生きるテンポ

ううむっ!

ぼくは、勘違いをしていた。

勘違いをしていたぞ!

 

自律神経をととのえるのには「生活のリズムをととのえよ」ということがよく言われます。

「体内時計」ということばも出てきたりして、自然のリズムに合致した生活が良いといわれるのです。

そこで、毎日決まった時間に寝起きする、3食決まった時間に食べる、朝型にシフトする、などの方法論にブレイクダウンしていくわけであります。

 

さて、「リズム」とは、音楽用語であります。

そこでご存知だろうか。

・リズム

・テンポ

というのは、全く意味が違っていた、ということを!

別物だったのであるなあ。

 

いろいろ調べてみたけど、ぼくは音楽にものすごくウトいので正直よくわかっていません。

しかしすくなくとも「リズムとテンポはまったく別物の概念である」ということはわかりました。

そして、音楽をたとえば人体に例えるならば、テンポというのは「背骨」である、とも思った。

 

勝手なイメージで「リズム」というのは「規則的に繰り返す音種の総称」だと思っていた。

つまり「リズム」のなかに「テンポ」や「ビート」「グルーヴ」などが含まれているのだ、と思っていたのです。

どうもちがうらしい。

リズムもテンポも、本来別の概念のようなのです。

 

いろんなサイトで調べたところによると、

テンポ=速度

リズム=秩序

ということになるのかな、と思いました。

 

つまり緩急、強弱、高低、音の種類、雰囲気その他もろもろをひっくるめたところで生成される「秩序」こそが「リズム」である。

なのでたとえば歌うとき、ただテンポにだけ併せて歌っていても、微妙にズレていくし、不自然な感じになる。へんな感じになる。

テンポとリズムの両方に合致することが、音楽ということらしい。

テンポにも合わせられず、リズムにも合わせられないことを「音痴」という。

 

だから自律神経についても「生活のリズムをととのえる」というのは、たしかに正しいことを言っているのだと思います。

リズムすなわち、生活秩序の再構築である。

テンポだけを正すのではなく、テンポにもリズムにも合わせる。

そしてこの「リズム」は、必ずしも一定規則ということではなく、イレギュラーもひっくるめて相対的な秩序のことを指す。

 

ここで問題がある。

それはとっても、むずかしいこと。

だって、もうグダグダなんだものー。

 

自律神経失調症っていうのはいわば「いきることの音痴」なのかもしれません。

呼吸も不規則、動作も不規則、寝る時間や食べる時間などのタイミングも不規則、考えることも不規則、こころも不規則。

それで秩序が崩壊してしまって、もうグダグダの、バラバラなのであります。

そこでこの「秩序」をとりもどすべく、頑張ろうと思う。

でも、もうダメなのであります。

音痴になっちゃったから。

 

どうすればよいのか。

こういうときは、「基本から」やりなおすべきではないか。

リズムなどという、複雑で高等で有機的なことに手を出すまえに、まず機械的な「テンポ」から復活させるべきではないか。

つまり「基本的なテンポ」を生活の軸として再構築すべし。

音楽において、テンポとは背骨である。

生活においても、テンポはまた、背骨である。

 

テンポというのは、「真理」にすこし似ていますね。

相対的なものではなく絶対的なもので、どのような事柄にもかならず潜在していて普遍的なものである。

 

ま、そんなことはどうでもいいんだけれども、だから結局、人間における「基本的なテンポ」とはどのようなことであろうか。

テンポ「60〜100」。これが「ヒトの基本的なテンポ」かもしれません。

安静時は60〜70ぐらい、歩いたり仕事をしたり、活動をしているときは80〜100ぐらいではないか。

これは心臓の鼓動と近く、人が心地よいと感じるテンポなんだそうです。

これから大きく逸脱すると、違和感を感じる。

そしてこれが乱れると、不愉快になる。

 

ちなみに、歩くテンポは「80〜100」ぐらいがちょうどいいと個人的には感じます。

60になるとちょっとトロすぎて、あんまり気持ちよくない。

120とかになると「競歩」みたいで、これはもうトレーニングというか、競技みたいになります。

せわしない。気持ちよくない。

 

歩いているときに音楽を聞いたりするのですが、案外激しめの音楽でも、じつは「テンポ80〜100」のものはけっこう多いんですよね。

これはウォーキングにぴったりなテンポで、テンポ80ぐらいの音楽を聞きながら歩くとなぜか心地よく、疲れが少なくなったりします。

テンポが合致すると疲労が減るようなのです。

しかし「テンポ60」などのゆっくりした音楽、たとえばインドのシタールみたいなのとか一部のハワイアンミュージックとかを聞きながら歩くと、異様に疲れることがある。

おそらくは「耳から入るテンポ」と「行動のテンポ」に齟齬が生まれて、その調整によけいなエネルギーを使ってしまうのかもしれません。

だからテンポは遅ければ遅いほどよい、ということでもないようです。

 

ぼくは音楽の才能がないので間違っているかもしれませんが、以下がたぶん「テンポ80〜100」ぐらいの音楽ではないかと思います。もうちょっと、速いかな?

このへんが散歩っていうかウォーキングに適したテンポだと感じています。

 

いっぽう、雰囲気はなんとなくやさしんだけど、案外すげー速いのはウォーキングには向かない。

この曲かなり好きな曲で、あかるいし、でも雰囲気はなんか癒やしっぽい、やさしい、のんびりしてる感じもあるんですけどね。でも実際には、テンポがすげー速い。

これが「グルーヴ」というものなのかもしれません。雰囲気と、実際の速度は必ずしも一致しない。

これを聞きながら歩くと、しんどいんですよね。

あるくテンポに合っていないから、なんかへんな感じになるんでしょうか。

これは「走るときの曲」ですね。

 

 

だから結局、歩くときや走るときにいちばんいいのは

「無音」

です。

へたに音楽を聞くと、それにテンポが乱されたり、拘束されたりしてしまう。

音がなければ自身の自然なリズムで動くことができるから、抑制もされないし、加圧もされない。

 

自律神経がおかしいのは、「軸となるテンポ」が崩壊している、っていうこともあるような気がします。

「テンポ60〜90」っていうことを、すこし意識してみようと思います。

ぼくはじぶんで薄々気がついているんですけど、どうも行動が「テンポ120」ぐらいになっていることが多いです。

そして何より、それが非常に乱れていることが多い。

きゅうに思い立ったように速くなったかと思うと、とつぜん遅くなったりする。

リズム感ならぬ、テンポ感が崩壊しちゃってるんですよね。

 

ちなみに、音のテンポと呼吸のテンポには有意な相関があるという実験もあります。

はやい音楽を聞くと呼吸も早くなるらしい。

その論文からすると、どうやら呼吸のテンポ(CPM)は、音のテンポ(BPM)の約1/4になる、ということのようです。

https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/?action=repository_action_common_download&item_id=91852&item_no=1&attribute_id=1&file_no=1

 

別件ですけど成人の1分間あたりの呼吸数は「12〜18」なんだそうです。

ぼくはかなり、少ないかもしれない。たまに止まってるし。

上記の実験によると、テンポ80ぐらいの音のときに、呼吸数は正常になるようです。

 

BPMから曲を検索するデータベースもありますね。

なんでもあるなあ。

https://bpm-database.tokyo/

ここで上記の曲を検索してみたら、だいたいBPM100以上でした。

ぼくはこのへんの曲は「80ちょいかなあ」と思っていましたから、やっぱりぼくの内部テンポは「速い」のかもしれません。

案外こういうところで、ワチャワチャしてしまうのかもしれないなあ。

正しいテンポを、身につけていこう。

 

「テンポ80」をハラに叩き込むのには、もしかしたら「読経」がいいかもしれません。

あれってちょうど、テンポ80なんですよね。

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