足りないことの、すばらしさ

さっき「Stay hungry, stay foolish」ということについて考えていて、ピコーンとひらめいた。

おれって、いまが人生でいちばんいい時期なんじゃないの

 

hungry と、foolish に共通することは何か。

それは、

足りない

っていうことなんですよね。

 

hungry は腹ペコっていう意味だから、満腹感が足らない。

foolish は、アタマのネジが一本足らない。

ジョブズ氏も禅も「足りないままでいろ」って言ったわけです。

 

ぼくは36歳のときにパニック障害になってしまったのが原因で、会社をやめました。

離婚もしました。

どうしようもないので、じぶんで仕事をつくることにしました。

独立して自営になったのです。

するとその後、こんどは電車に乗れなくなってしまいました。

外出そのものが、アウトになってしまったんですよね。

 

自営業で、外出ができない。

 

こんなん、もう終わりやん

 

愕然としましたよね。

自営業なんだから、営業に行って仕事とってこないと、まず何も始まらないんですわ。

仕事をとってこれない。

おわ、これ、マジでもうアウトや。

終わった。詰んだ。

ほんとにそう思いました。

どうしようもなくて、飲んだくれていた時期もありました。

 

1ヶ月ほどスネた生活を送っているときに、ふと思ったんですよね。

待てよ。

待て待て。

よく考えたら、今はネットがあるやんけ。

そしてぼくは、いちおうそのネットで食ってきた人間でもある。

10年前なら、外出もできなくなってしまったら、たしかにほんとうに終わりだったかもしれない。

でも今は、アマゾンもあれば、ネットで出前をとることもできる。

とりあえず、買い物に行くっていうことはしなくても、いちおうは生活できるんだ。

ま、カネはいるけどね。

 

で、仕事だ。

モノがネットで買えるんやったら、おれのこともネットで買うてもろたらええやんか

そうだ。

そうだよ。

俺がひとりで営業行って、俺がひとり作らないといけないなんていう決まりなんかないぜ。

おれが営業に行けなければ、営業に行けるひとに、おれの仕事を買ってもらえばいいじゃん。

それも、ネットで!

 

これをひらめいたことが、一大転機ではあったんです。

でも、考えてもみてみろ。

モノがネットで買えるんやったら、おれのこともネットで買うてもろたらええやんか

なに? このアホな考え方。

そう、人間追い込まれると、アホになるんですわ。

 

廃業どころか人生そのものを放棄しようとも考えていたのですが、そこから俄然、スイッチが入りました。

アホ・パワーの、はじまりはじまり。

とにかく、ありとあらゆる仕事募集サイトに投稿をし、電話もかけまくりました。

そしたらたった数件だけですが、ぼくと代理店契約をしてくれることになったんですね。

つまり、ぼくは営業に行かなくてい。

営業は営業マンがやって、ぼくは外出せずにウェブサイトを作ればいいんだ。

 

幸いなことに、この営業さんたちが、とってもすばらしい人たちだったんですね。

むちゃくちゃ仕事をとってきてくれるし、まともで有能な人ばかり。

考えてみれば、営業で食っていこうっていう人なんだから、営業がヘタクソなわけはないんですけどね。

アホになると、人との出会いも、よくなるんです。

結果、外出できていたころの3倍から4倍まで、仕事量が増えたのでした。

 

こうなってくると、べつの問題が出てきます。

もう自分ひとりでは作りきれない。

採用、みたいなことも考えましたが、ここでもぼくの「外出できない」が足かせになるのです。

自宅に呼びつけるわけにもいかず、そもそもそんな金もないし、どうしようか。

これも数ヶ月悩んで、ひらめいたのです。

いままでの5分の1の時間で作れたら、解決やんけ

 

そこからこんどは、「圧倒的業務改善」を目指しました。

ここではあまり詳細には書けないけど、ようするに効率化していった。

ぼくたちデザイナーは、「デザイン」なんてエラソーなことをヌカしよるけれども、じつは共通項を整理していけば、そんなに多くのパターンがあるわけではないことに気がついたんですね。

このへんをヒントに、通常3日ほどかかって作っていたウェブサイトを、最速で3時間で作り上げることができるシステムをつくった。

このおかげで自己破産寸前、家は抵当に入って、あともう少しで売り飛ばされる状態にあったのを、回避することができたのでした。

いまではもう、午前中しか働かないです。

っていうか、これも正直にいうと、自律神経失調のせいで、午前中いっぱいぐらいしか神経が保たないんですけどね。

 

つまりぼくには「外出ができない」という「足りない」ところがあったわけです。

この「足りない」があるおかげで、ぼくはない知恵を絞り出すことができたし、業務のストラクチャじたいを大幅に変更することができたのです。

あまつさえ、そのおかげで売上まで増えた。

もし、あのまま外出ができていたら?

ぼくはいまだに、業務を改善せず「ぜんぶじぶんでやる」ことをしていたかもしれません。

そんなの、どのみち持ちませんよね。

体力は年とともに落ちていきますから、もう徹夜で仕上げてどうのこうの、なんてできなくなる。

ある意味あの時点で方向性を変えておいたおかげで、ぼくの「仕事寿命」は伸びたのです。

午前中だけで仕事が終わるぐらいの負荷ならば、あと20年はいける。

 

だから、思ったんです。

圧倒的に足りないことがあるときのぼくは、しあわせである。

外出ができない、自律神経がおかしい、そう言っているいま、じつは人生で「ぼくのいのち」がいちばん輝いている時なのかもしれない。

本気なんだから。

 

足りないから、足りるようにしよう、とするんですね。

しかし、足りてしまったら、「もうこれでいいや」ってなってしまう。

これは、いわば「熱死」です。

エントロピーが崩壊してしまって、改善するとか、変更するとか、新しいことにチャレンジしてみるとか、構造を変えるとか、そういうことができなくなる。

これは怠惰とか、先見性がないとかではなく「必要がないから」そうなるのです。

必要もないのに、ヒトはなにかをしようとはしません。

どうしようもないからこそ、ヒトは本気で動き始める。

 

よのなかの、ちょっと勉強したオッサンどもが、無茶をいいよるんですわ。

先見性や、センスや、経験が必要だ、みたいなことを。

それがないから、うまくいかないんだ、とかいうことを。

すべきことをしていないのは、怠惰なんだ、とか。

無茶いうなよなあ。

人間て、本来そんなもんなんだと思う。

どうしても必要でなければ、ほんとうに本気では考えたりしないんだ。

それで生きていけるんだもの。

 

賢い判断をするためには、ちょっとあたまのネジが足りなくて、色々足りなくて、精神的に追い込まれているときのほうがいいんですよね、ほんとうに。

中途半端に小賢しいことを考えられるのは、なんだかんだいって、満たされているからなんだ。

理屈っぽいことを言って、ドヤ顔でニッコリできているのは、生活に余裕があるからです。

しかしそんなことで生まれた理屈は、ほぼ100%、まちがった結論を導き出すために使われる。

あたりまえなんだ。

足りないところを、補うから、ピースがバチっとはまる。

足りているのに、追加すると、邪魔な突起になってしまうんだな。

それでも突起をどんどん追加してていくと、カタチがイビツになっていって、バランスを失う。

で、ある日突然、ゴローンと転がってしまうんだな。

 

足りないから、足りるようにしようとする。

これが、いちばん自然で、いいモーションなんでしょうね。

しかるに、なんだ。

いまの「断捨離」は。

ありゃ、完全に間違うとるよねえ。

余っているものを、捨てろとかいうの。

ちがうだろ。

本質は「足りなくする」ことなんだ。

いらないものを捨てて、お気に入りのものだけ、必要なものだけ、手元に置きましょう。

ちがうだろ。

むしろ逆だろ。

いらないものは、べつに手元に置いていてもいい。

だけど、お気に入りのもの、必要なものこそを、捨ててしまえというのが、本物の断捨離なんだ。

そうすると「足りなく」なるだろう。

足りなくさせる、それが断捨離のほんとうの目的だ。

だから、断捨離は本来、ものすごく難しいことなんだよなあ。

ぼくだって、絶対に必要なパソコンを捨てることなんか、できません。

でも、もしそれをしたら、マジで「足りなく」なる。

そうするとぼくはまた、何か新しい方法を考え出すにちがいありません。

「外出できない」っていう「足りない」があったときのように。

 

だから断捨離なんか、わざわざしなくていいんだ。

そんなことしなくたって、病気や、障害や、トラブルや、苦労が、ちゃんとそれをさせてくれる。

いま、どうしたって、ほんとうに足りないことがある。

それはじつは、チャンスなんだ。

人生のイノベーションの、チャンスだ。

 

満たされて、満足してしまうと、じつはそこから「死」がはじまる。

これが案外知られていない、事実ですね。

仏教が質素倹約をすすめるのは、きっとこういう理由なんだと思う。

欲を捨ててラクになりましょうとか、ラクになるために欲望を捨てましょうとか、ウツ病みたいになりましょうとか、欲のせいで満足できないんですよとか、そんなガキみたいなことを言うわけないじゃん。

「足りない」ときにこそ、人間はその真価を最大限発揮する。

それを、昔の人はよく知っていたんだと思う。

だから、捨てよ、飢えよというのだと思います。

満足しちゃったら、満腹になってしまったら、人間はもう、人間未満になってしまうんだよな。

 

 

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