食うものと性格

フランスの美食家ブリア・サヴァラン氏は「どんなものを食べているかを言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言い当ててみせよう。」と言ったそうですが、最近なんとなくわかるような気がしてきた。

 

しつこいものをよく食べるひとは、性格もしつこい。

あっさりしたものをよく食べるひとは、性格もあっさりしている。

甘いものをよく食べるひとは、やさしいが情緒不安定。

辛いものをよく食べる人は、怒りっぽい。

動物性のものをよく食べるひとは、攻撃的な性格をしている。

たくさん食べるひとは、大きいこと・多いことはいいことだという価値観を持っている。

グルメなひとは、美意識が強い。

冷たいものをよく食べるひとは、性格もつめたい。

愛のないものをよく食べるひとは、愛がすくない。

好き嫌いが激しいひとは、ひとの好き嫌いも激しい。

まずいものばかり食う人は、鈍感である。

 

人間を単純な枠に収めることは決してできないけど、傾向としては食うものと性格にはけっこう似通っている部分が多いような気はする。

おなじようなことを思うひとはけっこういるみたいで、ちょっと検索しただけでそんな記事がたくさん出てきます。

http://takedanet.com/archives/1013800606.html

食べ物の趣向と人の性格は似ているのか

https://biz-journal.jp/2017/12/post_21798.html

 

漢方では医食同源というし、インドのアーユルヴェーダでは食事はその人の性格や体質を形成するという考え方があります。

考えてみれば、人も動物も食ったものでカラダを形作っているわけだから、食ったものが性格を形成するということはあながち迷信とも言い切れないかもしれない。

というかむしろ、経験や学習、考え方だけで性格が形成されるという考え方のほうが迷信に近いのかもしれません。

 

なんでこんなことを思ったかというと、最近のぼくが「あっさりしたもの」しか食べなくなっていて、そしたら性格もあっさりしてきたからです。

かつては何かが気になるとそれを解消せずにはいられない衝動があったり、攻撃的な気性が強く、粘着気質のところがあったり気分の浮き沈みもけっこう激しかったですが、その頃はよく酒を飲み、肉食系で、けっこう美食家で、しつこい、脂っこいものをよく食べていました。

お酒を完全にやめていらい、最近は油っけのないものばかり食べていて、たとえば朝食はうすいお吸い物とご飯、つけものだけ。

昼・夜もあまり肉類はとらず、野菜や魚のほうが多く、量もすくない。

また最近は間食に甘いものを食うことを禁じていて、小腹がすいたらナッツやフルーツなどを食べるようにしています。

 

するとどうにも、生きていくのがラクになった。

 

生きていくのがなぜツラいのか、もちろんそれにはいろんな理由があるけれど、かなり大きなウェイトをしめる原因のひとつに「性格」がある。

たとえば神経質ということについて、最近はその文字面だけを見て神経過敏や繊細、影響を受けやすいことのように言い、それが苦痛の原因であると思うことが多いけど、実際にはそうじゃない。

神経質の困るところは、粘着気質であるということです。

なにかが気になったとき、その「気になる」ことを、いつまでもあきらめることができないところに、苦しみの最大原因がある。

もし気になったとしても、それをスカーと手放してしまうことができれば、べつに神経質であることはなんら苦痛を生まないどころか、むしろ便利である。

ふつうのひとが気が付かないようなことにも気がつけて、あたらしい発見も多くなる。

神経質さや繊細さが苦痛の原因ではなく、キャッチした情報に膠着し、いつまでもそれに囚われてしまうところにこそ、くるしみの最大の原因がある。

 

ようするに、性格がクドイのである。

いつまでもある事象に引っかかって、手放すことも、視線をそらすこともできなくて、じっと見つめて握りしめてしまう。

これを市井のヨガなどでは「手放すトレーニング」と称して呼吸法や瞑想でこれを実現しようとするけれども、さて呼吸や瞑想で性格がほんとうに変わるのか。

たいへん疑わしい限りであります。

それよりも食うものを変えてしまうというのが、もっと合理的のような気がしてきたのです。

性格を「あっさり」させてしまえば、どんな刺激があったって、スルっと絹の薄布のように逃げてしまえるのであります。

こころがハエトリ紙みたいに粘着しているから、いろんなものにくっつくし、いろんなものがくっついてくる。めんどうである。

 

そこでぼくは突如として、「しあわせのレシピ」を思いついたのであります。

あっさりしたものを食って、性格があっさりするのはいいけれど、「愛のない」ひとになってしまうのは大いに問題がある。

またいくら性格があっさりしていても、繊細さや丁寧さが欠如してしまっているというのは、まったく困ったものであります。

・愛があり

・手間暇をかけた

・あっさりした

・おいしいもの

あっさりしているが愛情や丁寧さ、緻密さ、美しさも持ち合わせている。

そういった料理を食えば、ひとはそんな性格になっていくのではないか。

ブレイクダウンしていくと、それは結局「精進料理」になるのではないか。

精進料理は「あっさりの極地」であり、「こってりの対極」でもあります。

しかし作るのが、ひじょうにむずかしい。

手間暇がかかり、丁寧さが必要で、下準備や段取りも非常に重要である。

インスタント料理の対極にあるともいえる。

 

インスタントものやコンビニ弁当ばかりを食っているのは、栄養の偏りよりも「愛の欠如」のほうが問題になるのだそうです。

とくに子供にそういったものばかりを食わせていると、愛のない人間に仕上がっていくらしい。

親や保護者が手間暇かけて、たべる人をちゃんと見て考え思って作った料理は、その人に「愛」を与えるものなのだそうです。

解凍ものばかりを食わせるチェーン店より、「好き嫌いせんと、ちゃんとなんでも食わな!」なんて口やかましいオバハンがやっている定食屋で食うほうが、愛は増えていくのかもしれません。

自炊するのも、おなじだと思う。

レンジでチン、ばっかりのものを食うよりも、いろいろ考え悩み手間暇をかけて仕込んでつくる手料理のほうが、自分自身に愛をそそげると思う。

自分自身への愛というのはつまり、自信であり、自己肯定感であります。

 

いっかい根性据えて、精進料理を作ってみようと思う。

愛あり、緻密さあり、計画性あり、しかしこだわりなく、あっさりして、芳醇である。

これをひことでいえば「強い」ということになるのだと思う。

あっさりしたもん食って、あっさりした人になろう。

ギラギラ・ゴテゴテの元気は一過性の効力しかないのに、えてしてあとに苦しみだけを残すものである。

 

 

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