ちゃんとしようぜ

先日、「ハナクソをいったい、どこへ捨てているのですか。」という記事を書きました。

けっこうきちんとしているように見えて、じつはぼくは大変不潔なことをしているのですよね。

ハナクソを、そのへんの床にピっ! とか。

いわゆる汚部屋みたいなことはなくて、パっと見はまあまあキレイにしているほうだとは思うんだけど、案外きたねえことしてたんだよなあ。

 

もうひとつ、気がついたんですよね。

ペットボトルの直飲み。

1.5リットルのミネラルウォーターのペットボトルに、直接口をつけて飲む習慣があったんですよね。

1.5リットルだから、2~3日は保つわけですよ。

ペットボトルを直飲みすると、その中の水は数日経つと50倍ほどに菌が増殖するらしいんですよね。

カフェオレ的なものだったら、数百倍から数万倍にまで激増することもあるんだそうです。

 

「細かいことは気にしない」

そういうのが男らしいというか、寛容な姿勢のように思っていた時期もありました。

でもこれは完全に「若気の至り」なんですよね。

そういう雑な習慣は、若いからある程度天地に許してもらっていただけで、トシ食ってきたら、もうそういうのはやめないといけませんね。

疫学的にどうこう以前に、下品なのは、やっぱりよくないです。

 

基本的なことがきちんとできてない人に限って、人のせい、環境のせい、社会のせい、運のせいにするんですよね。

つまりは、クソ野郎なんだ。

手取り14万円の人が「日本終わってますよね」と言ったことに対して、ホリエモンは「お前が終わってるんだよ」と喝破しています。

賛否両論あるだろうけど、ぼくはホリエモンの意見に賛成です。

働ける場がちゃんとあるのに、その機会を活かせていないほうがわるいと思う。

ぼくはパニック障害で会社をやめて自営にならざるを得なくなったのに、こんどは外出恐怖症になって営業に行けなくなりました。

派遣でもバイトでも、会社というところに行けるひとが、とってもうらやましかったです。

収入のアテがあるというだけで、ほんとうにうらやましかった。

仕事があるっていうものすごくラッキーな環境にいるのに、会社がわるいとか、じぶんに合わないとか、日本が終わってるとかいうのは、ほんとうにひどいなあと思う。

なんとか無い知恵を絞り、食うや食わずで危機を乗り越えたからこそ思うけど、文句は命がけで戦ってから言えっつうんだよなあ。

そして、やっぱり結局、基本的なことをきちんとしていかないと、どんなことだって成就しないということも身を以て知りました。

 

最近、パニック障害や自律神経失調症だって一緒なんだろうな、と思うんですよね。

自分の異常性のせいだと思い込むのは、じつはとってもズルいかもしれないのです。

異常だから病気になったのではなくて、「いまやっていること」が異常なのかもしれないのですよ。

そして自分の行動の異常性というのは、なかなか自分では気がつかない。

わたしはなにもヘンなことはしていない、わたしはわるいことは何一つしてない、と思い込む。

そんなことなかった。

案外ぼくは、たいへん雑で不衛生なことを無意識にやっていたりします。

いちばんの、根っこの根っこは、この「じぶんが見えていない」ってところなんじゃないかな、と思うんですよね。

結局なんだかんだいって、自分を正当化しているんです。

 

床にハナクソをピっ、それをやめたら病気が治るかというと、そんなことはないと思います。

ペットボトルの直飲みをやめたら病気が治るかというと、そんなことはないと思います。

毎日掃除をしたら病気が治るかというと、そんなことはないと思います。

そういうことじゃないんだ。

「基本的なことを、きちんと意識してやっているかどうか」

ここが重要なポイントだと思うんですよね。

一事が万事、どこかに雑な行動があるということは、こころのなかにも、雑なところがある。

トラブルという悪魔は、いつもその未整理の一点を突いてくる。

カンペキにすることが大事なんじゃないんですよね。

できなくてもいいから、自分にどんな弱点があるかを「知っている」っていうことが、ものすごく大事なんだと思います。

しかし残念ながら、多くの場合、その弱点を、本人はまったく気づけない。

 

自分のことを神経質すぎるんじゃないかとか、もっと雑な考え方でもいいんじゃないかとか、そんなふうに思うこともありました。

しかし今は、そんなことを思っていた自分をぶん殴りたいです。

冷静に考えてみれば、無神経でいい加減なやつに限ってじぶんを繊細だと言うものなんです。

きちがいがじぶんを正常だと主張し、酔っぱらいが酔ってないと主張するように。

主観だけで自分のことを認知して、勝手にレッテルを貼るからです。

毎日掃除を3ヶ月続けたら、ほんとうの自分が見えてきました。

ぼくは神経質でも繊細でもなく、むしろ真逆の、ただの雑で無神経で怠惰なドンカンやろうでした。

これに気がつけたことは、大きいです。

自身の性質を、誤って認識せずにすむからです。

ほんとうは神経質でもなんでもないのに、それを神経質だと思い込むと、めちゃくちゃな方向に進んでいってしまう。

ぼくは「粗雑」を目指すべきではなく、もっと繊細さを目指すべき男だったのです。

 

神は細部に宿る、ともいいます。

細部をおろそかにするということは、神様は来てくれないということ。

ペットボトルの直飲みはやめて、ちゃんとコップに注いで飲む。

そしてそのコップも、毎日ちゃんと洗う。

ハッキリ言って、それがどうしたんだ、です。

そんなことで何かが劇的に変わるなんてことは信じられません。

でも、それを、するか、しないか。

そこに重大な分岐点がある、と思う。

 

探しものは、きちんと整理しなければ見つからないです。

顔面蒼白になって高い目標に挑戦するまえに、基本的なことを、あたりまえのことを、ちゃんとする。

怠惰や下品に流されていかずに、しっかり両足で立ち、王様のように威儀を正せ。

それができてはじめて「応用編」に進むべきなんでしょうね。

というか、これはぼくのカンだけど、基本的なことをきちんとしていれば答えはいつか自動的に出現してくるのだと思います。

自分自身を見つけられなければ、自分がほんとうに求めていることを知ることも、ほんとうの自分に帰ることもできないです。

ネットでノウハウやソリューションを探す前に、まずはオノレの生活をととのえよ。

話はきっと、それからですよね。

 

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