強欲は無力

母の妹さんが亡くなってから、その遺産分割が進行中です。

相続権のある肉親が合計8人いて、その調整を母と父が行っています。

どれほどの金額が相続対象になっているのか具体的に聞いてはいませんがそれほどの額ではないようで、それも8人で分割するので相続でウハウハ的なことでないことは確かです。

なのでわりとすんなり相続手続きは進行していきました。

 

亡くなった妹さんの遺言で、所有していた家(マンション)は売らずに姉つまり僕の母に管理をしていってほしい、ということでした。

ただこれは遺言として文書化してはいないので、法的な効力があるわけではありません。

とはいえ妹さんが病に伏してからは母がずっとその面倒を見ていて、それを知っている相続権者親族はほとんどそれを承認していました。

しかしほぼ全員がハンコをつたいところで、一人だけこれに異議を唱えたのでありました。

「私にもそのマンションを相続する権利がある。1/8よこせ。」

と、強硬に意思表示をしはじめたのでした。

マンションを分割することは難しいので、要するに売って現金化し、その1/8のカネをくれ、ということなのでした。

 

母はたいへん情けながっておりました。

「親族の死に際して、文書化していないという理由でその遺志を反故にしろとはなんと強欲なことか」

妹さんはハッキリと言ったのだそうです。

マンションは売らずに、お姉ちゃんあなたが管理してください。そして母(ぼくからするとおばあちゃん)と一緒にお墓に入れてほしい、と。

文書化していないかった母や妹さんに問題があるといえばそうですが、病に伏している時ゆえ文字さえも書けなかったのだそうですし、何よりも一切の人情なく権利を主張しただ現金化してカネをよこせというのはどうにも解せない、というのでした。

 

ぼくはずっとそばで母の動きを見ていたので、同じようにそう思いました。

母は律儀なうえに超絶的に不器用なので、ウソをついてまで遺産をブン捕ろうとするような人種ではありません。

おそらく妹さんはほんとうにそう言ったのだと思います。

親族の言葉を信用できないという点と、事情は斟酌せずとにかく権利を主張し死者のカネまで毟り取ろうとするその根性に、ある種の恐怖心さえ覚えました。

なんと強欲であることか。

 

少額とはいえ遺産相続の手続きというのは大変なのです。

父母はもう80歳前後で、母は体調が悪い時もあるのに何度も銀行に通わされていました。

体力的にも精神的にもかなりキツいようでした。

なのでぼくは、早くこの作業が終わってほしいと願っていました。

そこへきて、もうこれで終わり、完了というときになって、突如その親族が強硬な態度に変化してしまったのでした。

ああ、かわいそうに。

またこの面倒な手続が続くのか・・・。

 

父母は疲労が溜まって、たまにイライラすることもありました。

その親族のことを悪し様に言うこともありました。

さもあらんと思います。

ようやくこの面倒な作業から開放されると思ったら、その親族のおかげで降り出しに戻ってしまうのですから。

気持ちはわからなくはないです、しかし言っても詮のないことです。

法的にその親族にも確かに、1/8の相続権がある。

たった一人の強硬な反対によって、遺産相続手続きが急遽停滞する。

そんなことは、おそらくよくあることなのだろうと思います。

 

父母とその話をしていて、ぼくは唐突にひらめいたのでした。

「ちょっとまって。ネットで調べてみる」

ネットで調べたのは「現物分割」という手法についてでした。

 

整理をしてみたのです。

いま父母は「何に困っている」のか。

そしてその理由は、どこに執着しているからなのか。

ある親族1名の反対事由の、どこに怒りを覚えているのか。

整理をしてみると、じつはまったく複雑ではないことがわかったのです。

 

・母は妹さんの「家を売らないで」という遺志を引き継ぎたい。

・反対親族は、お金がほしい。

 

たったこれだけのことだったのです。

父も母も、そしてぼくもひとつ「抜けていた」のが、「母にも権利がある」ということでした。

 

確かに、妹さんがマンションを母に譲渡したいという遺志は明文化されていません。

それを聞いたのは母だけです。

だから法的にはこの遺言は効力はありません。

しかし法的に効力があることが、ひとつあります。

「母のハンコ」です。

 

親族全員に同意・拒否の権利があるということは、母にもあるということです。

妹さんの遺言には法的な効力はありません。

しかし「母の意思」には、効力がある。

たったひとりの反対で遺産分割手続きの進行が停滞するということは、母が反対しても進行は止まるというわけです。

あたりまえだけど、これを忘れていました。

「はやく同意をとりつけねば」・・・そのことに強く執着していたことで、肝心なことを見落としていました。

 

母は、遺産がほしいのではないのです。

妹さんの「遺志を守りたい」ということをメインミッションとしている。

そこが見えたら、ことはものすごく簡単なのでした。

 

「現金化ではなく現物分割でなければ、私は同意しない」

 

たったそれだけの主張で事足りる。

そしてこの一連の悶着について母側とその親族(仮にAさん)の「強み」「弱み」を分析してみたところ、これはもう、圧倒的に母に強みがあることも判明しました。

 

母側の、なにが強いのか。

それは「無欲である」ということなのでした!

 

法的に正しく遺産分配され、全員に遺産が行き渡るというのに、Aさんがなぜ今になって強硬に追加相続権を主張するのか。

「よけいにお金がほしい!」

という欲があるからです。

マンションを売ってカネに変えれば、確かに一定のお金は得られるかもしれません。ただその売却額の1/8になりますが。

しかしマンションの現金化に母が反対すれば、相続手続きはすべてストップします。

母は、お金はいらないのです。

だから10年でも20年でもハンコを押さないでいられる。

そうなれば一銭も入らない時間が無意味に継続するわけで、親族全員の不興さえ買うかもしれません。

そして頑張ってなんとか母をねじ伏せたとしても、得られる金額は売却額の1/8になり税金も引かれ、雀の涙である。

Aさんの主張のせいで、親族全員が相続の「機を逸する」のです。

Aさんが条件を飲めば親族には一定のお金が今すぐにでも入るというのに、Aさんがよけいな欲を出したせいですべてが灰燼に帰してしまい、あまつさえ恨みも買う。

 

調べたかったのは「マンションの現物分割は現実的ではない」ということです。

可能は可能なのです。

しかし部屋の1/8だけ所有するというのもわけがわからないし、売ろうと思っても全員の同意が必要になる。住むにしてもややこしいです。

管理費や税金も、住んでいないのに1/8づつ支払い続けねばなりません。

だれがこんな面倒なことを望むだろうか。

 

その話を母にしたところ、

「あ。そうか。」

と、とたんにスッキリしたようでした。

 

きれいごとでではなく、母も、父も、ぼくも、遺産のお金がほしいのではないのです。

ぼくに至ってはもう全部断るべきではないか、とさえ思っています。

というのも父も母も年金受給者で、とくお金に困っているわけではないのです。

ぼくも仕事があるので、裕福ではありませんがとくに困窮しているということではありません。

その遺産がなくたって十分に生きていけるのです。

そしてそもそも、そのお金は本来からしてぼくたちのものではない。

 

ぼくたちにはもう「ほしいもの」なんかないのです。

いえ、正確に言えばないこともないのですが、それはお金で買えるものではありません。

ぼくたちはもっと強欲なので、お金で買えないものを欲しがっています。

それは、心の安寧です。

 

労せず得たお金というのは、労して得たお金の価値を大きく下回ります。

人に喜んでもらって感謝してもらって得たお金こそが、ほんとうのお金なのです。

だれかが一生懸命に蓄えたお金はぼくのお金ではありません。

それを相続で剽窃しようというのは、倫理的な意味ではなく実質的現実的な意味において、あまり良いことではないと考えています。

 

そんな曖昧なものより、いつまでもたのしく機嫌よく働くことができる、健康と知恵がほしい。

これこそがぼくの願いで、これはお金では買えないのです。

だからお金は、そんなにはいらない。

健康とアタマがあれば、金なんか稼げばすむのですもの。

 

強欲は、無力である。

きょうはそんなことを思い知った日でありました。

 

 

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