賢さは人をしあわせにすることが、へたくそ。

なぜ人は、賢くなろうとするんだろう。

頭をよくしたいと、なぜ願うのだろう。

 

まずひとつ考えられるのは、「そのほうがトクだから」ということです。

アホは損をして、賢いものがトクをする。

たしかに、そういう法則のようなものはあるような気がします。

アホよりも賢いほうが良いに決まってる、というような。

 

でも、よくよく考えてみたら、これはどうなんでしょうね。

トクをするといけれど、具体的に何をトクするのだろうか。

賢いと、ほんとうに何かトクなんだろうか。

 

金銭的なこと、というのはまず考えられます。

アホよりも、カシコイほうが、お金を儲けられそうな気がする。

しかし実際の世間を見てみると、必ずしも賢いひとが儲けているとは限らないです。

よく儲けている人でも、すげーアホというのはいます。

じつは、それもかなりの高確率で。

個人的な接点では、むしろそっちのほうが多いような気がする。

しかしむしろわりとけっこう賢いひとのほうが、不相応に貧乏な気もします。

それだけ賢いのなら、もっと儲けられるんじゃないのかな、っていう。

 

また、仮に賢いとお金が儲かったとしても、必ずしも幸せとは限らないです。

これもむしろ中途半端な小金持ちのほうが、幸福度は低いような気もする。

税金だの、資産の目減りだの、景気変動だの、相続だの、「お金に関する心配」もろもろを、常に抱えていたりする。

貯金なんか大してない人のほうが、案外そういった諸問題から開放されていて、スッキリした顔をしていることもけっこうあります。

とはいえ赤貧洗うがごとく明日のメシもままならないような貧乏というのは、ある種「ほんもののくるしみ」を抱えてしまうこともありますが。

 

ただ間違いなく言えそうなことは、「賢くなっても幸せになるとは限らない」っていうことです。

そして「アホのほうが幸せそうであることが多い」ということ。

 

なんのために仕事をがんばり、お金を稼ぐかというと、もちろん「しあわせ」のためです。

そして稼ぐために必要なのが「かしこさ」である。

……とまあ、一見理論的にはスジが通っているように見えるけれど、よくよく見たらこれは、なんか破綻してるような気がしないでもないです。

かしこさが金銭の獲得のための絶対条件でなく、かしこさが幸せを一切保証しないのであれば、ひじょうにむだな動きをしていることになる。

そしてお金が必ずしも幸福を保証するものではないのなら、もう、やっていることはむちゃくちゃだ。

むしろ「アホ」こそが「幸福の絶対条件」なのかもしれない、ってなっちゃう。

 

パニック障害を治そうと思って、非常に多くの本を読んだり、セカンドオピニオン的にいろんなお医者さんの話を聞いたり、ネットとかで情報をかき集めても、けっきょく治らないんですよね。

ていうか、治るどころか、かえって悪化することもあります。

知識や情報が増えれば増えるほど、なにがなんだかワケがわからなくなって、強い迷いが生じてしまう。

いままで全く気にしていなかった違和感まで気になるようになってしまって、べつの神経症になってしまいそうにもなります。

こんなことならば、むしろなんにも知らないで、何かを信じ切っていたほうが不安は少なくてすみます。

「正しいといわれる方法」を100個コレクションしてそれを逐一実行していくと、結果的には「100個とも効かなかった」っていうのがオチなのですよね。

それよりもたった一つの方法しか知らなくて、それを愚直に続けていくほうが、結果的には効いたりする。

不安障害についても、アホのほうがトクをするかもしれないんですよね。

ていうか、アホは不安障害にならないか。

パニック障害や不安障害をいっぱつで治す方法は、じつは「アホになる」ことだったりして。

 

知識や賢さは、ひとをしあわせにすることが、へたくそだ。

自分自身も、周囲のひとも、しあわせにはしない。

知識や賢さがくれるのは、「便利」だけなんですよね。

 

人がペットを飼うのも、じつは「アホが身近にいて欲しい」ってところも、じつはあるような気がするんですよね。

イヌやネコがどうして可愛いか。

それは、アホだからかもしれません。

まあ中には賢いやつもいますけど、でもいくら賢いからといって「今月の請求書はもう出しておきましたよ」とかいうイヌはいないし、「車検を終わらせておきました」っていうネコもいない。

賢いといったところで、せいぜい器用な芸当ができるぐらいなものです。

子どもを見ると癒やされるのも、そういうところもあるような気がします。

子どもも、基本的にはみんなアホですから。

 

アホを見ると、癒やされるのですよね。

「おれよりもレベルの低いやつがいて安心する」とか「征服欲求が満たされた」とかでは、ないと思う。

そんなのじゃなくて、もっとストレートに「ほっとする」のですよね。

かわいいなあと思うし、守ってやりたいとか、助けてやろうかとか思う。

アホを見ると、ひとは瞬時に、「ほとけごころ」を持つのです。

だからあるいみ、アホなひとは、この世界に「ほとけさま」を大量生産しているともいえます。

 

いっぽう、ひじょうに賢いひとを見ると、なぜか緊張するんですよね。

なんでも自分でできて、責任感や良識もあり、いろんなことを知っている。

そういう人については、すごいなあとか、りっぱだなあとは思うけど、いっぽうで「こわい」とも思う。

いっしょにいると、なぜか気疲れする。

「このひとを喜ばせるには、ひとすじなわではいかないな」

とさえ思う。

エサくれてヨシヨシしてくれたら、原則わたくしはじゅうぶん天国であります、っていうイヌとはわけがちがうんだな。

賢いひとはある意味、この世界に不安をまきちらしているともいえる。

 

アホな存在は、ひとを癒やしてくれるところがあるんですよね。

わるいことをしない限り、アホは人に好かれることも多いです。

中途半端に賢くて権利を声高に主張するようなひとは、けっこう嫌われてしまう。

飲み会に誘うにしても、むずかしいことをいっぱい言うひとよりも、アホなことをいっぱい言うひとのほうが誘いやすいし、場も盛り上がる。

ひとは、アホを、求めてる。

 

有能な経営者もけっこうアホのほうが多かったりして、先見性があり有能な社長がいる会社は、意外と長持ちしなかったり、業績が低迷したりする。

ウエに立つ人がアホだと案外部下から慕われたりして、部下のほうがシッカリしてくるっていうのもあるんですよね。

ウエがデキる人だと、部下はみんなウエに頼りきってしまって、じぶんで考えたり動いたりしなくなって、組織全体としては機能不全になることも多いらしい。

アホ上司は「部下と一丸となって全員でたたかう」けれど、賢い上司は「ひとりでたたかう」。

どっちが強いかは、一目瞭然ですね。

 

賢くなりたいって思うのは、多くの場合「ひとから評価されたい」っていう、ひじょうに寂しい、じつはひとりよがりな気持ちがメインなのかもしれないですね。

褒められたいから、そうなりたいと思ってるだけ。

じつは総体的に見れば、あまりトクをしているとはいえなさそうなのです。

だからヘンなはなし、賢くなろうとすることがアホで、アホになろうとするほうが賢いのかもしれませんねえ。

人から慕われるアホは、世界最強とも言える。

じぶんもしあわせで、ひともしあわせにできるから。

 

 

 

 

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