ほこりは、まいにち、まいにち出てる。

このお盆休みは、毎朝掃除をしています。

掃除機をつかうんじゃなくて、ほうきで掃く掃除。

 

前から気づいてたんだけど、毎日掃除しても、けっこうな量のホコリが出るんですよねえ。

「えっ」ていうぐらい出る。

寝室だけでも、ワタボコリになるぐらいの量が出ます。

掃除は1週間に1回しかしませんねとか、そういえば数ヶ月してないなとかだったら、けっこうおそろしいことになるなあ。

老人の肺炎の多くが、掃除によって予防できるという話もあります。

 

服を着ている限り、ホコリはとまらないんでしょうかね。

じゃあ全裸で生活したらホコリは出ないのかと言うとそんなことなくて、それはそれでアカとか毛とかが妨害なく落ちるので、むしろヤバいのだそうです。

ホコリが一切出ない、繊維ではないビニールとかを着るのなら、だいじょうぶかもしれませんが。

しかしフトンとかもそんな素材なら、きもちわるいなあ。

人間が生きていくうえで、ホコリはしょうがないところはあるんでしょうね。

 

「いかにホコリが出ないようにするか」

「ホコリが出る原因を突き止めて、それを解決しよう」

これを考えた時期もありましたけど、最近は、これはあんまし意味ねえなと思うようになってきました。

できるかどうかわからない、根本原因を解消しようなんてことに膨大な時間と手間を割くぐらいなら、ふつうに毎日掃除したらええやんけ。

 

こころと、掃除って、似てると思ったんですよね。

ホコリやゴミは、結局どうしたって、毎日出るんですよ。

いくら気を使っていても。

こころも一緒なんだろうな、と思ったんですよね。

こころにも毎日毎日すこしづつ、多くはないけど、ホコリが出てる。

毎日を漫然と過ごしていたり、あるいは目標とか夢とか快楽とかに征服されて隷従して生きていたら、この「毎日のこころゴミ」に、まったく気が付かないんだと思う。

見ようともしないから。

で、ある日とつぜん「膨大なこころのゴミ」が溜まっていることに気が付くんですよね。

この大量のこころのゴミは、多すぎて、なかなか取り除くことができません。

ものすごく手間と、時間がかかってしまう。

この「大量のこころの汚れ」のせいで、心身を壊してしまう場合さえある。

部屋のホコリの発生源は、ほとんどが自分自身です。

こころのゴミの発生源もまた、ほとんどが自分自身だ。

 

毎日、ほんのすこしだけでも掃除をしていれば、それほど大量のゴミやホコリが貯まることは、ないんですよね。

そして、あるていどきれいにしておけば、もし例外的に突如巨大なゴミが出現しても、もすぐに気がつくからすぐに対処できる。

汚れたままだと、ちょっとしたホコリやゴミには、まったく気が付かないのです。

 

家や部屋だけではなく、じぶんのこころについても、同様の姿勢が必要なのかもしれませんね。

こころにゴミが溜まっていないかどうか、毎日チェックする時間を持つ。

そして毎日、できるだけキレイにしておくように、こころがける。

 

「こころが汚れないようにする」

「こころにゴミが発生しないようにする」

……っていうのは、「家のホコリの元を断つ」っていうのと同じぐらい、妄想的で非現実的な志向なんじゃないかなと思います。

生きている限り、生活をしているかぎり、汚れるのはしょうがないし、ゴミが出るのも、ホコリが出るのも、しょうがありません。そういうものです。

しかし毎日できるだけ掃除をしていれば、万が一大量のホコリが出たとしても、問題になりにくいし、処理もしやすい。

でもずっとずっと長年掃除をサボっていたら、ある日突然、膨大な量のホコリに肝を潰し、処理にあわてふためくことになる。

 

座禅というのは、「方向性」を養うものなのかな、と思ったりました。

禅そのものは、こころの掃除とかではなくて、「掃除をする姿勢を養う」ものなんじゃないか。

現実の生活で起こったトラブルは、座禅では解決できないですもの。

日々発生したこころのゴミは、座禅というメソッドで浄化するのではなくて、そのゴミに応じたやりかた、道具で、現実的に掃除するしか方法はありません。

こころの汚れは禅で浄化するのだ、もしそんな志向性があるとしたら、「こころの実際の掃除」は、一切サボってしまうかもしれません。

部屋の掃除をしようというのに、その部屋に籠もって何時間も瞑想をしていたって、ひとっつも部屋はきれいにならないのとおなじです。

こころのゴミは瞑想でなんとかするのではなく、適した方法で直接処理しないといけません。

 

こころには、まいにち、まいにち、ホコリがたまる。

そのホコリは、座禅で掃除するんじゃなくて、現実的な方法で掃除する。

そのために、こころの掃除は、あとまわしにしてはいけないのだ。

「おまとめ」で掃除をすると、ものすごく大変なわりには、じつはそれほどきれいにならない。

大変すぎて、掃除の最中にケガしたり、体調を崩したりもする。

そうならないように、まいにち、まいにち、掃除するんでしょうね。

座禅はこころの掃除そのものじゃなくて、「こころのゴミに気がつく練習」なんだと思います。

 

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