秘密主よ。

コーフンしております。

ぼくは、コーフンしているのであります。

 

おわー、オモロ!

なんじゃこりゃ!

 

「大日経」を読んでみたのです。

なんだかんだいって幼少のころに受けた創価学会のイデオロギーに影響されていたぼくは、この世界には「最も優れた宗派」というようなものがあると思って生きてきました。

創価学会や日蓮正宗については、ぼくは「なんか合わん」っていうのがあって、でも「最も優れた宗派」という妄想を持っているから、じゃあどれがそれなんだという話になって、でもそれはわからないからフワッフワのヘロッヘロで、三界に家なし。

しかしフト、バビビビと感じるところがあって(ダイジョウブかな)、「すべてをもって大乗である」とうことがひらめき、一気にすべての宗派は完全に並列となり、そのどれをとってもかまわんし、とらなくてもかまわん、という考えに至りました。

 

そこで、以前からすげー読んでみたかった密教の「大日経」を読んでみたのでした。

なんだかんだいってやっぱり「四箇格言」で引っかかっていたのかもしれません。読みたいのに、ずっと読んでいませんでした。

そしたら……。

なんなんコレ!

めっちゃオモロいやんけ!

 

仏教のお経は、わりと読みました。

法華経にはじまり、般若心経とかスッタニパータとか阿含経とか、まあ、わりと、といってもせいぜいその程度ですけれども。

お経ってほとんど「如是我聞」つまり私はこう聞いたのだけれども、っていう入り方をします。

だれに聞いたかと言うと、それはお釈迦様です。

お釈迦様が弟子に説法をしている、という形をとるのですね。

 

法華経では、お釈迦さんが説法をしていると眉間からビームが出たり地面がグラグラ揺れたりお花がピラピラ降ってくるなど、幻想的なシーンが表現されています。

なかなかに壮大で、美しいイメージです。

でも大日経は、それを軽く凌駕していたのでした。

 

まず、ふつうのお経はあの歴史上の「お釈迦様」が特定の場所で語っていて、舎利弗などの実在とされている人物がそれを聞いている、という舞台設定です。

いっぽう大日経の場合、語っているのは「マハーヴァイロチャナ」すなわち大日如来です。

大宇宙の虚空にいます無限無辺絶対原理として登場するのでありました。

ほぇぇ……

飛ぶなあ。

飛ぶぜ!

 

なんだろう。

もう完全に「ぶっとんだ」設定なのに、どういうわけか、すっと入ってくる。

アレだ、もしかしたら子供の頃から「SF」みたいなのに慣れているからかもしれませんね。

実在の人物が実在する場所で実在の人に語っているというシチュエーションじゃなくても、べつに全然イケる。

 

あと語る相手が人間ではなくて、いや、人間なのかな? それもやや曖昧な感じの「秘密主(ヴァジュラ・サットヴァ:金剛薩埵)」なのですよね。

法華経が「舎利弗よ」と語りかけるのに対して、大日経では「秘密主よ」と語りかける。

秘密主よ。

秘密主よ、て!

飛ぶなあ。

飛ぶぜ!

なにこの、ファンタジックでハリ・クリシュナな感じ!

この表現だけで、ゴハン3杯はいける。

 

じつは、法華経は口語訳でも読むのに苦戦したのです。

正直に言う。

読んでいるうちになんかネムくなってきちゃって、うん、いいなあ、なるほどね、とはたしかに思うんだけど、なんていうか装飾が多すぎて、ポイントが濁る。

本題に入る前に、3ページぐらい装飾するんですよ。

冒頭で登場人物を何十人も出してきて、いちいちご紹介して、ぜーんぶ並べてくれるのです。

ぼくはちょっとアタマがわるいのでそんなの全部覚えられなくて、でもなんとかいっしょうけんめい覚えたのに、結局最初にご紹介したキャストはそのあと一回も出てこなかったりするの。

なんで書いたん。

あれ、あれれ、おれ読み飛ばしたかな、なんて混乱してきて、はて、さてとページを戻ったり本をひっくり返したり取り落としたりして、バタバタしちゃう。

で結局、

「なにが言いたかったのだろうか」

みたいになって、まあ、そうか、つまりはようするに、仏様って無限の存在で、それはじつは、どんな人のココロのなかにもいますよっていう話でよかったのかな、どうなのかな、的な、みたいなことで「フワっとしたまま」本を閉じてしまう。

読解力がなさすぎるのですね。

 

いっぽう大日経のほうは、装飾があまりないのです。

なんていうか、法華経が「戯曲」だとしたら、大日経は「マニュアル」みたいな感じなんですよね。

「秘密主よ」

と語り始めたら、テーマがいっさいブレずに、ズバババババと機関銃のように話がすすむ。

むろん、ぼくは仏教素人なのでちゃんとはわからないですよ。

でもいまはこのテーマの話をしてるんだな、ぐらいはわかる。

筋がわかるので、あとは単語とかを別途調べれば輪郭ぐらいは理解できるな、っていう余地があります。

 

そして、舞台装置が「宇宙」みたいな感じで、そのなかにすごく具体的に仏様とか神様の描写をしてくれているから、読んでいるだけでマンダラを見ているような錯覚に陥ります。

アタマの中でマルチメディア的に再生されるというか、イメージが湧きやすい。

そういうのもあって、どんどん引き込まれてしまう。

 

「世界観」

 

そうだこれだ、と思いました。

世界観の描写が、秀逸なのかもしれないです。

なんだかじぶんもその中にいるような気がするというか、いや、しないですけどね、もしそうならイっちゃってることになるけど、ほんのすこし、そんな気がする。

これは世界観の描写がすばらしいSF小説を読んでいる感じととても似ていました。

 

寝る前に読むと、いいですよ。

話が壮大すぎて、明日の仕事とか心配事とか、わりとどーでもよくなる。

まさに「飛ぶ」。

合法ドラッグなんかいらねえよ、大日経でそこそこ飛べます。

密教の世界観を「ドラッグで得られる幻想の世界と酷似している」と指摘した専門家もいるそうですが、わかるような気がする。ドラッグなんかしたことないけど。

とにかく、ぶっ飛んでる。

 

秘密主よ。

 

いいなあ、この言い方!

どっかで使おう。使いみちないけど。

 

 

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