姿勢なんか、どうでもええねん。

やだあ!

もうっ!

などと、思わずカマっぽく声を出してしまいそうなのであります。

 

まーた、出やがったんですよね。

パニック発作が。

今朝、仕事しているときに。

 

で今回は、ほんとうに、たいへん体調がいいんです。

機嫌もすこぶるいいです。

先月久々に「発作祭り」になったのは、風邪をひいて、熱が出ていたというのがあるんですね。

それに、かなり仕事で疲れていたというのがあります。

だからまあ、しょうがないかな……と得心するところもありました。

しかしここ数週間は、ずいぶんいい感じなのです。

仕事も正直ヒマで、でも仕事はちゃんと来ているので、経営的にストレスを抱えているとか、そういうことではありません。

落ち着いた日々。

 

心当たりがああるとすると、数日前から、「脱力姿勢」というのを試していることです。

まあるい背中と、自然体

つまりぼくは、非常に姿勢を意識するクセがあって、それを一回やめてみようと。

座るときに背中が丸くなるのは自然なことなんだから、いちいち抗うのは、やめてみよう。

そういう発想です。

 

それと、以下のような本でも「猫背は気にするな」というのが書かれていたりします。

姿勢革命:坂本龍馬は猫背だった

なにもしていないのに調子がいい ふだんの「呼吸」を意識して回復力を高める

 

また整体系のWebサイトでも、「猫背は正常である」ということもよく書かれています。

猫背は本当に悪いんか?

良い姿勢は背中が丸い?

ウサイン・ボルトは背中が丸い?成功者は背中が丸い!

ほかにも、いろいろあります。

 

つまり、脊柱の生理的湾曲から考えれば、背中が丸いことは正常なのであって、気にする必要はない。

むしろ「ピンとした背筋」のほうが、きわめて危険である。

肝心なのは、とにかく脱力をすることである。

……そのようなお話です。

そしてこれらのことは、ボク自身も、同様に感じることがるある。

自律神経の調子がわるいぼくや、ぼくの母親、祖母は、姿勢がとても良いのです。

ヨガでは姿勢をまっすぐにせよというが、ヨガ教室には自律神経失調症の人が多く、長年通っても治っていないという事実も直接知っています。

 

なので、試してみたのですよ。

腰や背中のちからを抜いて、「まあるい背中」をやってみよう、と。

そうすると、たしかに、たいへん具合がいいのです。

あまりややこしいことを考えなくなって、ぼんやりして、平和な気分になります。

あ〜あ、アレだな〜、べつに、そんなに、頑張らなくてもいいよね。

たのしければ、それでいいよね。

そんな楽観的な幸福な気分になってきます。

なるほどこれは良い、ということで、「脱力」を続けていたのです。

 

そしたら突然、今朝なんの脈絡もなく発作が出た。

発作そのものは5分ほどで収まるものの、2回連続で出ました。まあまあキツいやつです。

また座って仕事しようとすると、また出る。

そこで、「もしかして……」と思って、「腰を入れて」仕事を再開しました。

そうしたら、ほらこのとおり、もう大丈夫。

ウソみたいに治りました。

 

ぼくが姿勢をまっすぐにすることにこだわるようになったのは、「背中が丸いと発作が出やすい」ということに気がついたのもあります。

今思い出しました。

たとえばお客さんのところで打ち合わせをしていて、背中を丸めたまま、説明をしたりお客さんの話を聞いていると、しょっちゅう発作が出るのです。

そこである日「腰をシャキっ!」とさせて、姿勢をまっすぐにしていると、あまり発作が出ないことに気がついたんですよ。

電車で発作を起こすのも、だいたい座って背中を丸めているときでした。

そこで、電車の中でおかしくなったときも、立ってお尻の筋肉を「ぐーーーっ!」と引き締めていると、収まることも多かったです。

そんな経験を何度もして、「姿勢も関係あるのかも」と、思うようになったのでした。

 

さて、そういうことで。

 

今回の「脱力系まあるい背中トライアル」と、「腰抜け禁止・腰入れ堂々姿勢」の双方を考えてみて、ある可能性を見出しました。

闘うときには、戦う姿勢を。

そういうことなのかもしれない。

 

先の、「まるい姿勢が良いのです」系の本では、こんなことを書いていたりします。

「女子アナウンサーは、姿勢が良すぎる、あれは緊張しすぎて、正しい姿勢ではない」

 

いいや。

そうではないのかもしれないぞ。

だって女子アナウンサーさんは、いま「仕事中」なのです。

仕事というのは、ある意味「闘争」の部分はあります。

イヤなことでもしないといけないことはあるし、同時にいろんなことを考えないといけないし、きちんとケツを合わさないといけないこともある。

あははは〜、あははは〜、いいよね〜、たのしいよね〜、どうでもいいよね〜、だけでは、済まないことが多いです。

仕事というのは、もちろん全部ではありませんが「闘争」の側面は、まちがいなくある。

すくなくとも、自分とは戦わなくちゃいけません。

 

「背中はまるいほうが正しい」

よく考えれば、こういうふうに「正しい・正しくない」という安直な二元論に陥ることじたいが、あたまのわるい証拠でもある。

最近ちょっと仕事がヒマで、春であったかいし、ほんとにバカになっていたんだと思います。

 

臨機応変。

これがいちばん、大事なことなのかもしれません。

 

・仕事をするときは、ガッと腰を入れて、気合を入れてやる。

・休憩したり、休みのときは、腰のちからを抜いて、脱力系まあるい姿勢でよい。

 

この「メリハリ」こそが、大事なのかも。

 

そして、もし上記が正しいとしたら、ある結論に至ります。

 

姿勢なんか、どうでもええねん。

 

という結論に。

 

闘う気持ちが必要で、気合やパワーが必要なときは、どうしたって、そのような姿勢になる。

とくに気合は必要なく、ぼんやりしてよいときには、どうしたってそのような姿勢になる。

緩急自在、緊緩自在であるためには、「いちいち操作しない」ということが、いちばん大事なのかもしれないです。

 

逆らうな。

むかし、そんなことばが、天井から落ちてきたことがあります。

「緊張すべきなのに、わざわざ弛緩しようとする」これは「逆らっている」。

「のんびりしていいのに、わざわざ気合の入る姿勢をしている」これも「逆らっている」。

逆らうな。

それは「気持ちと、からだを、合致させろ」ということかもしれませんね。

いまから気合が必要なら、腰を入れて、気合入れろ。

いまから休むのなら、腰のちからをぬいて、まあるい背中になれ。

 

だからもし良くないことがあるとしたら、

・気合を入れっぱなし

・気合が抜けっぱなし

ということなんだと思います。

仕事にせよ、休みにせよ、遊びにせよ、同じことをいつまでも長時間続けていることがわるい

そうしたら、ある特定の姿勢を過剰に継続するようになって、それぞれの「わるいところ」が出てくるのかもしれませんよね。

「これが正しい姿勢だ!」という硬直したバカっぽい考え方に陥ると、どうしたって不自然になり、ダメになっていくんだと思います。

この世界に、正しいもヘッタクレも、あるもんか。

 

もう、ええわ。

本もネットもテレビもラジオも、もう、ええわ。

情報が悪いんとちがう、それを書いたやつが悪いんとちがう。

気にするやつが、アホなんじゃ。

しょうもない!

姿勢だの呼吸だの、どうでもエエことをグズグズ言うとらんと、もっとオモロいこと考えろ。

 

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