やっぱり「肝」関係の疲労だったのかも

日に日に、あの異様なイライラとかがマシになってきているんですよね。

とくに今日の朝に「あっ」と思ったのは、おしっこの色が変わった。

きのうまで、濃い黄色というか、茶色っぽいのがずっと出ていたんですね。

それがいわゆる、うすい黄金色にかわりました。

 

とてもだるいとか、イライラするとか。

そのへんを「自律神経が……」とか「春だから……」というふうに、雑にくくってしまうと、よけいにややこしくなるのかもしれません。

ぼくが感じていた症状を確認してみると、「肝炎」の症状にかなり符号するのでした。

◯…ある、たまにある
△…まれにある
×…ない

×発熱
◯咽頭痛
◯頭痛
×黄疸
◯褐色尿
◯食欲不振
◯全身倦怠感
×嘔吐
△嘔気

また東洋医学でいう「肝の疲労」にも、かなり符号します。

◯怒りっぽい・イラつきやすい
◯めまい・耳鳴り・頭重・頭痛・肩こり
◯生理不順・生理痛・更年期障害
◯胃痛・胃腸の不快感・食欲不振・便通の異常
◯寝つきが悪い・途中で目が覚める・睡眠への満足感がない
◯抑鬱感・やる気が出ない・全身の疲労感
×手足のしびれ・筋肉のひきつり
◯目の疲れ・充血・乾き目・抜け毛
△神経痛・手足のしびれ・リウマチの疼痛 など

 

こうしてみると、どうもやはり「肝あるいは肝臓の疲労」ということになるのではないか、と思うのです。

たしかにぼくは、パニック障害から外出が苦手になりました。

しかし細かく観察すると、外出恐怖は必ずしも予期不安だけではないのです。

「少し歩くだけで、とても疲れる」

じつはこのことが、よけいに不安を助長していたところもあるんですね。

確かに「もし発作が出たら、どうしよう……」そんな不安がないわけではないです。

でもそれがメインではない時も多いのです。

ただ、ひじょうに疲れて、だるい。

このことが、行動を抑制していたところも多分にあるんですね。

 

ややこしいのが、病院に行っても、肝臓の数値は正常であるということです。

たまに高いときもあるのですが許容範囲で、お医者さんも「まあ、あまり飲みすぎないでくださいね」的な注意をくれるだけです。

だからぼくも肝臓が疲れているだなんて、一切想像することがありませんでした。

一説によると、肝臓の疲労によってもパニック障害が起こることがあるんだそうです。

肝臓というのは沈黙の臓器とも言われていて、なかなか異常を検知しにくいところもあるんだそうです。

ガンマGTPとかも、確かに異常に高いのは問題だとしても、けっこう高くても健康なひとがいたり、べつに数値はそんなに悪くないのに体調が思わしくない場合もあるようです。

数値だけで判断するのはなかなか難しい領域のようなのです。

 

だからいちばん大切なのは「本人の感覚」なんだと思います。

今考えれば、1kmにも満たない距離を歩くだけでも息苦しくなり、非常に辛く感じるというのは、正常とはいえません。

いくら日頃運動不足だといっても、一切動いていないわけでもなく、そもそも体力はあるほうなのです。

なのに、ぼくときたら、「体力が落ちているんだ!」などと考え、無理に走ったり筋トレをしたり、「鍛えて強化する」という方法ばかりとってきたのです。

肝臓を癒やすのには、クスリを飲むよりもずっとずっと大事なことがあるんだそうです。

・高タンパク、消化に良い食事
・睡眠
・安静

もし肝炎の兆候があったなら、きゅうに食事量を減らしてみたり偏らせたり、筋トレなど体力を消耗する運動を継続して行うなどは、言語道断なわけです。

ヨガだって、あまりナメてかかるのはよくありません。

筋肉を引き伸ばす運動なので、自分が思っている以上に筋肉に負担がかかっています。

筋肉への負担は即、肝臓への負担なんだそうです。

「だるいな」

「しんどいな」

「やる気が起きないな」

そう感じたときは「走ったら治る!」みたいな妙な根性論を持ち出すと、危険なのかもしれないです。

ぼくには、そういう傾向があります。

 

ヨガで、最も大事だとされていること。

それは

からだの声を聞く

ということなんだそうです。

 

自分自身との対話、というと、どうも精神論的、スピリチュアル的なことを想像してしまいがちです。

しかし実際には、そんなにややこしい話ではないんだと思います。

「自分自身が今、どう感じているか」

ということを、ボトムアップ的にすなおに感じ取ることなんだと思います。

 

イデオロギーや哲学、知識など、そういった余計なことからトップダウン的に理解しようとすると、強引なことをしはじめてしまうんですよね。

インナーチャイルドが、深層心理が、プラーナが、ブラフマンが、アートマンが、チャクラが、シャクティが、そんな「知識」から解釈をしようとすると、絶対に間違うんですよね。

そういった情報はただの「説明の一種」なのであって、自分自身を映し出す鏡ではないです。

ガリ勉バカがなんにもできないのと同じで、ヨガだって「勉強」したらもうダメなんだと思います。

柔道の本を読んだって、柔道は強くならないです。

アタマから入ると、ろくなことがない。

 

あー、しんど。

このサインを、見逃さないようにしないといけませんね。

無理しても良いしんどさか、休んだほうがいいしんどさか。

こればっかりは、だれも教えてくれません。ネットにも本にも書かれていません。お医者さんも教えてくれません。

自分との対話。

自分へのヒアリング。

これができないのは、まず知識や方法に頼ってしまう、都市型脳の依存性ですよね。

考えるまでも、ないんですよね。

「なんか、今日はすげーしんどいなあ……」

もう、答えが出てる。

 

疲れたら、休め。

世界一簡単なこんなことが、どうして10年間も学校に行ったのに、できないんだろう。

微積分ができても、論理演算シーケンスが得意でも、これができなきゃ、ただのバカだ。

世界一のバカだ。

軽蔑に値する。

 

がんばりすぎて病気したひとを褒めるから、みんなおかしくなっていくんですよね。

がんばってカラダを壊したやつがいたのら、みんなで指さして、侮辱してやれ。

おまえは人類の恥さらしだ、無能だ、低俗極まりないといってやれ。

人間としてのレベルが低すぎると、あたまごなしに叱ってやれ。

 

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