ミニマリストは、才能を潰す。

「気滞」ということを考えていくうちに、ふとあることを思いつきました。

ミニマリストの危険性、ということについてです。

 

断捨離というのが流行ったことがありました。

ミニマリストも最近では市民権を得てきて「とにかくモノをもたない」主義の人もけっこういらっしゃるようです。

ぼくもかつて断捨離にハマり、ミニマリストとまではいきませんが、モノを減らした生活を目指したことがあります。

 

日記等を見返してみて、無視できない関係性を感じたのです。

ミニマリストを志してから、体調がわるくなっている。

また、知人にもミニマリストを自称するひとが何人かいますが、全員神経的に何らかの不具合を抱えています。

とくに、社会適応障害の傾向がある。

そして仕事ができない人が多いのですが、これはただの偶然なのでしょうか。

 

いっぽう仲の良い有能なビジネスマンや、才能あるデザイナーさんやコピーライターさん、イラストレーターさんには、共通点があります。

部屋が汚い。

不潔ということではないのですが、非常にモノが多く、乱雑です。

 

そういえば、世界の偉人といわれる人たちも、机は汚いひとが多いです。

 

もちろん、清潔好き、整理整頓好きなひとでも有能なひと、才能あふれるひとはたくさんいると思います。

でも大きな傾向としては、どうも乱雑な人のほうにこそ、才能あふれる人が多いようです。

 

なぜか。

このことについて、ミネソタ大学のキャスリーン・ヴォース教授というひとが、面白いことを言っています。

散らかった環境は古い習慣から脱却させ、新しい考え方を生み出すためのインスピレーションを与えます。いっぽう、整理整頓された環境は習慣を大切にし、失敗しないよう促す傾向にあります

 

ザックリいうと、散らかった乱雑な環境のほうが、クリエイティビティは高くなる、ということのようです。

 

このことについて、ぼくはハタとひらいめいたのでした。

自然は乱雑である

山、海岸、野原、森林。

自然の世界に行けば、そこには規則性など一切なく、乱雑極まりないです。

それでいて、ふしぎに統一感がある。

 

身の回りにムダなものを一切置かず、もたず、ピシっと直線で構成された空間。

色の数もすくなく、静謐で、清潔で生活感のない空間。

確かにそれは、オシャレな感じはします。

しかしその空間は、人工の極地でもありますね。

自然ではない。

 

クリエティビティとは「生み出すちから」のことです。

つまり「生命」の体現であり、「変化」の具現でもある。

クリエイティビティとは、自然の働きそのものであるといえます。

多種多様の生命を生み出す、母なる濃厚な混沌。

 

ミニマリストに代表されるような、なにもない・最低限・整頓・清潔という概念は、いわば「死の体現」ともえいます。

停止、静止、後退、隠遁、凍結、そのようなワードがよく似合う。

クリエイティビティとは対極にある概念かもしれません。

 

ウツを患ったり、精神的に不安定であったり、不安を抱えていると、ミニマリストに憧れを持つようになるようです。

これは精神が、本来のエネルギーを失っている証左なのかもしれません。

精神に余裕がないと、たとえばメールの通知音でさえ疎ましく感じることがあります。

それと同様に、身の回りにあるモノさえも疎ましく感じ始めているのかもしれませんね。

ストレスが多いと、東洋医学でいう「気滞」の症状が出やすくなるといいます。

不安、焦り、恐慌、怒り、拒否感、そういったものが出やすくなる。

ミニマリストや整理整頓オタクというのは、理屈っぽい気滞にすぎない可能性があります。

 

考えてみれば、

・掃除しないさい!
・整理整頓しなさい!
・余計なものは、捨てなさい!

こんなことを口うるさく言う人というのは、しょうもない人だともいえる。

口うるさいシュートメかっつうの。

安定を好み、失敗を恐れ、過去の因習にこだわり、変化を嫌う。

なにか新しいことを生み出したり、大幅な発想の転換をすることが苦手。

感性よりも理論を重視し、けちくさい。

神経質で、大胆さがなく、臆病だ。

圧倒的に、エネルギーが足りてない。

 

ぼくの仕事は、デザインです。

いちおう、クリエイティブに類する仕事です。

ぼくはもしかすると、自分で自分の才能を摘んでいた可能性があります

「生み出す原理」からどんどんかけ離れていき、「停止する原理=死の原理」に歩み寄っていたのかもしれません。

清潔や、整頓や、ミニマリストにこだわっていいのは、クリエティビティをあまり必要としない仕事の人だけなのかもしれませんね。

そういえばミニマリストを自称するライターさんの文章は、つまらんです。

うまいけど、ありきたりで、どこかで聞いたような言い回しばかりで、新しさも、目新しさも、エネルギーも感じない。

才能というものを、あまり感じない。

強烈なエネルギーは、かならず混沌のなかから生まれる。

どろっどろの、ぐっちゃぐちゃの沼から、神々しい一輪の蓮の花がすっくと立ち上がってくるように。

 

清潔だの、整頓だの、ミニマリストだの。

そういうことをすることじたいが、仕事をしていないともいえます。

そんなことを言っているヒマなんか、ないはずなのです。

なにかを生み出すというのは、たいへんな作業です。

そんな「むだなこと」をしているから、才能が枯れていくのかもしれませんね。

 

死なない程度に、ケガしない程度にきれいなら、それでいい。

生きている間ぐらい、身の回りには好きなモノをたくさん置いておけばいい。

捨てたくなければ、捨てなくていい。

どうせ死んだら全部捨てなきゃならないんだから、生きているうちからやらなくていいです。

モノを捨てたぐらいで執着が消えるなんて、とんだ大間違いです。

人間のココロをナメてる。

「捨てなければならない」

それじたいがもう、執着なのです。

捨てるとか、捨てないとか、キレイとか、キタナイとか、そういうところを「超越」しているほうが、まだ執着から離れていますよね。

 

身の回りが乱雑でモノにあふれているというのは、

そういうことを一切気にしていない

という、聖なる領域に突入しているということなのかもしれません。

掃除しろだの、整理しろだの、捨てろだの、口うるさいシュウトメみたいなことをほざいているほうが、よっぽど精神的に低俗なのかもしれません。

そういうことが、気になって、しかたがないのですもの。

そりゃあ、才能ないわなあ。

 

整理とか清潔とか、どうだっていんだ。

すくなくともミニマリストになったって、絶対に幸せにも健康にもなれないです。それが原因じゃないんだから。

そんなことよりも、好きなことを、いっしょうけんめいしよう。

 

 

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