あれも、これも、ウソだった

なんだよう。

あれも、これも、ウソばっかじゃねえか。

っていうことに、さいきんよく思い当たるのでありますよねえ。

とくに、こどもの頃に教わったことには、ウソが多い。

 

「わがままは、わるいこと」

うそつけ!

わがままって、ぜんぜんわるくないし、むしろ「良いこと」でもあるんですよね。

わがままって、漢字で書くと「我儘」。

わたしのまま、ということ。

「あるがまま」ということは「良い」とか言われるのに、どうして「わたしが、あるがまま」なのは、悪いことになるのか。

ちがうんである。

わがままが、わるいのではない。

他人に対して思いやりがない」ということが、よくないのであった。

わがままなのと、他人に思いやりがないのは、全然べつのはなしです。

両立も可能。

わがままになったから思いやりを失うのではないし、思いやりを失ったらわがままになるのでもない。

まったくもって、べつのはなしなんだよなあ。

なのにガキのころから、親からも先生からも、ずっと言われ続けた。

「わがままなのは、わるいことだ」

うそつけ。

戦後まだ20数年しか経っていなかった当時の日本には、まだ封建的な雰囲気が残っていたんだと思う。

忠臣とか、忠国とか、全体主義とか、そういう原始的でふるい社会構造からどうしても抜けきれなくて、「我をすてて、ウエのために、ヒトのために尽くす」ことが重要だといわれていた。

身分差があり、その差別社会構造を維持することによって、最大公約数的な幸福を実現しようという社会においてはそれは意味があった。

そうすることで、庇護を受けられるからである。

しかし民主主義になり、人には根源的な差はないという社会になったとき、そのようなイデオロギーはまったく不要になる。

守ってくれる「ウエ」も「イエ」も、もうないんだから、じぶんで生きていかねばならぬ。

「尽くす」だけではもう、生きていけない世の中になった。

自由平等というのは、みんなが仲間であるいっぽうで、みんなが敵だということでもある。

きのうの味方が、きょう敵になることもある。

そんな世の中において「わがままは、ならぬ」などという、カビが生えて腐りかけたイデオロギーなどをいつまでも持ち続けていたら、殺される。世の中に。

そんな甘ったるい世の中は、もう死んだ。

自由平等の社会においては、むしろわがままでなくてはならぬ。

ぜひ、わがままでなくてはならぬ。

封建時代には、ひとや社会に尽くす行動、ルールや命令を守ること、礼儀や敬意こそが必要だった。

自由平等の社会では、わがままであることと、ルールを吟味し取捨選択することと、思いやりが必要になった。

そうしないと、世の中が、回らない。

 

「続けることは、すばらしい」

うそつけ!

まあ、とはいえ、これは100%ウソということでもないけど、「大半がウソ」だったんだなあ。

「続ける」よりも「やめる」ほうが、何倍も重要だった。

あたりまえである。

昔の社会では、社会や物事があんまり変化しなかったんだ。

「親の言葉とナスビの花は、千に一つの 無駄もない」的なことで、親や昔の言い伝えを守っておけば、それでだいたいうまく回ってた。社会構造があんまり変わらなかったから。

しかるに、いまは、どうだ。

世の中が、あっというまに変化するようになってしまった。

10年前に「良い」といわれていたことが、もはや存在さえしないことは普通によくある。

きのうまで正しかったことは、あしたはもう、まちがっているかもしれない。

親が言ったことで、的中したことなんか、ほとんどない。

哲学的なことならまだしも、現実的なアドバイスにいたっては、その的中率は惨憺たるものだ。

そんな世の中で「続ける」の意味は、大幅に変わった。

同じことを繰り返すことではなく、「変化しつづける」ことのほうが重要になった。

石の上にも三年、辛くても辛抱し、がんばりつづけているあいだに、もう世界は変わってる。

しがみつくことよりも、スパっと手放し切り捨てることのほうが重要になった。

「継続はちからなり」から「変化こそ力なり」に、変わっていった。

 

「がんばる」

「しんぼうする」

「もったいない」

「誇り・プライド」

「努力」

「継続」

「質実剛健」

「勤勉」

「まじめ」

「面倒がらない」

「ひとに迷惑をかけない」

etc.etc…

うそばっかり。

ほんとにまあ、よくもまあ、これだけウソばっかり集められたものです。

「しないほうがいい」「ないほうがいい」「逆のほうがいい」ことばっかりじゃあねえか。

まあ、それだけ世の中が変わったってことですかね。

 

ただ、昔からいわれていることで、自由平等の社会になってもいまだに現役で「生きている」こともあります。

「うそをつかない」

ひとにウソをついてもいけないし、じぶんにウソをついてもいけない。

じぶんにウソをつかなければ、必然、そのひとは「わがまま」になる。

わがまま上等、喧嘩上等、ひとに迷惑をかけるのは、生きている証拠である。

 

とはいえ、わがままばかりとおして、喧嘩ばかりして生きていくのは非効率でもあるし、非生産的でもある。めんどうくさい。

なにより、生存確率を落とす可能性さえある。

そこで必要なことこそが「思いやり」だったんですよね。

 

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