治す努力は、毒である。

アーユルヴェーダを勉強するようになって、1週間ぐらいです。

アーユルヴェーダにはかなり得心することがあって、たぶん考え方の波長が合うんでしょうね。

とても面白い考え方だなあと思います。

 

アーユルヴェーダの考えに基づいて、「鎮静」を目指すようにしています。

ぼくの体質の過剰な火と風を、鎮魂するのです。その努力を、今は続けています。

 

結論からいいます。

また発作が復活しました。

 

ほんとにもう、いい加減にしてほしい。

生活そのもの、仕事そのもには、何のトラブルもないというのに、この体調こそが、最大のストレスです。

はっきり言って、じぶんの体調が、神経が恨めしいです。

 

しかし、キレている場合ではありません。

よくよく、よくよく、思い出してみた。

ここ10年、ぼくはいろんなことを試してきました。

長いものだと、4年以上ほぼ毎日継続しているものもあります。

しかし結論として、なにも良くなっていない。

それどころか、何か新しいことにトライするたびに、パニックは悪化するのです。

 

・ヨガを毎日やると、翌朝に悪化する。
・ジョギングを始めると、数週間後に悪化する。
・筋トレを始めると、数日後に悪化する。
・座禅や瞑想を始めると、翌日に悪化する。
・太極拳を始めると、1週間後に悪化する。
・気功を始めると、数日後に悪化する。
・仏教や哲学などを研究し始めると、数週間後に悪化する。
・整体や首の調整をすると、翌日に悪化する。
・アーユルヴェーダを始めると、1週間後に悪化する。

 

開始〜悪化までのスパンはまちまちですが、最後の「オチ」はいつもハンコで押したように同じ。

良くなってきたと思ったら、必ずぶりかえす。

 

これは、どういうことなのか。

思ったんだ。

「原因は、意識にあるのではないか」

 

治すために、何か新しい努力を始める。

———— ということは、その期間はずっと、自分の体調や意識に注視しているということです。

ヨガなり、自律訓練法なり、なんでもいいけれど、何らかの努力をした以上、その成果を観察しなければなりません。

効いたか効かないのか、判断する必要があります。

つまり体調改善のための何かをするということは自分の体調にずっと注視しているということにほかならないのです。

 

これが、核なのではないか?

これは人間にとって、最大のストレスなのではないか?

 

そうでなければ、この10年間、試してきたことのほぼすべての方法に効果がなく、むしろ悪化する傾向さえあるということの説明がつかないのです。

そんなわけは、ないのです。

もちろん、その効果の度合は違ったり、中には合わなくて逆効果になるものだって、あるかもしれません。

しかし「全部ダメ」なんて……。

 

こうなると、もう

 

治す努力そのものが毒

 

としか、考えられなくなってきているのです。

 

努力しない努力。

じつは、これがいちばん大事なことなんじゃないか。

ヨガをするにしても、「治すために」じゃない。

ヨガはやっぱり、気持ちがいいです。

健康のためにとか、明日の体調を心配してとかじゃなくて、「気持ちよくなるために」やるほうがいいです。

ウォーキングしかり、筋トレしかり、瞑想しかり、各種トレーニングしかり。

 

アーユルヴェーダだって、それを本気で考えたり、効く・効かないを見極めようとしたら、それこそ毒です。

 

あれ食ったらいかん、これ食ったらいかん。

あれしたらいかん、これせねばならん。

なんだ? おれは、囚人か?

犯罪者でもないのに、どうして囚人のように、食うもの、することに、いちいち制限が必要なんだ。

どうして不自由な生活を、わざわざ送らないといけないのか?

 

「行動に、いちいち制約をかける」

「行動の目的が、更正や改善である」

こんなもん、獄中のヒトじゃねえか!

 

ぼくは、罰を被るような悪いことはしていません。天地神明に誓って。

だからぼくは、もっと自由に生きていって良い。

むしろ、そうしないといけない。

母が腹を痛めて生み、両親が苦労して育てたぼくが、どこぞの見知らぬオッサン、オバハンが展開している、くそつまらんリクツにがんじがらめになって生きていくほうが、圧倒的にひどい罪だ、親不孝だ。

ぼくは、自由でなくてはならない。

自由は権利じゃなくて、義務なんだ。

もちろん、たまには自身の健康を振り返ることも必要でしょう。

でもそれは、1ヶ月に1回とか、半年に1回で、じゅうぶんです。

 

「アーユルヴェーダは、やりつづけないといけない」

この考えこそが、まさに「ヴァータ過剰」です。

「アーユルヴェーダにゾッコンになり、こだわる」

それこそが、ピッタ過剰だ。

そういう考えこそが、アーユルヴェーダ的に、おかしい。

アーユルヴェーダ哲学を真剣に学んだものは、アーユルヴェーダにこだわらず、離れていかないと、おかしい。

何かをしていないといけない、何もしないことに不安を感じる。

何らかの説を信じないと、不安でしかたがない。

食い物を変えるまえに、生活態度を改める前に、考え方を変えないと、まったく意味がないです。

わたしは犯罪者ではなく、自由の身である。

このことを、しっかり思い出すべきだ。

 

治すための努力なんて、この世でいちばん、面白くないことです。

ぼくたちは、したいこと、食べたいもの、見たいもの、経験したいもの、手に入れたいもののために、行動するし、生きていく。

そのために、計画もする。

 

「健康を手に入れたら、自由になれる」

そんなの、完全なる勘違いです。

自由というのは、まず「そう思う」ことから、はじまる。

「治らないと自由になれない」そう考えている間は、絶対に自由になれない。

論理的に、そうなる。

 

だからいますぐ、好きなことをしよう。

いますぐ、だ。

好きなことがなければ、好きなことを探すこととか、思い出すことから、はじめよう。

とりあえず、健康の本なんか、全部捨ててしまえ。

毒だから。

 

 

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