「確証バイアスの排除」の、排除。信じるちからを身につける。

「確証バイアス」は、一般には「よくないこと」とされています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%A8%BC%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9

確証バイアスとは、ようするに「自説にとって都合の良い情報ばかり集め、都合の悪い情報は無視する」という人間の傾向のことです。

ブログでも、日常でもよくありますよね。

自分の都合のいい情報ばっかり集めてソースを示し、「ほら、ぼくの言ったとおりだろう?」

 

ぼくもこの「確証バイアス」というのはよろしくない、というイメージを持っていました。

なのでできるだけ、ある説があれば、その説の反対意見も同時収集するようにしているところがあります。

しかしぼくは最近、ジャック・マイヨールさんの話をきいて、すこし意見が変わりました。

 

ジャック・マイヨールさんは有名な潜水家です。

人類ではじめて「水深100メートル」まで素潜りを達成したという、人類としてはほぼ不可能なことができてしまった超人。

ふつうは水深30mぐらいが医学的に限界だと言われていて、10mも潜ればその人は「すごい」と言われます。

彼は子どもの頃から水に親しんでいて、こんな離れ業を成し遂げられたのも日々のトレーニングの賜物だということは、間違いがありません。

ただし彼の場合、そういうことだけでは済まない面がある。

彼は子供のころ、ある一頭のイルカに恋をした。

そして彼は、こう信じていた。

わたしは、イルカだ。

 

「信じるちから」は、医学の常識をぶち破ることがある。

もちろん、体質的にジャック・マイヨール氏の心肺機能がとても強かったというのはあると思います。

でも彼の「私はイルカだ」という信念こそが、その体質を100%使い切らせたとも考えられます。

 

確証バイアスは、よくない。

この一文には、ぜひ「実験室においては」という接頭辞をつけるべきです。

一般的な日常生活においては、確証バイアスこそが幸福を保証するところがあるから。

 

たとえば、筋トレ。

 

筋トレがパニック障害に効くと聞いた

実際にやってみる

確かに効いたような気がする

なぜ効くのかを調べる

筋トレにたいするポジティブな意見を収集(確証バイアス)

筋トレの効果を信じるようになる

元気よく筋トレにはげむ

という好循環が生まれます。

 

しかしここで、「確証バイアスの排除」などというしゃらくさいことを考えたら、どうなるか。

筋トレがパニック障害に効くと聞いた

実際にやってみる

確かに効いたような気がする

なぜ効くのかを調べる

筋トレにたいするポジティブな意見とネガティブな意見を収集(確証バイアスの防止)

ポジティブな意見とネガティブな意見が同数程度あることに気づく

必ずしも筋トレが良いとは限らない、ということを知る

筋トレの効果に疑いを持ちはじめる

継続断念

 

自信が大切。

これはよく、言われることです。

 

信じることが大事なら、確証バイアスはとても大事だということになります。

確証バイアスがなければ、一切の自信を持つことができないのですよね。

なぜならば、物事というのは多くの場合、どちらにでも解釈可能だからです。

確証バイアスをかけない努力は、自信を喪失させる努力ともいえる。

 

科学=「疑」からはじまる
宗教=「信」からはじまる

 

という言い方もできます。

良いか悪いかはさておいて、どちらが幸福に必要なことかは、一目瞭然ですね。

宗教に問題があるようにまた、科学にもまた、問題がある。

科学こそ正しいとした瞬間から、疑いの生活がはじまる。

それは不安な、よりどころのない、三界に家なしの心境です。

 

そういえば、仏教の一派である「密教」は、この確証バイアスを最大限利用しようとする試みなのかもしれません。

「私は大日如来である」

「私は虚空蔵菩薩である」

「私は不動明王である」

ジャック・マイヨール氏が「私はイルカである」と完全に信じ込むように、自分自身が如来であることを信じ込む訓練かもしれない。

密教系が、あんなにおそろしく厳しい修行をするのも、もしかするとトレーニングというよりは「確認作業」なのかもしれませんね。

自分が完全に不動明王であると信じることができたなら、真冬の滝行を「寒い」だなんて感じるはずがないのですもの。

 

そもそもパニック発作も「疑い」からはじまります。

起こった肉体的変化に対して、「大病ではないか」「命に関わるのではないか」という疑い

なぜ、このような疑いを持つか?

考え方がネガティブであるということだけでは、ないと思います。

普段から、確証バイアスを排除する努力をしがちなのではないか。

こんな病気なる人は、わりとアタマが良くて、考え方のバランスのとれた人が多いそうなのです。

バランスが取れるということは、つまり、擁護意見と反対意見を、割と均等に見る傾向がある、ということです。

「こっちが正しい! 絶対!」

というふうにならずに、できるだけいろいろな意見を総合的に吟味するクセがある。

パニック障害は、ある意味「科学病」かもしれないです。

科学の、わるい面が出てしまった病気。

疑うパワーが強く、確証バイアスを排除することをよしとする、科学的姿勢がつよすぎる。

先進国に多いですからね。

 

わざわざ反対意見を聞きに行く

いや、もう、行かなくてもいいのではないかな。

 

確証バイアスなんてものが、なぜ人間にあるのか。

それは確証バイアスが人間にとってたいへん重要な機能だからです。

不安や恐怖が人間にとって重要な機能であるのと同じく、確証バイアスもまた、人間にとって欠くべからざる機能。

これがなければ、人間は生きていけない。

信じるちからがなければ、ひとは生きていけない。

疑ってばかりいたら、生きていけないのです。

 

「確証バイアスの排除」を、排除しようと思うのです。

自分が良いと思ったことは、他人の意見なんかに惑わされず、思い切って突き進めばいい。

この世界に正解なんかないんだから、どの道を通っていったって、結果は一緒。

バランスなんて、しゃらくさいんですよ。

バランスなんか、結局はどうしたって、とれはしないのです。

真ん中なんか、歩けません。

この世界に真ん中なんかないし、「ここが真ん中だと思っている」ことがまた、確証バイアスだから。

 

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