最強の健康法は、感謝することである。

ぼくが理由なく感じる最近の「怒り」。

自律神経失調症だからとか、更年期障害だとか、理由はいろいろ言われます。

 

さて、では「怒り」の対義語は、なんだろうか。

思いやりとか、いつくしみとか、満足とか、いろいろ考えられます。

身体的な側面から考えると、それは「感謝」なのではないか。

怒りや不安などの情動は、脳の「視床下部」という部分が司っているそうです。

いっぽう幸福や安心といった真逆っぽい情動もまた、視床下部が司っているという。

表面的に見えるイメージは真逆でも、「出処は同じ」なのですね。

 

ヒトは感謝の念を持つと、この視床下部が非常に活性化するのだそうです。

感謝の念は、血圧を下げ、痛みを和らげ、睡眠を深くし、治癒力を高め、血流を促進する。

そんなことが、最近ではわかってきているそうです。

 

そういえば、これはぼくが小学生ぐらいのときに聞いた話なのですが、感謝の念があるかどうかで大きく結果が変わるそうなのです。

二人の仲良しの女子高生がいて、遊園地かどこかに一緒に遊びに行ったんだそうです。

ふたりとも、学校では評判の美人コンビだったそうです。

すると不幸なことで、イベントの爆発事故に巻き込まれて、こともあろうか全身に大やけどを負ってしまったのです。

ふたりとも救急車で運ばれ、幸い一命はとりとめました。

しかし、顔やからだには大きなやけどの跡があり、これは一生消えないだろうと診断されました。

うら若い女性のこと、さぞかしショックが強かったろうと思います。

ふたりの女子高生のうち、かりにAさんとBさんとすると、Aさんは非常にかなしみ、事故の責任者に対して強い怒りと恨みを抱え、法的な訴えを起こしたのだそうです。

その気持ちは、よくわかりますし、当然だとも思う。

しかしいっぽうBさんは「命が助かってほんとうによかった」と思い、お医者さんだけでなく、イベントの運営者にまでわざわざお礼に行ったんだそうです。

「あのとき救急車をすぐに手配してくれたおかげで、このとおり命が助かって、動けるまでになりました。ありがとうございました。」

と。

AさんはそんなBさんのことを、ばかじゃないかしら、と思っていたのだそうです。

爆発の原因は運営者側にあるのに、感謝するなんて、ばかげてる。まあ、ぼくもそう思います。

しかし、驚くべきことが起きたのです。

恨みと怒りを抱え続けていたAさんは、顔にケロイドが残ったままになりました。

しかしわざわざお礼を言いに行った「ばかな」Bさんは、ケロイドがすっかり消えてしまって、1年後にはもとの美貌を取り戻したのでした。

 

まあ、ウソかホントかは、知りません。

ただ、この話を聞いたことがあるというのは本当です。

そして今思うに「感謝の念は治癒力を驚異的に上げる」という実験結果があることからも、この話はあながちウソではないんだろうと思います。

そういえばガンの患者さんでも、「どうして俺が! まじめに生きてきたのに! ちくしょう!」と怒り恨む人というのは、直らないといいます。

しかし「これもホトケさんが休めって言ってくれたんかな」程度に思い、あかるくにこやかに生活するひとは、けっこう良くなっていくんだそうです。

これは、最近でもけっこうよく聞く話です。

 

身につまされるのです。

パニック障害や外出恐怖症になって、ぼくは正直に言って、すこし怒っています。

そういう病気になったことじたいを恨んでいるというわけではなくて、発作や不快感に、非常にイラつきます。

もう! 起きるな! ぼくのからだは、ぼくのいうことをきけ!

そういう気持ちになります。

ぼくはなんだかんだいって、この病気を10年ちょっと引きずっています。

長いなあ。

全然治らない、治ったと思ったら、ぶり返す。そんな繰り返し。

そしてまた、いらいらする。

どうして努力の甲斐がないんだ! こんなに頑張っているのに!

Aさんと同じなんですよね。

「怒り、恨んでいる」。

だからAさんのケロイドが治らなかったように、ぼくの神経も治らないのかもしれないなあ。

 

考えてみれば、この病気になったことで、助かったことはけっこうあるのです。

仕事しかできなくなったから、仕事をいっぱいするようになって、生活が安定するようになった。

外出できないおかげで、アル中寸前だったのが、断酒までできるようになった。

家で仕事をしているので、離婚して別居していた娘がいまはうちに住むようになった。

こんな病気になったからこそ、両親もぼくの家で住むようになった。

パニック障害のおかげで、離婚こそしたものの、結局はぼくの身の回りには、家族が集ってきた。

仕事も増えた、いいお客さんにも巡り合った。

必ずしも、悪いことばかりではなく、むしろ結果的に良かったことだってかなりあるのです。

 

いちばん大きな功績は「神経を病むひとの気持ちが痛いほどわかるようになった」ことでしょうね。

もしこんな病気にならなければ、パニック障害だの、ウツだの、自律神経失調症だのになる人だのを、こう評価していたでしょう。

「こころの弱いやつだ。気合が足りないんだ。ダメ人間なんだ。」

自分がなったからこそ、ぼくはもう、そんなことは絶対に思いません。

こんな病気にも負けずにいっしょうけんめい仕事したり、あきらめずに頑張っている人を、けっこうぼくは知っています。

そして思う、むしろ心が弱いどころか、むちゃくちゃ強い人だ。

よくもまあ、こんなキツい地獄に、耐えて生きているもんだ。

「こころが弱いやつがなるんだ」そんなことをノウノウと言える人は、もしこの病にかかったら、いっぱつで死んでしまうと思う。

このあまりにも明瞭な死の宣告に、耐えられるはずがないです。そんな甘いことを言うひとに。

 

感謝しようと思う。

治したいからというのもあるけど、やはり客観的に見て、必ずしも不利益なことばかりじゃなかったのです。

結果的に良かったこともあるし、すこし人間性を高めてくれたところさえあります。

物事を哲学的に考える癖もつけてくれました。

すくなくとも、文句ばかり言ったり怒ったりするだけじゃなく、感謝したって不自然ではないと思います。

 

感謝に、副作用はないのです。

でも怒りには、副作用がたくさんあります。

ひとも、じぶんも、じぶんの内臓も傷つけて、血も濁る。

感謝は、ひとも、じぶんも、じぶんの内臓も癒やして、血も浄化する。

怒りも、感謝も、同じところから出ているんですよね。

同じ視床下部から、発生している。

なら「感謝できない」なんて、ただの勘違いです。

ちょっとした、角度のちがい。

そんなにがんばらなくても、ちょっと視点を変えただけで、感謝はいくらでもできるのかもしれません。

 

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