全力を出さないから、全力で休めない。

ぼくはいつごろから、自律神経がおかしいと言い出したんだろう。

このことを考えた時、まずは36歳のときにはじめてパニック発作を起こした頃のことを思い出します。

結婚し、子供が生まれ、家も購入した、ある意味幸福のピークともいえる頃のことでした。

だからぼくは、いつもこう考えるのです。

「娘が生まれて、仕事を頑張りすぎたのかもしれない」

「ちゃんとしよう、という気持ちがストレスになったのではないか」

 

まあ、それもあるのかもしれない。

でもそれは、もしかすると「美化しすぎ」かもしれないな、と思ったのです。

ぼくは可愛い娘と嫁さんと、居心地のいい家を手に入れた。

だから一生懸命仕事しよう、そう考えたのはウソではないです。

しかし心の奥底では、こうも考えていました。

「無理はしないようにしよう」

 

仕事よりもプライベートのほうが心地よかったので、こころがそちらに傾注していったのです。

正直にいって、もう仕事なんかせず、ずっと家族と一緒にいたかった。

「仕事をちゃんとしよう」、そう思ったのも確かだけど、「仕事に全力を出すのはやめよう」とも思ったんですね。

だって仕事をしすぎてカラダを壊したら、家族が困るから。

それまで後先を顧みず仕事に没頭していたのをやめて、マラソンランナーのようにペース配分していこう、と考えたのでした。

 

まあ、これもべつにヘンな考え方ではないと思います。

むしろ利口な考え方かもしれないです。

体力は有限だし、いつまでも若くない。

大切な家族と幸福を長続きさせたいのなら、ペース配分をして行きていくという考え方は正常ともえいます。

 

ただ、どうなんだろう。

全力を出さなくなってから、体調がどんどん悪くなっている側面もある。

パニック障害から広場恐怖症にクラスチェンジして、ぼくはあまり外出をしなくなりました。

最初は「がんばって治そう!」と思って、無理してでも外へ出るようにしていました。

しかしいくら努力してもお治らないから、そのうち「がんばるから治らないのではないか」と思いついたのですね。

なので、出たくない日は出ない、ということをするようになりました。

必要な用事も家族にお願いしたりするようになりました。

 

そういうふうに「休めば」、治るかもしれないと期待していたんですね。

でもこれは期待はずれでした。

むしろ、外出できる距離が格段に減っていきました。

「もう、外出しなくていいや」

そう知ってしまうと、正真正銘に外出ができなくなっていくんですね。

 

よく眠れてはいるんだけど、どうも寝付きは悪い。

8時間近く毎日寝てるのに、なぜか疲れが取れた気がしない。

朝から午前中にかけて、異様にイライラ、ソワソワする。

すこし動くと、アタマに血がのぼって、アタマが熱くなる。

この一連の症状については「自律神経失調症」または「男性更年期障害」といわれます。

 

「病気だから」→「調子が悪い」

それは、確かにそうです。まちがいない。

では「なぜ病気になったのか?」

 

最初の定義が、ちょっと甘かったような気がするんです。

「過労」とか「疲労」とか「ストレス」に、ぼくはその原因を求めた。

しかし、じつはこれは、不正確だったかもしれないです。

最大の原因は、

全力を出し切ることを、一切しなくなった

ことなのではないか?

もちろん松岡修造さんみたいに、24時間365日全力というのは、ちょっと無理があるとは思います。

しかしだからといって、人生全てにおいて全力を出さないという生き方はまた、「人間として」非常に無理があるのではないか。

 

自律神経失調症というのは、交感神経と副交感神経のバランスが崩れることです。

どう崩れるかというと、どちらか一方の神経の興奮が多くなってしまうということです。

ほとんどの場合、交感神経の興奮の比率のほうが多くなってしまうそうです。

そしてこれをもう少し正確に言えば、

交感神経と副交感神経の切り替えがへたくそになっている

ということなのですね。

べつに、交感神経が悪者なのではありませんし、交感神経に異常があるわけでもありません。

問題なのは、緊張や闘争を司る交感神経から休息やリラックスを司る副交感神経にスムーズかつスピーディーに切り替われないということなのです。

また逆に、副交感神経から交感神経への切り替えも、がたつくことが多い。

神経の運転が、へたくそなんだ。

 

なぜ、こうなるのか。

その原因はさまざまですが、その多くの原因の中のひとつに「全力を出すことへの拒否」もあるような気がするのです。

神経というか人間のカラダには、片方に強く偏ると、反動としてもう片方に強く揺り返すという特性があります。

たとえば、むちゃくちゃ甘いものを大量に食べると、極端に血糖値が上昇します。

そうなるとこんどはインスリンが大量に分泌されて、しばらくすると強い低血糖状態になる。

こういうことを繰り返していると、糖尿病や血糖値スパイクなどのリスクが非常に高くなる。

だから血糖に問題があるひとは精製された白砂糖などの吸収率の高い糖分の摂取を控えて、GI値低い食品を摂取することが求められます。

「片方の極」に向かわないように注意するというわけです。

 

神経の興奮も、同じかもしれないのですね。

片方の極 —— つよい緊張状態 —— があるからこそ、つよい弛緩状態に向かうことができる。

無理をしないで安静に、安全に、平和に。

怖いこと、危険なこと、苦手なことからは、できるだけ遠ざかって生活する。

そんなこと「ばっかり」を継続していると、しまいには自律神経の変転力が鈍くなっていってしまうんだと思うのです。

寝付きが悪い、いったんドキドキしたら止まらなくなる、緊張しはじめると歯止めがきかない、それはすべて「自律神経の変転力の低下」なのですよね。

興奮することじたいが悪いのではない。

わるいのは、興奮してしまったら、それをもとに戻せるちからが弱いことだと思うんです。

血糖の場合は極端に向かわないほうが良いですが、こと神経に限っては、「ときに極端に傾く」ことも必要なのではないか。

 

ネットなんかの記事にも、すごく問題があると思うのですよね。

お医者さんまで出てきて、みんな言うんです。

何かと言うと、リラックス、リラックス。

リラックスと脱力こそが最大の善行であり、現代人にとってとても重要なファクターである、みたいなことを言う。

考えてみれば、記事というのは広告の一種でもあるから、「読む人が納得すること」を書く必要があるんです。

そこに真理があるかどうかなんて、配信者側からすればどうだっていい。人気さえ出れば、読者さえ増えればそれでいいんです。

だから「甘言」がどうしても多くなる。

SEOを一生懸命にやっている、整体やヨガのサイトだって一緒です。

悪意があるとかいう話じゃなくて、これはWebサイトの構造的なカルマなんですよね。

整体院やヨガ教室のサイトでは「われわれのメソッドを実行すれば、あなたの不調は治ります」としか書きようがないんです。

「ウチに来たって無駄ですよ。治らないですよ。」

そんなサイトにしてしまったら、だれが見るものか、だれが来るものか。

Webサイトには、かならず「発信者」がいます。

発信者がいる限り、原則そのサイトには発信者のメリットになることしか掲載されないのです。

発信者が悪いのではありません。

Webサイトというものは「そうしたもの」なのです。

これは、出版にも同じことがいえます。

 

Webサイトや本などの情報に汚染されると、どうしても「リラックス教」に入信してしまうんですよね。

とくに自律神経系に不調を抱えている人こそ、洗脳されやすいです。ほんとに困ってますからね、甘言に弱い。

人間という動物が持つ基本的な原則を無視した、「そのときさえ気もち良ければ、それでいい」的な刹那的な方法論に傾注していってしまう。

人間の、基本原則。

それは、

全力を出すから、全力で休める。

だと思います。

 

ずっと全力を出しっぱなし、はもちろんいけません。病気します。

でもだからといって、力の出し惜しみばかりしているのも、いけない。

そんなことをすると「慢性的に休めていない」日々が延々と続くことになると思うのです。

恒久的に全力を出さないということは、深く強いリラックス状態も恒久的に得られないということだからです。

必死で働くからこそ、しっかり休める。

辛いことがあるからこそ、しあわせがある。

強い覚醒があるからこそ、深い睡眠がある。

戦うからこそ、平和がある。

 

 

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