体力の概念図。心の強さは、体力に分類される。

体力とは何か。

そういえば、このことをちゃんと考えたことはあまりありませんでした。

 

体力というと、筋力や持久力、瞬発力などの「体育的強さ」のようなことを考えがちでした。

しかしここに「体力の概念図」があります。

体力とは何かということについて、しっかり考えた人は、やはりいらっしゃるのですね。

 

 

※ 猪飼道夫 日本人の体力 日本経済新聞社 V持久力とパワー 図5-1 体力の構成 107P

 

この図でいくと、ぼくが一般的に考えていた「体力」というのは、「身体的要素のうち、行動体力に類する、機能的要素」だけを指していたことになります。

しかし体力には「精神的要素」も含まれる。

精神的ストレスに対する抵抗力も、じつは「体力」なのです。

 

「からだ」と「こころ」を、分断して考え過ぎだったのかもしれません。

じつは、「こころ」も「からだ」に分類される。

この考え方は、ヨガと同じですね。

最近筋トレを無理のない範囲でやっていますが、筋肉の強化にともなって、やはり「こころの強さ」というのも徐々に大きくなってきている実感があります。

かつては「一気にたくさんやって、早々にやめてしまう」ということの繰り返しでした。

こういうことをすると、感覚的には非常に辛いことをしているので、早急な効果が期待できるような気がします。

しかし実際には、生物の成長にはかなりの時間を要しますから、さくさん無理をしたからといって早く筋力がつくわけではありません。

とくにオッサン・オバハンになってしまったら、よけいに成長や回復は遅くなります。

「無理すれば・頑張れば早く体力がつく」

これはまことに幼稚で空想的な、ただのファンタジーだったのです。

 

また、体力の低下は、奇跡を求める弱いこころも形成します。

体力の低下 → 精神的パワーの低下 → 急ぐ・焦る・怠ける → 奇跡や魔法を求める

神秘的なヨーガや気功などに助けを求めてしまうのも、まさに体力の低下がなせるわざだったのです。

まだ科学が定義できていない不可思議なパワー(気や霊など)で、劇的に何かが変化することを、過剰に期待してしまう。

ヨガ教室でたまに見かける、かなり神秘主義に傾注している人の多くが筋力のない人です。またそういう人に限って、練習をよくサボる。

まじめにエクササイズを継続していて、ある程度筋力のある人は、せいぜい無農薬野菜に拘る程度で神秘主義に傾注することは少ないです。

もちろん神秘的なことが全くのまやかしであるかどうか、それは誰にもわかりませんから、神秘を完全に否定することはできません。

問題は、神秘の系譜が正しいかどうかということではなく、問題解決のためのストーリーに合致しない行動をしている、ということです。

体力の低下によって起こっている問題なのに、体力の向上という根本的解決を行わないまま、呪文や儀式、哲学的学習、体力の増強につながらない平易な運動だけで事象を解決しようとするところに、おおいなる躓きがある。

 

神秘的な修行が悪いというのではなく「一般的な努力で充分に解決できることを何もしていない」というところが、大問題なのですね。

ちゃんと階梯を踏んでいない。

まずは地道に「ふつうの」トレーニングをして、筋力アップ、心肺機能のアップ、循環機能のアップを試みる。

そういった基本的なことから入らずに、いきなり概念的、学習的な方法論にとびついてしまう。

精神のパワーが弱いからこそ、結果を急ぎ、基本的なことをないがしろにして、応用編に一足飛びする。

 

体力は、そうそう簡単には手に入らないのですね。

そして想像以上に時間がかかる。

とくに精神的パワーが低下しているとせっかちになり「待つ」ことができなくなります。

だからよけいに、地道に時間をかけてトレーニングすることに対して嫌悪感を抱くようになる。

一気にやってしまおうとか、あるいはいっそ、そういうことから逃げ出してしまう。

そして最後にはとうとう、気だの霊だのエネルギーだの哲学だの心理だのという、不可思議系の屁理屈を持ち出して、トレーニングを全面的に拒否するようになる。

これは、その人の性格や考え方が悪いのでもないし、バカなのでもないし、精神的に怠惰だということではありません。

ただ、体力が低下しているサインだったのですね。

 

あまり知られていないけど、ヨガには実は「明らかな筋トレ」が含まれています。

教室などで教えてくれるヨガは、集客戦略と安全性確保のために、一部分を抜き出しスマートで楽な方法論を集大成したものが多く、あくまで「無害な健康体操」の域を出ません。

そうしないと、マジで危ないですからね。けが人が出て大問題になります。

そもそも深刻な不具合のない、比較的健康なひとが、健康維持のためにやることに過ぎないのです。

だから場合によっては、市販のヨーガでは役にたたないかもしれません。

ちなみにヒンズースクワットや腕立て伏せなどの自重トレーニングは、じつはハタ・ヨガが起源だという説もあります。

実際根本から体系立てて教えるヨガでは、ある程度段階が進むと「ただの筋トレ」になっていきます。

そこには瞑想だの気だのプラーナだのチャクラだの哲学だの、そんな美味しそうな要素はほとんどなく、ただの体育会そのもの。

辛くても絶対にやめるな! 辛さそのものを、あきらめろ!

グルの怒号飛び交うなかで、ガンガンに筋肉を鍛えさせられる。

これは意外と知られていない、ヨガの側面ですね。

 

こころの弱さは、からだの弱さ。

ただ、それだけの話なのかもしれません。

もしそうなら、道はまっすぐです。

知識や智慧、考え方でなんとかしようとするのは、もういらない。

無理をするというのではなく「ちょっとキツいこと」を繰り返して、気長に、時間をたっぷりかけて、身体を鍛えていこう。

 

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