尊敬できる対象は、心の鏡でもある。

さいきんは「こころの栄養」をしっかりとろうと思って、感動する映画をよく観ています。

トシ食ったのかなあ、感動できるのはもう「カッコイイ」「かわいそう」ではなくなってきました。

 

セブン・イヤーズ・イン・チベットという映画が好きです。

この映画には、ぐっとくる言葉がいいっぱい出てくるんですよね。

有名な登山家であるハインリッヒ(ブラッド・ピット)の自慢話に対して、仕立て屋の女性がこんなことを言うのです。

西洋人がたたえるのは自力で頂点を極めた人でしょ。
でも、チベット人がたたえるのはエゴを捨てた人なの。
チベット人は西洋人みたいに何かを制覇しようなんて考えないわ。

 

なんかこれ、シレっとサクっとものすごいこと言ってるなと思いました。

 

A)自力で頂点を極めた人を讃え尊敬する。

B)エゴを捨てた人を讃え尊敬する。

 

どちらに、軸足を置いているだろうか?

 

いまの日本人は、全体的にはどちらかというと「A」のほうに軸足を置いている人が多いような気がします。

「もっと欲を出せ」

そんなことも、よく言われますものね。

スポーツで頂点を極めた人を尊敬し、ビジネスの世界で上り詰めた人を称賛する傾向は強いです。

大震災以降ですかね、最近でこそすこし「B」にフォーカスが当たりつつある気もしますが、やはり大勢はAにシフトしているような。

 

どっちがいい、わるい、というのは、わかりません。

でも「B」の人が多いほうが、なんだか住みよい社会のような気はするんですよね。

「制覇する」「打ち勝つ」「勝ち取る」

そういった発想はどうも、こころを無駄に疲労させる感じがします。

それにそもそも、これにこだわるせいで争いが起こるし、最後には侵略戦争まで起こる。

傷つかんでもいい人が傷ついて、死なんでもいい人が殺される。

油断も何もあったものではありません。

せっかくこの世に生まれてきたのに、どうして戦い、競争し、人を蹴り落としてまで生きていかねばならんのか。

 

結局はバランスの問題なのでしょうが、尊敬する対象には、すこし気をつけてみてもいいかもしれませんね。

いま、かっこいい、すてき、そう感じる人はどのような人なのか。

いっしょうけんめいに頑張って地位や名誉を得た人を讃える気持ちが強いときには、エゴが増大しているのかもしれません。

ぎゃくに、エゴを捨てて公共の利に勤しむ人を讃える気持ち強いときには、エゴが減っているかもしれません。

尊敬する人の特徴は、じつは自分のこころの写し鏡かもしれませんね。

 

エゴが増大すると、病気しやすくなるという説もあるようです。

わからなくもないですね。

頂点を極めたい、制覇したい、ゲットしたい、得たい、欲しい、そんな気持ちが強すぎると、頑張りすぎてしまいますもの。

神経も異常興奮し、結果疲労してしまう。

敵が増えたり嫉妬されたりして、どうも居心地の悪い感じになる機会も増えるかもしれません。

 

「和を以て尊しとなす」

この古よりの日本の原則は「覇者を讃える」こととは、元来相性が悪い気がします。

なにかを制覇するということは、敵も多く作り出してしまうということです。

この原理を素直に受け入れることができれば良いのですが、どうしても「和を以て尊しとなす」が、抜けきれない。

結果みんなに良い顔をしよう、仲良くしよう、だれも傷つかないようにしようなどという努力もしてしまう。

そんなことをしていたら、覇者になどなれるわけがありません。

行こうとしている方向と矛盾するようなことをしてしまい、ルサンチマンを抱え、悩みが増大してしまう。

「和」をばっさり断捨離できなければ、覇者などハナから目指すべきではないのですよね。

 

和合が好みなら、覇者になろうとしなければいいだけ。

和合を断捨離できるなら、覇者をめざして可。

ということに、なるのだろうと思います。

 

ぼくは、昔からけっこう「どっちつかず」のところがありましたが、最近本心からカッコイイなと思える人は「ダライ・ラマ」なんですよね。

だから多少は、エゴが減ってはいるのかな?

あるいは、ただトシ食って丸くなってきただけのかもしれませんが。

 

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