勝利という幻想、共生という現実

調べてみて、愕然としました。

人類がウィルスに「勝利した」といっても良いのは、過去にたった1回限りのようなのです。

それは天然痘ウィルス。

ただしこの天然痘は記録に残っているところでは1350年ごろから存在していて、ジェンナーによってワクチン(当時はワクチンという概念はなかったが)が用いられたのが1800年ごろ。

記録で分かる範囲だけでも天然痘は「450年間」生き延び続けたことになる。

記録に残っていない時期まで遡れば「人類が感染症に勝利した」という、その唯一にして初白星の獲得までには、1000年以上かかったとも考えられます。

 

また人類は「天災」に勝利したことも、一回もない。

天災の後復興した、という事実は数限りなくありますが、天災を未然に防止した、あるいは予知した、抑え込んだという事実はない。

復興したことを「勝利」と認めるわけにはいかない。

事実としては、やはり負けたのであります。

 

ロマンチシズムを捨てて現実的な観点から考えれば、人類はつまり「全敗」であった。

一時期勘違いをしたことがある。

ワクチンという手法を編み出したことで「人類は感染症に勝利した」と、欣喜雀躍していた時期がありました。

しかし実際には、その後1回も勝ててない。

天災についても、高度なテクノロジーは開発されたものの、実地として「勝てた」ことは一度もない。

 

この冷淡な事実を目の前にして、どうだろう。

まだ「あきらめない」という粘着がほんとうに必要なのだろうか。

ぼくは俄然、疑問を抱えるのであります。

なにかもっと、別の方法はないのか。

 

全然別件ですけど、柔道では「打ち勝たない」という思想があります。

合気道にも似たような(というかほとんど同じの)思想があります。

相手に打ち勝つ、相手を殺すというのではなく、相手の力を利用しつつ、相手の攻撃を「無効化する」ところにその真髄がある。

このタイプの格闘技は世界でもめずらしく、ほとんどの格闘技が殺人技の集大成であるのに対して、柔術系は「殺さない技」の集大成ともいえます。

 

一説によると、なぜ日本でこのような特異的な格闘技が発達したかというとやはり原始神道の「たましずめ」あるいは「共生」という考え方や、仏教の「不殺生」という考え方に影響されているのではないか、ということのようです。

「敵」という概念に対する解釈のしかたの違い、ともいえるのかもしれません。

合気道に至ってはもはや「敵など存在していない」とさえ考え、最大の勝利は「戦わずに逃げること」あるいは「敵を味方につけてしまうこと」である、とするようです。

一般的な勧善懲悪的思想からすればこのような考え方は甘っちょろいとも、あるいは頼りないとも、弱腰とも、ズルいともいえます。

しかし、じつはこれは最も現実的な観点ともいえて、というのも「いまの敵」が永久に敵である可能性や、「いまの悪」が永久に悪でありつづける可能性はほとんどない。

物事は必ず流転変化するので、いまの価値判断が必ずしも絶対であるとはいえなくて、そのうち価値が逆転してしまうということさえもまったくもって自然なことである。

だから短気を起こして「いま殲滅してしまう」という暴挙に至らずとも、いったん「しずめてしまう」ことによって、いずれは自身の味方につけてしまうというのは、あながち無謀とはいえないのだと思う。

 

敵とも共生する。

 

これはもしかしたら、ぼくたちがコロっと忘れてしまっていた、ものすごく「肝心の」考え方なのかもしれないな、と思いました。

だってクールに現実を見れば、一回も勝ってないなんだもの。

負け倒しておるのでございますよ。

自然にも、病気にも。

この期に及んでいまだに「人類の勝利」などということをのたまうのは、もはや無謀を通り越して、一種のココロの病気なのではないか。

かつてのヤクルト球団の「這い上がれ」ではないんである。

これは、遊びではないんである。

 

人類が唯一誇れることがあるとしたら、

「七転び八起き」

ただ、この部分だけなのではないか。

どれほどえげつない災害があっても、多大な犠牲者を生み出したとしてもきっと必ず立ち上がってきた。

この部分だけは誇って良いところだと思うし、人類のいちばんの強みだとは思う。

でも勘違いしてはいけないのは、「決して強いわけではない」。

負け倒しておる事実に、目をつむってはいけない。

 

弱いものには、弱いものなりの戦い方がある。

その最たるものが「共生」なのではないか、と思うのですよね。

「敵」という概念を分解して無効化してしまい、巻き込んで、抱き込んで、うちならして、まっ平らにしてしまう。

結局、そうなっているのですよね。

天然痘以外のウィルスとは、人類はいま実際に「共生」をしている。

ていうかそもそも、人類は自然に「絶対寄生」をしているわけで、宿主がいないと死んでしまうウィルスたちと、その存在原理は一緒。

宿主に対して勝つだの負けるだの考えるのは、ウィルスよりも知能が低いといえる。

 

戦おうと思うから、ストレスも貯まるというのはありますね。

もう、戦わなくていいんだ。

勝たなくていいんだ。

引き分けでいいんだ。

そう考えるだけでも、ずいぶん気持ちが楽になります。

 

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