Be chidish, be foolish.

なんでもかんでも逆に考えるということではないんだけれども、最近妙に「正しいと思っていたことは、じつは間違っていた」ということに気がつくことが多い。

あれも、これも、ウソだった

「わがままは、良いこと」だったし、「続けることは、わるいこと」だったし、がまん、辛抱、もったいない、誇り、努力、勤勉、まじめ、ひとに迷惑をかけない・・・これらもぜんぶ、逆だった。

たぶんこういう考え方はぜんぶ「性悪説」に基づいているんだとおもう。

人間はほっとくとどんどん凶悪になっていくっていう考え方なら、これらは辻褄があう。

でも実際にはこれじたいが逆で、性善説のほうがむしろ現実的には整合性が高いことのほうが多いんだよなあ。なんだかんだいって、根っこの根っこは、まあまあエエやつのひとのほうが多い。

性善説にたてば、昔から言われていたモロモロが、笑止千万に見えてくるのでした。

 

さて、これらのことに加えて「幼稚」についての解釈もある。

幼稚なのはよくない、大人にならなければならない、っていう考えかたが、どうも一般的のようなのでありますね。

うむ、なるほどと一瞬思うけど、ではじゃあ「大人になる」っていうのは、どういうことなのか。

 

ひとことでいえば、大人になるというのは「自立する」ということになるんだと思う。

精神的にも、金銭的にも、社会的にも、生活的にも、自立すること。

さて、ではどうして「自立」しなければならないのか。

そして、自立することに、いったいどんなメリットがあるのか。

 

よくよく考えたら、この「自立」ということじたいが、たいへんおおきな過ちを抱えているような気もするのですよね。

「人という字は、人と人がお互いに頼り合っているカタチだ」なんてむかしキンパチ先生が言っていたけど、言い得て妙でありますね。

ヒトといういきものは社会的生物なので、人と人とは信じ合い、頼り合うようにできている。

ヒトといういきものは、頼られるだけでなく、「頼ることも義務である」。

ここに「自立」などというイデオロギーをブチこんだら、「頼り合う」が消えてしまうのでありますね。

だれにも頼らん、と宣言しているのであって、これは自然的に異常事態である。

 

そもそものはなし、自力で稼いでじぶんで家を借りて生活していることを「自立している」っていうのが、完全にまちがえている。

その家は大工さんが建てたのだし、そのメシは農家のひとが作ってくれたのだし、その服は服屋さんがつくったのである。

てめえはなんにもしていないで、カネだけ出した。

カネがあっても、職人がいなければ、なんにもうまれないし、生きていけない。

そもそもカネという経済システムも、じぶんが作り上げたものではない。

自立しているように見えても、その99%は「ヒトやシステムに頼りまくっている」のでありますよね。

てめえひとりでは、なあんにもできておらんのであります。

だからいわゆる「自立する」というのは、もしかしたらひとりよがりな考え方であったり、他人を疑うということだったり、他人を拒絶するということだったりする。

自立するという考え方じたいが、そもそも幼稚じゃん。

ネットを見ていても「大人にならないとダメ」みたいなことを言うひとは多い。うそつきめ。

 

だからへんな話だけれども、

「大人になるというのは、幼稚になることである」

と思ったんだなあ。

あと、

「大人になるというのは、ばかになることである」

とも。

Be childish, be foolish.

 

オトナニナリタイ。

カシコクナリタイ。

どういう人が、そう願うのか。

幼稚で、ばかだから、そうなりたいと願うのでありますね。

満たされていないから、満たしたいと思うのである。

ばかで幼稚なひとが言っていることを、どうして聞き入れなくてはならんのか。

大人になれだの、幼稚はだめだの、そんなことを言うやつは、ムシしとけばいいのだろうと思う。

 

いろいろ周囲を見渡してみて、ほぼ確実にいえることがある。

「幼稚なひとは、しあわせそうである」

笑顔が多い。

いきいきしてる。

話がおもしろい。

 

いっぽう、「大人なひと」に共通していることもある。

文句がおおい。

疲れている。

くらい、こわい顔をしてる。

話がつまらん。

 

だめじゃん。

おとなになったら、だめなのです。

正確に言うと、大人になろうとしたら、だめ。

その理由は明白、

「ひとは13歳ぐらいから、本質的にはなんにも変わってない」。

中身はガキのくせに、格好だけ無理して大人ぶるから、疲れてあたまおかしくなってんだよなあ。

無理せずずっと13歳のままで生きているひとは、無理してないから、いつも元気である。

 

大人になることを「責任感」と結びつけるひともいるけど、

責任感なんぞ、くそくらえじゃ。

だいじなのは責任感じゃなくて、思いやりなんですよねえ。

相手のことを思いやるこころがあれば、へんなことはしないのです。

思いやりがないのに、責任感だけ持っていたら、ひとは「じぶんを抑制する」方向に傾く。

そんな生き方、なにが楽しいんだろうか。

 

じぶんがバカであることと、じぶんが幼稚であることを認めて、

それが決して変わらないことも知って、

それをしっかり受け入れたとき、ひとは「大人」になるのかもしれませんね。

だからつまり、アレだ。

 

遊ぼう。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA