タフなヒフ

掃除については、これは万人にオススメしてよい習慣だと思うけど、さいきんぼくがやっていることは少々の危険と苦痛がともなうので万人向けとはいえないかもしれない。

「亀の子タワシでからだを洗う」

 

ホイップのような豊かな石鹸のアワでやさしくボディーをケア。

……というのとはまさに対蹠的な位相にあるバスタイムでございます。

あの鍋釜を洗うための亀の子タワシで、クワッシャグワッシャとヒフをコスりまくるのであります。

痛い。

とくに胸や腹あたりは、思わず声を出してしまうぐらい痛いし、こすったあとは真っ赤になってしまうぐらいです。

急激に血行が良くなるからなのか、洗ったあとは「冷たい」感覚が起きたりもする。

医学的にはどうなんだろう。

亀の子タワシでカラダを洗うというのは、たぶん皮膚科の先生とかはオススメしなような気もする。

石鹸もつけずただシャワーで流すだけのほうがヒフには良いという先生もいるぐらいですから。

 

しかしどういうわけなのか、亀の子タワシでからだを洗うようになってからヒフのトラブルが減ってきているのであります。

ちょっと汗をかいただけでアセモのようなものができたり、蚊に刺されたわけでもないのにブツブツが出て痒くなったりということがよくあったのですが、亀の子たわしでカラダを洗うようになってからまだ4日めだけど、そういうのが出なくなった。

そして喘息っぽい気管支炎も、日に日にその症状が減ってきているようである。

 

そのような直接的な恩恵とは別に、精神的な効果もすこしあるような気がする。

なんかこう、あまり細かいことが気にならなくなってきたのです。

そういえば過保護で色白で弱っちい肌のガキよりも、毎日泥んこで怪我まみれのぶあつい皮のガキのほうが精神的にタフなことが多いような気は、しないでもない。

ヒフが強くなると精神もタフになるというのはたまに聞く話で、ヒフが薄く弱い状態だとつねに神経が「むきだし」の状態に近く、ヒフが分厚く頑丈になってくると神経も「一皮かぶった」状態になってよけいな電気信号を受け付けずに済むという話です。

ただこれはあくまで仮説なので、ほんとかどうかはわからない。

 

しかし亀の子たわしでからだを洗うことによって、「ええーい、いってまえっ」的勇気が醸成されるのは感覚的にありうると思う。

あのトゲトゲのタワシを手に持って、いざ顔面をこすろうとするとき、思う。

「ダイジョウブか」

たぶんそう思わないひとは、いないと思う。

だってさあ、タワシなんだもん。

まごうことなき、あの茶色い、鍋のコゲツキとかをこそぎ落とすための「TAWASHI」なのであります。

こんなものでわが柔肌をこするというのは、いかにも無謀なのではなかろーか。

ただでさえアレルギーなどでじゃっかんヒフが弱いタチなのである。

こんなことをするのは、無謀を通り越して、もはやバカなのではないか。

 

そのように逡巡したあげく、

「あーもう、いってまえっ」

的にザリ、とほっぺたあたりをこすってみる。

すると当然痛いが、思ったほどではなかったりもする。

そこでそのまま勢いにのってザリ、ザリ、ザリザリザリザリとやっていくうち、蛮勇が生じてくる。

顔面をまんべんなくこすり、頭皮もまんべんなくこすり、耳や耳のうしろもやり、首もこする。

そして背中に至ったときには、もはや「ダイジョウブか」は消えている。

なんというか、もはや自分は人間ではなくウマかなにかになったような気がしてきて、最初はオドオドと弱々しくこすっていたものが、渾身のちからを込めてこすりはじめてしまう。

 

「ムハハハー! なーにが『皮膚が弱くて』じゃあバッキャローめ! 亀の子タワシに負けるようじゃあ、結局なにやったってダメだわな! ムハハハハ!」

などと思うようになる。

そしてとうとう「ヒヒーン!」などと雄叫びを上げてしまうのであった。

うそだよ。

そんなことは、しないよ。

50ヅラ下げたおっさんが風呂で亀の子たわしでカラダを洗いながらウマの鳴き声を出していたら、家族は心配でしょうがなくて、へたすると119番通報されるかもしれない。

「ウマのような気分」であることは確かだが、べつにウマの鳴き声を出したりはしない。

黙ってやってる。

 

しかしまあ、そのような勇猛な気分になってくると、ふだんの生活も若干変わってくるのです。

「ぼくはアレルギーなので」

という理由でカビだとかホコリだとかムシだとか汚れだとかを必要以上に恐れる気分があって、たとえばカビを見かけたとき、かつては「げっ!カビだ!」なんて不愉快な感情とともに反応をしていました。

しかし最近は、

「カビか」

程度ですみ、それをこともあろうか、手のツメでこそぎ落としたりするのであります。

なんとも思わん。

なんちゅうか、タワシでからだを洗うようになるとすこしバカになってくるようで、カビだのホコリだのにキャアキャア騒いでいたじぶんのほうこそがバカに見えてくる。

「カビごときで・いちいちさわぐな・この臆病ものが」

的な気分がある。

「それがどないしたんじゃ・こまかいことぬかすな・はったおすぞ・このクズが」

的な罵詈もめばえる。

 

つまりようするに、タワシでからだを洗うようになると、じぶんが「強くなった」ような錯覚がめばえるのだと思う。

わが皮膚はもはや、鍋釜の底と同程度の強靭さである、というような勘違いをする。

たしかに勘違いではあるが、実際にタワシでこすりまくってもキズひとつついていないという現実もあって、あながち根拠のない勘違いともいえない。

「だからダイジョウブだ」みたいな、論理的にはずいぶん強引だが、妙な自信が湧くのでありますね。

 

「繊細である」ということと、「弱い」ということは、同義語ではない。

繊細と強靭が同居することは、なにも矛盾をしていない。

しかるに、ときに人は「弱さ」を「繊細」と言い換え、あたかもわが脆弱さを長所のように定義替えをし、じぶんのココロを守ろうとする姑息な手段をとることがある。

この性根は「臆病」が生む自己防衛反応のひとつである。

臆病がなければ、自己の弱ささえも「それがどないしたんじゃ」と突破できる。

臆病だからこそ、自己の弱さを認められず、それを「言い換える」ことを求めるのであります。

 

健全な精神は健全な肉体に宿るというけれど、強靭な精神は強靭な皮膚に宿るということもあるのかもしれません。

ふつうに考えて、たかだかタワシごときに負けるような皮膚でどうやって生きていくんじゃという現実的な話はある。

ナマコじゃねんだし、ちょっとこすって痛い痛いいってるようじゃあ、苦労が絶えない。

ぼくは腔腸動物ではなく、哺乳類である。

それも、ほとんど体毛のない哺乳類である。

だから皮膚そのものを丈夫にするしか、選択肢はないんだよなあ。

タフなヒフは、霊長類のヨロイです。

 

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