北方の血、南方の血

気候によって性格が大幅に変わる、という説があるそうです。

https://wired.jp/2018/04/22/climate-change-will-not-make-us-nicer/

 

ザクっというと、寒い地方の人は勇敢で攻撃的であり、暑い地方の人は温和で平和主義である、というものです。

これはわりと、納得感がありますね。

 

たとえばモンゴルやロシアなどは古くから勇猛で攻撃的なイメージがありますし、今でこそオシャレで平和なイメージがあるノルウェイやフィンランドは、その昔は外国から「悪魔」とさえ呼ばれていたバイキングの土地でした。

相撲でもモンゴルの力士さんはたいへん強くて、場所中はもはや「鬼」のように見えることがあります。

北朝鮮も、かなり気合入ってますね。

北方系つまり寒い地方の国のひとというのは、良し悪しということではなく、全般的に勇猛で厳格というイメージは確かにあります。

いっぽう、赤道に近い国の人たちは、平和で友好的で、ぼんやり、のんびりしている雰囲気があります。

タイなんかは「ほほえみのくに」とさえ言われますしね。

ハワイやパプアニューギニアなど、赤道直下の国々は「楽園」とさえ言われることがあります。

インド人も、怒ると怖いですが普段はいっつもヘラヘラニコニコしていました。

 

北方系の人が勇敢で厳格になるのは、とりもなおさず「寒さ」のせいのようです。

人間というか生物は基本、「暑さ」よりも「寒さ」のほうが、決定的に「ヤバい」。

直接的に、生死に関わるからです。

だからつねに緊張しておかないといけないし、自力での熱生成能力も高くないといけないので、よく動くし、血圧も高くなる傾向がある。

「内なる熱」が高いため、いいふうに出ればそれは勇敢となるけど、獰猛にもなりやすい。

目的指向性が高いため、イレギュラーを許さない厳格さや、柔軟性の欠如が出てしまうこともある。

いっぽう南方系の暑い国のひとは、これとちょうど逆になるようです。

基本的には死ぬ危険がすくないためリラックスが強く、動きまわるほうがかえってエネルギーを消耗してしまうので、活動性は低くなっていく。

脂肪細胞は少ないものの、脂肪を燃やす機能が弱いため、食べ過ぎると太りやすくもなるようです。

 

さておき、仏教の流派も、この観点から見てみると面白いのです。

タイやミャンマーなど熱帯雨林地方に伝播していったいわゆる南伝仏教は、戒律は厳しいものの、全体的には非常に平和的でやさしい雰囲気があります。

「癒やし」の要素が強い。

いっぽう中国やチベット、モンゴル、韓国、日本などに伝播していった北伝仏教は、強烈に厳しい修行が特徴で、たいへん厳格な雰囲気があります。

「パワー」の要素が強く、平和主義の仏教なのに、なぜか格闘技が生まれた。

 

面白い話があって、タイ仏教のお坊さんが日本のある禅寺に修行をしに来たそうです。

そのお寺の住職さんはあきれかえってしまった。

とにかく、修行をしないそうなのです。

作務という家事もしなければ、「寒すぎる」といって坐禅もせず、袈裟が汚れるといっては仕事もせず、寝転がってずっと携帯電話をいじっていた。

結局大阪とか京都の観光に行くといって、帰っていってしまったんだそうです。

これをして、禅のお坊さんは「甘えている!」といってかなり怒ったとか……。

 

この話を「北伝仏教と南伝仏教のどちらが正しいか」という論点で語れば、南伝仏教はちょっとナメてんじゃないか、なんて見えなくもないです。

しかしそう思うぼく自身はすでに「北方系」の文化に染まっています。

もしかすると南伝仏教ではそういう姿勢が「正しい」のかもしれません。

すべての執着を捨てるのだから、「修行への執着」すらも捨ててしまっていると解釈すれば、なにも矛盾はありません。

だからもしかすると、これは双方の教義に優劣があるというよりも、単純に「寒い国の人」と「暑い国の人」の性格的な差異ではないか、なんて思ったりしました。

 

どうもぼくには、わりと色濃く「北方」の血が流れているかもしれません。

今でこそ目が二重でやや凹凸の強い顔になってきましたが、若い頃は完全なる一重で彫りが浅かったです。頭髪は濃いものの直毛で硬く、体毛は薄く、骨が太く、筋肉が多い。

目が一重、顔の起伏が少ない、体毛がうすい、直毛、骨太、筋肉質あるいは大柄というのは「北方系」の典型なのだそうです。

朝青龍なんか、まさにそんな感じですよね。

しかしぼくには耳垢が湿っている、成長するにつれて二重になるという、南方系の要素もあります。

日本人の多くは「混ざっている」ので、こんなもんなんでしょう。

ただ全般的に見ると、体質的には北方系の要素が強いようです。

 

だからなのか、坐禅をするにしても結局ぼくはテーラワーダ系には食指が伸びなかったのです。

それよりももっと厳格で規律正しく攻撃的な、日本の「禅」のほうが性に合っていました。

姿勢も重要ではない、座り方も自由でよい、生活の規範もとくに問わない、そういう一見自由な感じのあるテーラワーダ系仏教が、どうにも物足りなく感じたのです。

もちろん実際の修行はとても厳しいかもしれませんから、これはあくまでぼくの受けた「印象」だけの話ですけれども。

とにかく「厳しさ」がないと、どうにもピンとこない。

 

暑いところよりも寒いところのほうが好き、湿気ているよりも乾燥しているほうが調子が良い、サボることがきらい、服は詰め襟やタートルネックのように首が閉じているものが落ち着く。

ダラダラしているやつ、気の弱いやつ、すぐ泣き言を言うやつ、チャラチャラしたやつ、ヘラヘラしたやつ、ドジなやつを見ると、可愛いとか可愛そうとかいう感想よりも前に「シバきたい」という衝動のほうが先に出る。

ネコよりウマとかイヌとかオオカミとかのほうが好き、砂漠とか雪原を見るとなぜかコーフンする、強い酒が好き、ジューシーな肉よりパッサパサでカッチカチの肉のほうが好き、などなど、全体的に「北方嗜好性」があるような感じもあります。

ぼくには北方南方両方の傾向が混在していて、やや北方が強い、という感じかもしれません。

ていうか「北方系の要素が前に出ている」ときは、そこそこ調子が良いときでもあります。

南方系の要素が前に出ているときは、たいへん調子がわるい。

 

もし性格というものが、先祖たちが悠久の年月を経て獲得してきた「環境適応の結果」だとしたら、これを改善するとか治すとかいうのは、ちょっと無謀なのではないか、なんて思ったりしました。

セミナーを受けたり、勉強したりしても、あんま意味ねんじゃねえの。

「血」なら、しょうがないんじゃないか。

治すとか治さないじゃなくて、特性に逆らわないように生きていくのが、自然かもしれないですね。

 

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