気をそらせる練習

さっき昼飯をつくりながらテレビを見ていたら、武田鉄矢さんがいいことを言ってました。

「気分が落ち込んだりしたときは、おいしいものを食べたりすると、気がそれて徐々にいい方向に向かうようになる」

名倉潤さんが、ウツで休職されたことを受けて、そのようなことをおっしゃっていました。

 

なるほどな、と思いました。

ぼくはパニック障害になったとき、この「気をそらせる」ということについて、あまり重要と考えていませんでした。

たとえば発作中に手の甲をピシーっと叩くと、一瞬だけですが発作が紛れることがあります。

これを応用して、普段から手首に輪ゴムを巻いておき、おかしくなったらそれをパチンとやる、という人もいるそうです。

それは聞いて知っていたのですが、自分自身でやったことはほとんどありません。

 

気ををらすというのは、なんとなく個人的に「本質的ではない」ような気がしていたんですね。

ごまかしている、という気がするからです。

もっとなにか別の、根本的な原因を探らないとだめだ。

それを解消しなければ、ほんとうに治すことはできないはずだ。

そのような小手先の、一瞬気をそらせるような「逃げ」をやっているようじゃあ、いつまでたっても治らないかもしれないぞ。

 

あほちゃうん?

 

まあ一見、まっとうな意見のようにも見えます。

ごまかしたり、気をそらしたりするようなことだけでは、本質的ではないという考え。

でもこれこそ「根本的なところ」を間違えているのかもしれないんですね。

パニック障害っていうのは、まあいわば「気分の障害」なんですよね。

だから、とても重要なファクターは「気分そのもの」といえます。

 

本質的に……ということを目指して、姿勢、呼吸、栄養、運動、血流など、そういった方面の改善努力をいっしょうけんめいにやる。

これはつまり、姿勢、呼吸、栄養、運動、血流などが「本質的である」と考えている、ということなんですよね。

おかしくねえか?

「気分そのもの」が本質的である可能性があるのに、「気分以外のこと」だけを本質と認識している。

根本的なところを、見逃しているような気もします。

 

そもそもパニック障害なんかになる人って、まじめな人が多いそうです。

まじめということはつまり、症状などに強く集中してしまう、ということなのかもしれません。

実際、動悸やめまい、熱感などなど、そういった自律神経失調のような症状に「意識が集中してしまう」のですね。

違和感や不快感に対して異常なまでの集中を示すから、恐怖も増大し、思考も混乱しはじめる。

 

だからもしかすると「気をそらせる」ということは、じつは小手先でも枝葉なんかでもなく、むしろ最も大きな幹の部分、「本質」である可能性もあるわけです。

ぼくがよく感じるこの感覚……のぼせ、動悸、あたまがうっ血するような感じ、息苦しいい感じ、呼吸がなんとなくしにくいような感じ……は、じつはほとんどの人も感じていることなのかもしれません。

ただこれらの刺激に対して「異様なほどの関心と集中」を示すことで、実際よりも非常に巨大な刺激として受け止めてしまっているのかもしれないのです。

だからこのような刺激が起きたときに、「完全に気をそらせる」ことができれば、じつは何のこともない、という可能性もあるんですね。

 

実際のところ、非常に調子が悪く感じていても、仕事に集中したり、このようにブログを書いたりしていると、フっと忘れてしまうというのはあります。

ほんとうに、何らかの具体的で明確な原因があるのだとしたら、このように「症状以外のことに意識が飛ぶ」という事態でも、症状は継続するはずです。

例えば腰痛なんかが、そうですね。

ほかのことに注意を向けても、ひどい腰痛はその痛みが軽減されることはありません。

まあ多少マシになることはあったとしても、痛いもんは痛いです。

しかるに、パニック障害のトリガーになる「あの感覚」については、気をそらせることで消えてしまうことがとても多いのです。

 

ひとと会話をしていて「聞き役」になっているとパニック発作がでやすい、というのもあります。

ぎゃくに自分がなにかのテーマについて、ことばを操って集中して喋っているときは、あの不安感が高確率で消えてしまうのですね。

このことについて、最初は「呼吸のせいかな」と考えたこともあります。

しゃべるときには、イキを吐きますから。イキを吐くと、副交感神経が優位になるとも言いますからね。

でも、そうじゃないかもしれないです。

それよりも、「意識が会話のテーマに集約している」ということが最も大きな原因だと思います。

 

ヨガや瞑想をしても、いっこうに良くならないのも、この構造と似ているのかも知れません。

ヨガや瞑想は、ある種の「インナートリップ」ともいえる作業です。

自分の外側の刺激ではなく、内側の刺激に強く集中をするのです。

呼吸や血流、鼓動、こころの動きなど、そういった自分自身の内部状態を観察しつづけます。

思うに、これはパニック障害の人にとっては「やぶへび」なのかもしれないです

 

そもそもからして、内部からの刺激に対する強い関心と注意から、不安発作が起こるのです。

それならば、「内部への訪問」を頻繁に行うことは、状況を悪化させこそすれ、好転させるとは考えにくいです。

ストレス、ということについて、ちょっと雑に考えすぎているのかもしれません。

ストレスには2種類あります。

1.内側からくるストレス
2.外側からくるストレス

パニック障害については、原則「1」のほうなんですね。

内側で起きている諸反応を過剰に受け取って、過剰に解釈してしまう。

 

いわゆる、ふつう一般に言われるストレスというのは、「2」のことが多いのです。

人間関係や仕事、お金の問題など。

こういった「自分の外から来るストレス」に対処するためには、ヨガや瞑想などの「インナートリップ」が有効なんだと思います。

「内側に気をそらせて」しまうんですね。

ムカつくアイツの顔や発言にではなく、じぶんの呼吸に注意を向ける。

そうすれば、気がそれて、感じていたストレスが軽減されるのだと思います。

 

しかしパニック障害の場合は、逆なんですよね。

ストレスは「内側」から来ている。

なのに、その「内側」に強く強く集中するトレーニングをしていては、まったく気をそらせることができていないということなんですね。

息苦しい、というストレスがあるのに、「呼吸」を意識してしまう。

そうすると、高い確率で過呼吸になってしまいます。

 

このストレスは、どこから来たものか。

由来をしっかり見極めないと、逆効果かもしれませんね。

ヨガがウツに効く、というのは、おそらく「外的刺激が原因で発症したウツ」の場合なんだと思います。

主たる原因がある外側のほうにではなく、じぶんの内側に関心を向けることで、外的なストレスを緩和している。

 

ぼくのばあいは、明らかに「内部由来」です。

人間関係その他ひっくるめて、じぶんの身の回りで起こる刺激については、ほとんどといってもいいほど、ストレスがありません。

そもそも思ったことをそのまま言ってしまうタイプですからね、あんまり溜め込まないんです。

なのに、ずっと気が鬱々している。

これはなんのことはない、「ずっと内側を向いている」からにほかならないんだと思います。

 

気を、内側から外側へ「そらす」練習が必要かもしれません。

ラジオ体操やジョギングなどの運動をすると非常に具合が良くなるのは、この効果かもしれません。

このへんの運動は、意識が「外側」に向くんですよね。

しかしヨガや瞑想、半身浴など、そういったものは意識が内側に向きやすいです。

だから、ぜんぜん良くならなかったり、むしろ悪化したりしていたのかもしれません。

 

気をそらせる。

これは小手先でも、枝葉でも、ずるいことでもないのだと思います。

むしろ「もっともだいじなこと」の可能性がありますね。

 

 

 

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