腰痛は、天然の姿勢矯正である。

久々に強烈な腰痛になって、気が付きました。

腰痛って、天然の姿勢矯正なんだな

っていうことに。

 

よい姿勢というのは、

・どこも力んでいない
・重心線が頭〜胸〜腰の中点を通り安定している

ということです。

 

腰を痛めると、上記の条件からすこしでもズレると、

アオウッ!

とオットセイのごとく叫ぶことになります。

痛い。

 

姿勢矯正器具なるものが、よく売られています。

ランドセルのように背中に背負うタイプのものや、骨盤と太ももを連結させて大腰筋の補佐を行うもの、骨盤を締め付けるものなど、さまざまです。

中国の小学校に導入されている姿勢矯正機は、ちょっとした恐怖を感じさせるものでもあります。

そーゆーことやなかろーも。

と、ぼくは思うんですけれども。

こういうふうに、人間を機械のような、あるいは家畜のような感じで扱うところが、どうもヘンタイ的であるな、と思います。

中国はかつては偉大だったのに、社会主義になってからすこしバカになったと思う。

 

こんなオオゲサなもん使わんでも、わるい姿勢のままほっといて、ちゃんと腰痛になったらええんじゃ。

「できるだけ痛くないポイント」を丁寧にさがしていくと、結局「たいへんよい姿勢」がいちばんラクであることに気づくのです。

顔は下げるでもなく、上げるでもなく、まさに真正面を見るようにする。

左右は当然、水平。

アゴをほんの少しだけ後ろに引く(下を向くんじゃなくて、アタマ全体をすこし後ろに「引く」)。

首を軽く上にのばす。

腰は反らすでもなく、曲げるでもなく。

胸は張るでもなく、巻き込むでもなく。

お尻は引くでもなく、落とすのでもなく、締めるでもなく、巻き上げるでもなく。

おなかは抱え込むでもなく、せり出すでもなく。

足先は開くでもなく、内股でもなく。

脱力するでもなく、力むでもなく。

立ったり座ったりしている状態では、この「すべて中途半端」な状態が、いっちばん腰に負担がかかりません。

たぶんこれが「自然体」なんだと思います。

 

姿勢って「自分では良いかどうかわかならない」なんていうことを、よく言います。

だいじょうぶです。

腰痛になったら、てきめんにわかります。

ほんの少しでもズレたら、絶叫するから。

「痛み」が、間違った姿勢を教えてくれるのですね。

すげーよくできたシステムです。

こればっかりは、いくら科学が進歩しても同じクオリティのものはできないんじゃないかな。

 

腰痛になるのって、結局「腰に甘えすぎ」なんだと思うんですよね。

だらけて腰が丸くなっているのって、なんとなくラクな感じはするけれども、じつは「腰くん」に全部シワヨセがいってる。

リラックス姿勢って、じつは腰をイジメてたんだよなあ。

腰くんは我慢強いし、実際にけっこう強いから、文句言わずに耐えてくれる。

でも度を過ぎたら、さすがの腰くんも音を上げちゃうんだ。

それが、腰痛。

だれかが楽をすると、だれかが苦しむ。

この世の摂理のごとく、人体もそうできてる。

 

からだのどこにも、極端に無理がかかっていない状態。

それがたぶん、「ただしい姿勢」なんだと思います。

丹田だの中心だの、いろいろぐずぐずヌカすやつもいるけれど、どこかに意識を過剰に集めたら、その部分に過剰な負荷がかかってしまうかもしれません。

中心を意識するということは、「中心に偏っている」ともいえる。

中心さえ定まれば全部うまくいくということでもないです。

王様や総理大臣さえシッカリしとけば国が大丈夫ってわけじゃないです。

むしろ中心にいるひとはちょっくらボンクラぐらいなほうが、みんながシッカリしはじめる。

集中と分散はともに半々で、すぐにどっちにでも行ける状態のほうがいい。

どこかに負荷がかかっているということは、どこかがラクをしているこということでもある。

このへんのバランスが極端に偏ったとき、カラダはこわれていくのかもしれませんね。

姿勢に関しても「中央集権主義」は、もう古いんじゃ。

 

腰痛にも、利点はあった。

「悪い姿勢アラート」っていう利点が。

ほんとに、よくできてるなあ。

 

 

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