神道と右傾化

だめだ。

神道の基本概念にとても素晴らしいものがあるということに気づき、いろいろ調べていったところ、とてもがっかりしました。

だめだ。調べるに値しない。

とくにいわゆる「古神道」というのに失望した。

 

どうして、そういう話になるのだろう。

神道関係、とくに古神道を標榜する諸団体はとてつもなく右傾化していたり、オカルトに寄りまくっていたりするのが多い。

どうして、そういう話になるのか。

なにがしたいのか。

期待をしてしまったがゆえに、残念感もひとしおでした。

 

ひどいのになると、ユダヤ陰謀論とか、あるいは日ユ同祖論とか、日本は世界の中心であるとか、そういった妄想的でオカルト的なことに怒涛のように寄っていく派閥もある。

そんな話、どっちゃでもええやないか!

 

個人的には、現在の神社本庁の基礎になった国家神道、つまり戦争のために再編成された思想よりも前のことが知りたいのです。

天皇陛下をアラヒトガミと据える以前の思想体系です。

自然や生命に対する、プリミティブな捉え方を知りたい。

だから「古神道」がいいんじゃないかと思ったんだけど、これはただのオカルトだった。

おっ、これはけっこういいんじゃないかと思ったら、右側にギッチギチに寄っていたりする。

こんなに広い世界なんやぞ、もっと真ん中に出てこいや!

もうっ、奥ゆかしいんだからー。

 

古神道ではなく「原始神道」というジャンルは、ありそうでなかった。

完全に密教から横取りした修行体型を日本古来の修行法であると言い張っているものさえあった。

宮司を名乗る、完全にうそっぱちの有名なスピリチュアリストもいた。

そんなふうになんでもかんでも「日本独自である」と言い張るのは、韓国がよその国の文化を我が国オリジナルだと言い張るのに似て、とても恥ずかしいと思う。

 

神道には教祖も教義も教典もないから、ある意味「自由」なんでしょうね。

どのようにでも教理を組み立てることができる。

この自由さによって、ヒトの根源的な欲求と呼応し正邪真偽は二の次として有象無象の輩を生み出しているようです。

ラノベみたいなもんだな。

いや、ラノベはべつに、いいんだけれども。

結局いちばんマトモだったのは「神社本庁」ですね、やっぱり。

でもやっぱ、「右」なんだよなあ。

 

仏教は左右に寄っていない真摯な哲学があるからステキなんだけど、その根っこのところが、いかんせん難しすぎる。

神道は根本理念は秀逸なのに、通学カバンに入ってた弁当みたいに片側に中身が寄っているのが多い。

ううむー。

 

ま、いっか。

逆に考えれば「そーゆーのにドはまりせずに済む」ともいえる。

そうそう、ぼくは「そーゆーの」は、捨てたんだった。

あっぶね。

万が一「これだっ!」なんて思えるものがあったら、それはそれで大変だ。

どこにも偏りたくないのに、偏ってしまうことになるから。

幸いである。

 

でも、ふしぎだなあ。

神道系って「寄る」んだなあ。

そういえばぼくの身近なひとでも自宅に神棚を祀る系のひとには「ゴリ右」のひとが多いんですよね。

FBとかでも、いっしょうけんめい野党批判とかしてる。政治家でもないくせに。

ぼくの家にも神棚はあるけど、思想的には右も左もキライなの。

理由は、キモーチャーリーから。

右右左左右左右左、うるせえよ! てめえはコナミコマンドか!

そんな端っこじゃなくて、まんなかへんに座りなさいっ!

冷えるよ! 背中曲がるぞ!

って、思うよねえ。

 

ま、いいや。

そんなの、ひとの勝手だし。

ぼくはぼくの、道をさがそう。

ぼくの前に道はない。ぼくの後ろに道はできる。

って、言うじゃない?

 

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