石鹸・健康・環境の喧嘩風景

昨年中盤から今年の夏にかけて、「タモリ式入浴法」というのをやっていました。

もともと少し乾燥肌ぎみだったので、試してみようと思ったのです。

数ヶ月続けたぐらいで四の五のいうのも男らしくないから、1年ぐらい続けてみました。

 

結論から言うと、やっぱ石鹸は使わんといかん、ということになりました。

確かに、皮膚のパサツキはかなりマシになります。

またよく言われるように1ヶ月もすればアタマのネバネバもなくなってくるし、一時的に強くなった体臭も消えていきます。

しかし勘違いしてはいけないのは、体臭が消えるわけではないのです。

一時的に強くなった体臭が消えるだけで、石鹸を使っていたころよりもニオイが確実に低減するというわけではない。

体臭というのは、おそらく石鹸や洗浄ということとはまた別の要因(たとえば食ったものとか、かいた汗の量とか質)にも関係しているのだと思います。

だからタモリ式を続けたからと言って、体臭がずっと消えるわけでもないです。

 

それよりも問題だったのは、1)細菌性の病気の可能性 と、2)精神的に落ち込みやすくなる でした。

タモリ式を続けてから半年、足の甲に水虫のようなものができるようになったのです。

正確には水虫ではなく、おそらく白癬菌が原因のタムシ的なものだと思います。

白癬菌に効く薬を塗ったら、消えました。

また足首やふくらはぎにも水疱ができて、これは家にあるどんな薬も効きませんでした。

また気管支も炎症を起こすようになって、これはタモリ式のことだけが原因ではなく、エアコンのカビなどの影響もあるかもしれませんが、とにかく毎日風呂で石鹸を使ってカラダを洗うようになったら徐々に治っていきました。

ぼくは在宅ワークでほとんど家を出ないので、どこかでバイキンをうつされたという可能性はとても低いです。

またもともと、水虫を患っていたわけでもありませんし、肺炎などもありません。

タモリ式を長期間継続することで水虫や気管支の不具合が出たり、石鹸でからだを洗うようになったらそれが消えたというのは、まったく関係がないとは断言できないのです。

 

もうひとつの精神的なことは、これは確実に関係がありそうです。

石鹸をつかわず、風呂で湯船につかるだけ、流すだけということを続けていくと、メンタルがおかしくなってくるのです。

鬱々するような気分、妙に抑圧されているような感覚が増えてきて、いわばプチうつのような感じになっていく。

しかし石鹸を使ってサッパリ洗うようになりましたら、そんなへんな感情も消えていきました。

風呂に入らないとウツになりやすくなるというのはけっこう有名な話ですし、清潔と精神の健康には、きっと何らかの関係があると思います。

 

石鹸・洗剤不要論、とでもいうようなものがあるのです。

石鹸や洗剤は環境を汚染するし、また除菌は皮膚の正常な菌叢を破壊して免疫を低下させる。

この不自然な製品は断固使用を避けるべきである、というような。

そのための科学的(に、見える)エビデンスを大量にコレクションして、強く主張をするのです。

ぼくもこれを一時期信じだことがありましたが、自分自身への人体実験の結果、これはおそらく完全な論理ではないと思います。

よく人間が陥る「自分の主義に合致する情報をコレクションしてそれを強化していく」という確証バイアスの影響を多分に受けた思考体系であり、また一種のイデオロギーに過ぎないものかもしれない、と結論するに至りました。

 

べつの「実証」もあるのです。

感染症発生率が70%減少!子どもたちが石鹸を使いたくなる“Hope Soap”プロジェクト

アフリカの子どもたちに石鹸を日常的に使わせたところ、感染症の発生率が70%も減少した、というものです。

石鹸を使うのをものすごくめんどうくさがるので、一計を案じ、石鹸の中に「おもちゃ」を仕込んだのだそうです。

するとそのおもちゃを取り出したいがゆえに、子どもたちは毎日いっしょうけんめい手を洗うようになった。

結果、病気も格段に減っていった、という話。

 

石鹸をきちんと使えば、感染症は減る。

これはなにも石鹸会社の陰謀でもなんでもなくて、効果があったから石鹸というものが普及していったのです。

いや日本は昔、石鹸なんかなかったんだ、ワラの灰とかでやってたんだ、だからそれでいいんだという人もいます。

しかしそのワラ灰を使っていた当時、日本人はコロコロ病気で死んでいっていたのです。

とくに乳幼児の死亡率がエグかった。

現在の日本人が長寿なのは、医療技術の発達とあわせて、清潔のおかげで感染症が激減したという疫学的背景もきっと無視できません。

 

環境的に考えて、日本は本来「きたない」はずなのです。

雨の多い、亜熱帯に近い気候で、湿度が高く、晴れた日もどちらかといえば少ないです。

だから清潔ということは健康な生活を送る上でかなり重要なファクターであると考えて良いと思います。

だからこそ「みそぎ」という概念が、日本では高度に発達したのかもしれません。

「払う」という掃除の概念や、塩や水、火で浄化するという、おそらくは中国由来だけではない独特の文化もあります。

これは高温多湿で病原菌の大量繁殖が起こりやすい環境がゆえに、ながい歴史の中で生まれた防衛手段だったのかもしれません。

 

ここ最近清潔な環境に慣れてしまったがゆえに「ナメはじめた」のかもしれないのですよね。

たしかに、破傷風菌などの菌の被害はあまり聞かなくなりました。

でも勘違いしてはいけないのは、有害な細菌が全部絶滅してしまったわけではないのです。

かなり清潔になったおかげで感染の確率が低下しただけで、菌そのものはまだ、うようよいます。

風呂もなかった昔の人たちは、現在の「マイクロバイオータ仮説」でいえばかなり「菌的に強い」人間だったはずです。

しかしそんな当時の人間でさえ、さまざまな菌によってたくさん殺されてきたのです。

どうしてそれを、忘れてしまうのか。

バランスのとれた菌叢や免疫などというちゃちな防壁では防げない、非常に強力で有害な細菌やウィルスというのは、まさにいま、この日本にも「いる」のです。

それを防御するのに一役買ってくれたのが、やはり「石鹸」という存在なんだと思います。

 

むろん、病的に除菌をするというのは「逆効果」ということは、あると思います。

しかし清潔な環境の内側ばかり見て、この世にはコワイ菌などいない、マイクロバイオータだけですべての悪玉菌を駆逐できると考えるのは、井の中の蛙を通り越して、あたまおかしいとしか言いようがありません。

だって、いるんだものなあ。

不潔にしておけば強くなる、というのも、間違いではないとは思います。

でもそれにも、限界はある。

その理屈が本当に正しいのなら、アフリカなどの発展途上国には感染症は一切なく、この世にはバイキン由来の病気なんかもともと発生していなかったはずなのです。

ここ最近ちょろっとバイキンを見かけなくなったからといって「人間には無限の免疫力がある」とか思い出すのは、傲慢以外の何者でもありませんよね。

清潔すぎるのがわるい、というのは確かだけど、清潔がわるい、無意味だという主張はちゃんちゃらおかしいです。

ぼくたちは、清潔に守られているおかげで、いまこうして、のうのうと生きてる。

なのに「清潔はいらない」だなんて言い出すのは、ほんとうはオカンのおかでげ生きているくせに、そのオカンを毛嫌いする世の中ナメくさった反抗期のバカ息子みたいなものです。

 

だからぼくはやっぱり、毎晩ちゃんと風呂に入って、ちゃんと石鹸でカラダを洗うことにしました。

ぼくの親父もオカンもずっとそうやって生きてきたけど、80歳超えてもまだピンピンしてます。

マイクロバイオータがどうのこうの、清潔すぎるのは免疫がどうのこうの、そんなことをグジグジ言っているぼくが、いちばんよく細かい病気をしてます。

そりゃあ何も、毎日アルコールとかで全身除菌、までは必要ないかもしれません。

でも、石鹸でサっと洗うぐらいは、やろうぜ!

それぐらいでぶっ壊れちまう免疫システムなら、もういらないんじゃね?

弱すぎるよ!

 

石鹸は微生物がちゃんと分解できるので、環境的にも安全だとさかなクンが言ってました。

一時期石鹸よりも合成洗剤のほうが良いという話が出たこともありましたが、もう立ち消えましたよね。

環境を云々するのなら、石鹸がどうのこうのいうまえに、クルマの排気ガスとか、工場からの汚染水とか、放射能とかのほうを、なんとかせえっちゅうねん。

人間が1日に1回風呂入って出した石鹸水程度でカラダを壊すほど、地球はそんなにヤワなのか?

ちゃんと下水処理してても、ほんとうに環境は破壊されるのか?

そのへん、ちゃんと勉強したいですね。

 

自然派志向っていうのも、もしかしたら「代償行為」なのかもしれませんね。

こころの中に抱えているルサンチマンを「現代技術への反意」をもって象徴的に解消しようとしているのかもしれません。

いわゆる、養老孟司さんがいう内的な「都市と田舎の抗争」。

だからあれだけ情熱的なのに、視野が狭小で、論理はかなり主観的に偏って、矛盾しているのかも。

攻撃できれば、反抗できれば、それでいいだけなのかもしれない。

 

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