「〜 〜」を取り戻す旅

押し入れの整理をしていたとき、小学生のころの写真が出てきました。

小学校の入学式のようで、緑色のジャージを来て、校門の前でキヲツケをして写っていました。

そしてその表情は、とてもおだかやでした。

目は「〜」みたいな感じで、いわば「ぞうさんの目」のようでした。

 

そうなのです。

ぼくは幼少の頃、とてもおだやかな性格でした。

気の弱いところもありましたが、あまり警戒ということを知らなくて、またボケていました。

はじめて中学校へ一人で電車で行くときに、両親に口酸っぱくいわれました。

「いいか! 梅田行きだぞ! 梅田行きの電車に乗るんだぞ!」

「わかったー」

で、ぼくはしっかりとした足取りで「東須磨行き」に乗るのでした。

むろん、ぜんぜん知らないところに行ってしまいます。

でもぼくは、ちっとも不安ではありませんでした。

海が見えたので須磨で降りてしまって、海岸まで行って、春の海を眺めながら呆然としておりました。

ぼくは初日から、数時間遅刻して学校へ行きました。

初日なので怒られませんでしたが、家にはなんども電話がいったらしく、母は気が狂うほど心配していたそうです。

母親にはめちゃくちゃ怒られましたが、ぼくはその後も、同じことを何度かしていました。

でもこのことで悩むことはありませんでした。

いいふうにいえば、堂々としていた。

そしてどういうわけか、だあれも怖くなかった。

これは自己卑下ではなく、客観的な事実として、アホだったのです。

そのかわり、写真はずっとニコヤカで、ウフフ、と薄ら笑いを浮かべているものばかりでした。

なにが楽しいねん。

 

そんなのだから、周囲からは「ばかで変わってるけど、やさしいやつ」という評価がありました。

友達はけっこう多かったです。

周囲の評価について、ぼくも薄っすらとそう感じているところもありました。

しかし年を追うごとに、その評価は適切ではなくなっていくのでした。

いちばん驚いたのは、娘に言われたことです。

「顔がこわい」

娘だけでなく、周囲のひともみんな、そう思っていたようです。

「おまえは基本的に、コワモテだからな」

え、うっそお〜ん。

ほんとに?

 

たしかに写真を見ていくと、もとは「〜 〜」だった目が「○○」になっていき、ついには「◎”◎」になっていくのでした。

コワイといっても「▽ ▽」のほうでなく「◎”◎」のほうで、つまりは「ギロ目」。

ダルマみたいに目を大きく見開いて眉間にシワをよせて、ギロリと睨むようになっていったのです。

そこでぼくは納得がいった。

ぼくはどういうわけか、ヤンキーとかヤクザ系のご子息にモテるのです。

「兄さん! 兄さん!」などといって、なつかれてしまうことがよくある。

なんでじゃ!

なんでなんじゃ!

ワシ、こんなに「気弱なやさしい子」なのにぃ〜!

 

いつのまにか、見た目が「気が強くコワイ男」に、変わってしまっていたのでした。

ぐわっ、とにらみつけることが多いようなのです。

そのへんで、ヤンキーくんたちに好かれるようなのでした。

彼らに、

「昔そうとうワルだったんでしょう」

などと言われたりして、ムカツク。

中学生の頃から制服の詰め襟はホックまでビシーと止めるタイプで、勉強も部活もまじめにやる「級長タイプ」だった。

わるいことなんか一切やったことがないし、する勇気もありません。

だって、気が弱いんだもの。怖がりなんだもの。

「いや、そんなことは……」

「またまたあ! オーラ出てますよオーラ」

ちきしょう!

「〜 〜」が、どっかに消えてしまったんだなあ。

 

ひとことでいうと、ぼくのこころのなかには、

 

「許さん!!!」

 

みたいなのが、生まれていったようなのです。

とにかく、許さん!

まちがいも、不正も、齟齬も、矛盾も、許さん!

コロース!

みたいな。

それがカオに出てしまったのです。

 

どうしちゃったんだ俺。

なにがあったんだ。

 

ひとつ思い当たるのは、もともと目が「〜 〜」のように、気弱でやさしいところがあった。

これに付け込まれて、めんどうなことを背負うことが多くなっていったのです。

級長だの、部長だの、生徒会長だの、ほんとうはやりたくないのに、やらされた。

おとなになっても、幹事だの宴会部長だのなんだの、そういうことがよく回ってきました。

やりたくないのに。

人がいいもんだからつい「いいよ」なんて言ってしまうんですよね。

このストレスが年輪のように重なって「顔」に出てしまったんだと思います。

結果、「◎”◎」になっていった。

 

最近、顔が変わってきたんだそうです。

「〜 〜」まではいかないけど「─ ─」ぐらいにはなってきたようです。

なんでか。

たぶん、パニック障害と外出恐怖症になって、どこにも行けなくなったからだと思います。

人と直接接する機会が減っていった。

 

そこで思ったのです。

もしかすると、ぼくのパニック障害や外出恐怖症は「〜 〜」を取り戻す旅だったのではないか、と。

もともとのじぶんを、回復するために、パニック障害や外出恐怖症になったのではないか。

中途半端に人がいいぶん、よけいな雑事を任されがちなのです。

そのことで、じつは多大なストレスを感じていたのかもしれません。

パニック障害や外出恐怖症になって、人に会えなくなると、さぞかし寂しくてつらいだろうと思われるかもしれません。

でもぼくは、寂しいだなんて思ったことはついぞ1回もありません。

ヒマだな、と思うことはあっても、寂しくて不安だと思うことは全くありません。

だからこそ、思うのです。

ぼくはもしかしたら、自分で思っている以上に、人間関係に疲れていたのではないか。

 

ヒトがキライなのではないのです。

人生でイジめられたこととか一回もないし、危害を加えられたこともありません。

ヒトが原因で辛い目にあったというのは、あまりないのです。

ぼくは「自損事故」をしていたのかもしれません。

かってによけいな雑事を抱え込むことで疲れていってしまっていたのではないか。

よいヒトを演じることに疲れてしまったのではないか。

 

「〜 〜」が戻ったとき、ぼくの病気は治るのだろうと思いました。

つまり、もとの自分を取り戻したとき。

そのぼくは、アホである。

糸の切れたタコのようにふらふらとさまよいつづける、でもなぜか上機嫌である。

 

最近、そうなりつつあります。

そしてそうなるために、ぼくは意図せず「全てを断っていた」のかもしれません。

病気だから出られないのではなく、「とりもどす」ために、行動を抑制してくれていたのではないか。

同窓会だの、同窓会の幹事だの、飲み会だの、イベントだの。

そういうカネにならないことは全部断っていった。断るしか道がなかった。

ゲスになったのかもしれないけど、その意図はありません。

自動的に、そうなっていった。

そうすると、すこしづつ、戻ってきたのです。

「〜 〜」が。

 

やさしいことをするから、やさしくなるのではないのですよね。

いやなことをしないから、やさしく居続けられるのです。

いやなことは、もちろん「たまに」なら、やってあげてもいい。ていうか、そうすべきだと思う。

でも、ものごとには「原則」が必要です。

やさしい人でいたいなら、いやなことは、原則的に拒否し排除すべきである。

我が身はじぶんで守るのである。

 

おとなになって、うしなったもの。

それは「おだやかなこころ」でした。

そしてその原因は、こころの結界が弱すぎたこと。

ヤなことは、張り倒せ。拒絶しろ。

うそをついてでも、逃げろ。

それが「ただしい道」であります。

いい顔をして、断ることを恐れて、よけいなことを抱え込むのは、善人ではない。

愚人である。

 

「義を見てせざるは勇無きなり」ではない。

「勇無きものは、おのれに不義なり」である。

ええやつなんか、やめちまえ。

せっかく生まれてきたんである、やなやつになって、ひとを利用してでも、しぶとく生きぬけ。

人を傷つけてしまったら、鼻くそでもほじってろ。

傷つけたやつも確かにわるいが、傷つくやつも心がヤワすぎるのである。お互い様だ。

喧嘩もまた修行である。

喧嘩をしないのは善人だからではない、仲直りをする勇気も余裕もない雑魚だからである。

気の弱い負け犬どうしでペロペロしてんじゃねえよな。気色のわるい。

 

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