鈍感力の、鍛え方。

たまに、もっと鈍感になりたいなあと思うことがあります。

ぼくが日常で不快感を多く感じてしまうのも、敏感すぎるからというのはあります。

体調のちょっとした変化に敏感で、それがとても不快に感じたり、それが重篤な病気とかに関係してるんじゃないかと疑ったりしてしまう。

 

そこで「鈍感になる方法」とかを本とかネットで調べてみたりするんですよね。

でももうハッキリいって、クソの役にも立たん。

たとえば、「鈍感になるほど人生がうまくいく」という本の解説を読んでいると、意味ないなと思うどころか、雑すぎて腹がたってくる。

http://news.kodansha.co.jp/20161107_b01

劣等感が、人間的な成長をもたらしてくれる→劣っていることを苦に思う必要はまったくない。

怒りは「がまんする」より「気にしない」のがいい→怒りの感情を無理矢理がまんすると、それがストレスになる。

世の中は厳しいが、その厳しさを深刻に考えすぎない→いい意味で鈍感に、いい意味でいいかげんでいる。

 

わかっとるっちゅうねん。

そしてしまいには、こんなことも言い出す。

 

自意識を「無にすること」で心の安らぎを得る→今やるべきことに集中し、我を忘れる。

 

……あほちゃうん?

 

いや、だから、それができないから困ってんのって、いってんの!

 

こんな本、わるいけど「100mを9秒台で走れたら、オリンピックに出られますよ」って言ってるようなもんじゃねえか。

知っとるわいや。なにをいまさら!

知りたいのは事実じゃなくて、その方法だっつうの。

 

正直にいうと、こういうことを書いて人のタメになっていると思いこむその鈍感さが欲しい。

これで意味をなしていると思えるその鈍感さが欲しいんじゃ。

 

鈍感が良いことだ、と書くひとって、そもそも鈍感なんですよね。

だから敏感すぎて困っているひとにとっては、なーんの意味もない本が多い。

 

なぜ、敏感になってしまうのか?

ぼくは最近思うのは、やっぱり疲れてるんじゃないか、っていうことです。

考え方とか、ライフハックとか、価値観とか、そっちのほうに行ってしまうと、ワケわかんないどころか、実行不能のことばかりになるんです。

疲れていると、どうしても過敏になるんですよね。

おそらくこれは、生物学的に正しいことなんだと思います。

イヌだって、寝かせないようにずっとちょっかいを出して、むりやり運動をさせたりしていたら、イライラしはじめます。

疲れているということは、生命力が低下しているっていうことなんですよね。

だから生存確率を高めるためには、周囲の刺激に敏感になるほうが有利です。

微細な変化に気が付かなくて見逃したせいで、いのちの危険にさらされる可能性があるから。

じゅうぶんに体力があり、脳神経も休まっていたら、多少の変化なんか「知るか」ですむ。

敏感だということは、弱っているということの表現なんじゃないかな、と思うのです。

 

最近の生活において「カラダが弱っている」っていうことは、比較的少ないと思います。

食うものも豊富だし、機械も多くてカラダを使う機会が減っていますからね。

だから現代における疲労とは、神経疲労が多いんだと思います。

とくに、情報過多による脳疲労。

 

テレビやラジオ、ネット、本、音楽、新聞雑誌など。

そういったものから流れてくる「情報」を、過多に受け取っってしまうことによって、情報処理が追いつかなくなってしまっているんじゃないか。

たとえば、仕事をしながら横でYouTubeやニコニコを流しているっていうのは、じつはひじょうに神経によくないらしいです。

仕事中に音楽を流すことさえも、あまりよろしくないそうなのです。

これは僕じじんも試してみてわかったのですが、仕事中っていうのは、無音がいちばん疲れません。

好きな音楽でさえ「情報」を持っていて、それが無意識に取り込まれているようなのですね。

ネットなんか、もってのほかです。

ネットは情報のカタマリみたいなところがあるので、こんなもんを趣味でサーフィンしていたら、脳みそがヘトヘトになります。

じぶんの意識ではそれほど興味を持っていないように感じていても、神経じたいはしっかりと受け取ろうとしているんですよね。

だから「ヒマなのでなんとなくネットを」とか「疲れたから休憩にネットサーフィンを」っていうのは、敏感で困っている人は絶対にやめたほうがいいと思います。

あと動画も、疲労を強くします。

 

神経疲労ということだけでいくと、じつは「文学系の本」が、案外低いんですよね。

けっこう面白くてコーフンしちゃうっていう本であっても、意外なことにネットやテレビなどに比べると疲労感が少ないんですよね。

ネットやテレビは、たいして面白いと思ってなくても、こころはコーフンしてなくても、神経がすごく興奮している。

ひとつには「目の問題」だろうし、もうひとつは「情報量の多さ」だと思います。

ネットはとくに「検索で探せる」という余地があってウロウロしてしまったり、情報そのものにも一貫性に乏しいというのもあります。

どうしても、情報を比較してしまうところがある。

そしてなにより「ながら」ができてしまう

この「ながら」というのが、決定的に脳を疲れさせるんだそうです。

音楽を聞きながら、動画を流しながら。

いわば、マルチタスクになってしまうから。

しかし物語系の本は基本的になんらかのテーマに沿って書かれているので、情報に統合性があるんですよね。情報が多かったとしても、刺激が強かったとしても、そこに一貫性があれば、案外ひとは疲れないようです。

そして読書は、「ながら」ができないのです。

両手は塞がるし、ちゃんと読まないと意味わかんねえから、意識も分散しにくいです。

数ページふっとばしたら、全然話がわからなくなることもあります。

その点映画とかの動画は、ちょろっと意識がとんでも、なんとなくは理解ができるんです。

これが、「ながら」を助長させるんですね。

 

むかし心理学の実験で「マンガ」と「目」の関係性を実験したことがありますが、じつはマンガも、疲労を招く可能性があるという結果がありました。

視線が非常にスピーディーに動き、その距離も長く、凝視している時間も長く、脳波の乱れも強かったです。マンガというのは、案外脳疲労を引き起こす可能性が高いのかもしれません。

いっぽう文字の本のばあいは視線の動きは安定していて(あたりまえですね)、脳波の乱れも比較的少ないのでした。

 

テレビ、ネット、映画、アニメ、漫画。

こういったものは、予想している以上に脳神経を疲労させるのかもしれないです。

鈍感なひとっていうのは、こういうものに普段からあまり深く接していない可能性もあるんじゃないかな、と思ったりします。

神経がそれほど疲労していないので、些細な情報にはあまり反応しないのかも。

ぎゃくにテレビ、ネット、映画、音楽、アニメ、漫画のようなものに日常からよく接していると、神経が疲労して、過敏になっていく傾向もあるんじゃないかなと思ったりしました。

最悪なのは、好きだからといってこれらを「ながら」に接してしまうこと。

とくに生まれつき敏感な傾向があるひとほど、注意したほうが良いのかもしれません。

 

デジタルデトックスならぬ、マルチメディアデトックス。

あるいは、ながらデトックス。

鈍感力を高めるのは、いがいとこれが効くんじゃないかな。

よく休めている神経は、ささいなことでは動じない。

 

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