持つというのは、ひと世代前のシステムからの視点のようなのです。

 

戦後、日本は「ハングリー・モチベーション」の時代でした。

食うものはない、住む場所もない、安全もない、カネもない。

戦争に負けて、アイデンティティーさえも、うしなった。

もう、ずたぼろだったのです。

とにかく当時の日本人は、飢えていた。

だから、がんばった。しがみついた。必死で努力した。

ハングリーこそが、モチベーションの要だったのです。

「不足を埋める」

これが、根本的な思想だった。

 

しかしそういった先人たちの血の滲むような努力のおかげで、日本はもはや天国かと思えるほどに、すばらしい進化をとげました。

戦後に不足していたものは、もうほとんど、満たされました。

むしろ、有り余るほどでさえある。

しかし、失ってしまったものもあります。

それが

「生きる意味」

です。

 

心理学のフロイトやアドラーでは、もう解けない問題が出てきたのでした。

フロイトもアドラーも、結局は「ハングリー・モチベーション」の時代に合致した認識であり、思考法だった。

時代も条件も変わっているのに、古臭い思考法で病気を解釈しようとするため、なかなか治らない。

パニックも、新型うつも、ハングリー・モチベーションに関する病ではなかった。

「実存への問い」が、その核にある。

 

ね?

すげー興味深いでしょう?

 

現在、ニートや引きこもりというのが問題になったりしています。

あたかも最新の社会問題のように言われることが多いですが、じつはそんなことはなかった。

むかしは少数ながら「高等遊民」という人たちがいたのです。

比較的裕福な家柄の子息で、当時としては珍しく、高等教育も受けているインテリたちです。

しかし不景気かつ、企業そのものも少ないため、就職がありません。

裕福なので出稼ぎに行くということも、ありません。

貧乏人からすれば、まことに結構なご身分でと嫉妬されたかもしれませんが、本人たちにはとても深い悩みがありました。

夏目漱石も、その一人なのだそうです。

彼らの悩みは、「実存の悩み」。

お金とか、明日餓死するかどうかとか、そういったハングリーな悩みではなかったのです。

この実存への悩みが、文学となったところもあるようです。

 

ハングリーさを失い、恵まれた環境にいると、「実存への悩み」が増大する。

これはもはや、本人の努力の問題ではないのです。

人間は、そういうふうに、できている。

これだけ安全安心で、物質的にめぐまれた環境に生まれ落ちたのは、決して本人の意図ではありません。

だから「ハングリー精神が足りない!」と叱ったとろこで、それは本質的な説教にはならないのですね。

ただしく叱るためには「実存への問いに対する回答」を用意するしかないのです。

しかし残念ながら、ハングリー・モチベーションで生きてきたひとたちは、「実存への問い」をしたことも、考えたことさえもありません。

答えなど、持っているわけがないのです。

永久に交わらない平行線。

実存への悩みを抱えるものは、先達に学ぶことができない。

 

政治家じたいに、ハングリー・モチベーションの時代の人が多いのですもの。

だから経済よくしようとか、全員が働けるようにしようとか、そういうことを主軸に考えてしまう。

しかしじつのところ、現代を生きる、とくに若いひとが抱える問題は「不足に対する枯渇」だけではない。

「なんのために生きているか」

という、至極哲学的な悩みを抱え始めたのです。

 

いまの世界をよりよくするためには、この部分への回答がなくてはいけませんね。

いつまでも、カネと酒とクルマと旅行をモチベーションにして、単純に燃え上がれるバカな大学生みたいな人間ばかりではないのです。

もう世界は、変質してしまった。

進化したがゆえに、変質してしまった。

変質してしまったからには、アドヴァイスもまた、変質せねばなりません。

いっしょうけんめいにがんばれば、働けば、なんとかなる。

そんなのはもう「おとぎ話」なのですね。

「もうすでになんとかなっている世界」で、「なんとかしよう」は、空転します。

だから「さらなる高み」を設定して、みずから欲を鼓舞して、いっしょうけんめいに、貪欲になる努力さえしはじめます。

これが、悩む理由。

ほんとうは、悩む必要なんかないのに、悩まなくたってじゅうぶんに生きていけるのに、「むりやり底上げさせられた欲」に突き動かされ、限界を超えてまで、がんばりつづける。

本人も確かにアホだけど、ハッキリいって、システムがアホすぎる。

 

まだ全部読んでいないので、わかりませんが、おそらくこの本には「実存への問い」への答えは書いていないと思います。

そんなもの、人それぞれですからね。

それよりも、実存への問いへの答えを、自ら導き出すための「ヒント」が書かれているように期待しています。

また読後に、感想文を書きます。

 

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