ウィルスの願い

テレビや新聞をはじめ、政府も、ネットも、キャンペーンも、口を揃えていうのです。

「ウィルスに負けるな!」

「ウィルスに勝つんだ!」

 

冷酷な事実があって、人類はいままでウィルスに勝ったことはほとんど一度もないそうなのです。

どういうことなのか。

たとえば昔流行ったSARSウィルスについては、いまはとくに流行しているとは聞きません。

しかし、とくに有効なワクチンが開発されたわけではない。

だから、なぜSARSが消えたのかよくわかっていないそうなのです。

 

このあたりのことについて、コペルニクス的逆転の発想を知って、ぼくは愕然としました。

ウィルスの立場から考えてみる、という発想。

 

ぼくたちのほとんどは、コロナウィルスを「敵」「害悪」とみなし、それを駆逐するという視点からしか見ることができていません。

これを逆転して、コロナウィルスの立場から人間を見た場合、どうなるか。

 

細菌とウィルスの大きな違いは「絶対寄生」であるかどうか、ということなのだそうです。

細菌は生命体なので、宿主がいなくても、温度や湿度、栄養などの条件が揃えば宿主がいなくても生存し増殖していくことは可能なのだそうです。

いっぽうウィルスは「絶対寄生」なので、宿主がいなければ増殖することも、存続することもできない。

宿主あってのウィルス、これがまずウィルスの特徴なのだそうです。

 

そうなってくると、ウィルスの生存戦略とはなにか、ということになってくる。

毒性が強く、宿主を殺してしまったり、寿命を縮めてしまうということは、ウィルスにとって明らかな「戦略失敗」ということになります。

ウィルスにとって最も良い戦略は、宿主に長生きをしてもらうことにある。

細菌はすこし、話が違います。

宿主が死のうが生きようが、細菌はそもそも絶対的な寄生種ではないので種としての存続にはウィルスほどの絶対的な関係はない。

ウィルスの場合は宿主の死=自らの死をほぼ完全に意味するので、毒性が強すぎることは完全なる失策ということになります。

 

そこで変異が起きるのではないか、とする説もあるようなのです。

あえて毒性を下げ、宿主を「飼い殺す」戦略に変化していくのではないか、という。

この視点からすればSARSウィルスなどが突然その勢力を弱めたことにも説明がつく。

 

生命とはなにか。

 

この部分を理解していない限り、結局は小手先のことしかできないのかもしれませんね。

人間は物事をすぐに「勝った」「負けた」、「敵か味方か」という、ひじょうに幼稚な観点で見てしまうクセがあります。

「ウィルスに勝つ」ということが、ほんとうの意味でどういうことを指しているのかもわかっていないまま、負けるな負けるな、勝つんだ勝つんだと騒いでる。

 

風邪ひとつとっても、そうなんですよね。

風邪というのは確かに病気だし、人体にとって悪いところがあります。

しかし風邪をひくことによって、からだのわるい部分を治し、免疫力を強化し、毒素などを排出するというメリットも厳然としてある。

「風邪をひかない」ことが必要なのではなく、「風邪とうまくつきあう」ことこそが、ホリスティックな意味では重要だったりもする。

 

コロナももしかしたら、そうなのかもしれないなあ。

カツカツカツカツ、そのことばかりにへばりつくのではなくて、「ウィルスがどうしたいのか」っていうことも考えていく必要があるのかもしれないですね。

もしかしたら、コロナは「あたらしいウィルス」なので、まだ宿主の死=自分の死 ということに気がついていないだけなのかもしれない。

しばらくすると「アッ。しまった! そうだった! 宿主が死んじゃったら、マジ意味ねんだった」っていうことに気がついていっせいに毒性を下げ、人類と共存していく道に切り替えるかもしれない。

ていうか今までのウィルスはほとんどみんな、そうしてきた。

 

しかし、謎がある。

彼らは言語も知能も持たないのに、どうしてそれに「気づく」ことができるのか。

だれが、どのようにして、すべての個体に対し「毒性を下げる」というコマンドを投げるのか。

電線も電波も使わずに、どうやってコミュニケーションをとっているのか。

もしかしたらここに「生命」の秘密があるのかもしれない。

人間だってどうして進化しているのか、ほんとうのところはよくわかっていない。

 

生きているのは、人間だけではない。

ウィルスは生物と無生物のハザマにある存在だから「生き物」だとはいいにくいところはあるけれど、RNAなどの遺伝情報を持ち、増殖し、存在しつづける「意図」を持っている限り「生命」といって良いのだろうと思います。

駆逐するばかりではなく、共存の道を模索してみる。

これもまた、対策としては重要な姿勢なのかなと思いました。

でもまあ、だからといって、じゃあどうすればいいんだと言われても、よくわからないのですけれども。

ぼくにできるのは「ウィルスが気づいてくれるのを待つ」ぐらいですね。

ヒトの寿命に影響しない程度に毒性をもっと下げてくれたなら、だれも君のことを攻撃したりなんかしないよ、仲良く一緒に生きていこうよと、伝えたい。

でも伝える方法が、わからないんだよなあ。

伝えたところで、聞き入れてもらえるのかどうかも、よくわかんないし。

 

  • ぽぽんた より:

    共生
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200418-00000061-kyodonews-soci

    てらちゃんの おもい
    ウィルスさんに
    つうじています きっと もう
    (_ _)

    • TERA TERA より:

      調べてみたら、人類がウィルスに勝てたといえるのは天然痘の1回だけみたいですね。
      それもワクチンの開発に4年かかってる。

      > 何とか鎮まりください。お互いに生きていきましょう。

      アイヌのこの考え方は、日本古来の原始神道に通じるものがありますね。

      勝とうだなんていうのは、もしかしたら傲慢な考え方なのかも。
      「勝つと思うな 思えば負けよ」
      っていう歌もありましたね。

      引き分けてともに生きるというのが、結局はいちばん賢いのかもなー。

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