「何不自由ない」というストレス

ストレスは害だと思う人は死亡率が高い」とする研究があるようですね。

https://president.jp/articles/-/24957?page=2

退役軍人を対象にした調査でも、ストレスの対処法について「できるだけ避けるようにしている」と答えたグループにうつ病が多いという結果が出ています

 

恵まれた環境なのに悩む、という人も増えているようです。

https://diamond.jp/articles/-/4275

戦中や戦後の貧しい時代に生まれ育ってきた人々にとっては、「食べられるか否か」つまり「生きられるかどうか」が最も重要な問題であったので、「どう生きるか」に拘泥している余裕はあまりなかったのではないかと想像されます。
その後、順調に戦後復興がなされ、奇跡的とも言うべき高度成長期が到来します。この時代には、努力次第で経済的・物質的に豊かな生活を手に入れられるようになった「右肩上がり」の時代であったため、人々は立ち止まって「どう生きるか」に悩むよりも、「どれだけ頑張って豊かになるか」を重視する傾向を強めました。
そして、少なくともバブル崩壊までの日本においては、有名大学や有名企業などへのブランド信仰が熱をおび、「幸せになることとは、名のあるところへ入ることだ」と信じ込む人々が数多く存在していました。今日のように終身雇用制が破綻したり、企業買収や合併などが日常茶飯事になったりすることなど、当時は誰も予想していなかったのです。
このような流れの中で、多くの人々にとって「生きる意味」を問うことは、せいぜい青年期の一過性の熱病として捉えられるか、たしなむべき哲学・文学・芸術などの主題として扱われるに過ぎず、アクセサリー的な「教養」の域を出ないものだったと言えるかも知れません。ごく一部の内省的な人間を除いては、「どう生きるか」よりも「いかに成功するか」「いかに豊かな生活を手に入れるか」のほうが重要視される時代だったのです。

 

ストレスは、悪だ。

この考えばかりに拘泥することは、もうそろそろやめたほうがいいのかもしれませんね。

ストレスは避けようとすればするほど、人に害悪をもたらすという側面もある。

 

ぼくもそうですが、「生きられるかどうか」ということで悩んだことは、あまりありません。

まあ「死ぬかもしれない」と思ったことは、震災を含めて何度かあります。

パニック発作も、ある意味ではこれに入りますね。

ただ、通常の日常においては、デッドオアアライブ的な切羽詰まった状態というのはまずありません。

悩みのテーマは基本的に「どう【良く】生きるか」ということです。

 

これはまったく個人的意見かつ、ほぼ妄想のようなことですが、

生きるか死ぬかの危機感欲しさに、パニック障害になったのではないか。

なーんて、思うこともあります。

というのも、パニック障害を初めて発症したとき、ぼくは人生でいちばん幸福な状態だったからです。

正直、あまりにいろんなことが順調に行き過ぎていて、気持ちがわるいぐらいな頃でした。

いまでも仕事であたふたしているときよりは、ヒマになってポカーンとしているときに、発作がよく出たりします。

 

また、この病気を治そうとするときに「ストレスを排除しよう」と考えると、かえって悪化することが多いというのもあります。

お医者さんが口をそろえて「ストレスが原因です」ということにも、経験上、正直ピンときていないのです。

ストレスがまったくない生活なんてありえないですし、それほどストレスを感じていないというのもあります。

 

ストレスという迷信」があるのかもしれないのですよね。

自分ではそう感じていなくても、じつは人間は想像している以上に、ものすごく強いところがあります。

そうでなければここまで人類が地球上に蔓延しているはずはありません。

そして、これは確実に言えることなのですが、今生きている人たちはもれなく全員、過酷な生存競争を勝ち抜いてきたエリート直系の子孫です。

これだけは、だれがなんといおうと、絶対にそうなのです。

どんなトラブルがあっても、祖先が確実に生き残ってきたからこそ、いまの私が、ここにいる。

強すぎるほどのサバイバル遺伝子を、ぼくたちは全員、もれなく確実に引き継いでいるのです。

 

だから、たとえば人間関係だの仕事だのカネだの出世だの恋愛だの、そんなしょうもない、チョロっとしたストレスなんぞに、人間様が負けるわけがないのですよね。

なのに、実際には、ストレスに負けてしまう。

この状態は、じつはストレスそのものに負けたというよりは、「ストレスは悪」という迷信に負けてしまったのでは、と思うこともあります。

じぶんは弱いと、洗脳されてしまった。

 

人間が、弱いわけがない。

弱かったら、とうの昔に絶滅しているはずなんですよね。

人間のどこが強いか、それはストレスに対して非常に強いということなんだと思うのです。

これは他の哺乳動物を差し置いて、ダントツの第一位のような気がします。

だからこそ人間は、ストレスから逃げれば逃げるほど、神経が混乱して、おかしくなってくのかもしれません。

人間は、ストレスと戦うようにできている。

いや、戦わなければならないように、最初から宿命づけられているのかもしれませんね。

心配性、怖がり、神経質。

一般には「弱い」と言われているこの機能は、じつは「戦うために絶対的に不可欠の機能」です。

これがなければ、勝つことは到底かなわないのです。

勇気と元気だけで乗り越えられるのは、スポーツという仮想空間だけ。

本物のおそろしい世界と対峙して確実に勝利するためには、心配性、怖がり、神経質という素質は、決して欠くべからざるものです。

人間は神経質なサルから進化した、という説もあります。

 

戦うように、できている。

そういう言い方をすると、なんだか地獄のように感じるけれども、戦うというのは何も、ケンカや戦争、競争だけを指すものではありません。

自分自身と戦うこともまた、りっぱな戦いです。

人と戦うことをやめ、ついには、自分と戦うことさえも、やめてしまう。

そうすると、こころのなかに一気に虚無と混乱が広がって、実存への悩みが急激に肥大化するのかもしれません。

理由のない怒り。

それはじつは、ホルモンとかなんとかじゃなくて、「戦うことをやめてしまった弊害」なのかもしれませんよね。

 

ライオンはストレスが一切なくなると、死んでしまうんだそうです。

ムツゴロウさんが、そう言ってました。

人間も、もしかしたら、同じかもしれませんね。

この便利な世の中においては、もはやストレスというのは「宝」なのかも。

逃げ回るだけではなく、いっそ探し求めるというのも、アリなのかもしれませんね。

 

 

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