人生は暇つぶしなんだから

自律神経がオカシクなる人の共通項は「まじめ」というのがあるそうです。

あとHSPといって、性格的に繊細な人も多いらしい。

まじめも、繊細も、似ているところがある。

臆病であり、深刻であるというところです。

 

なぜ臆病になりやすく、なぜ深刻になりやすいのか。

「生への執着が強い=守りが硬い」

というのは、あるような気がする。

しかしこれは、なにも死ぬのを怖がり過ぎているとか、生命力が強いということでもない。

その多くは自身の生命に対する「解釈=勘違い」によるものなのではないか。

 

人生には意味があると考え、

人には使命や天命があると考え、

人の命は何よりも重いと考える。

そんな「勘違い」によって、神経が過敏になり、臆病になっているのではないか。

勘違いなんだよなあ。

人生に意味なんてねえし、人に使命も天命もないし、人の命も虫の命も同じだっつうの。

この世に自分の意思で生まれて来たやつなど、ひとりもない。

両親の快楽や都合の成れの果て、それがわが生命であり、これはほかの動物と全く同じである。

ある日とつぜん「この世」という、先祖たちが築いてきた「枠組み」の中に強制的に放り込まれ、そこのルールに従うように生命を矯正する行為に教育という名前をつけ、価値付けをされたりもする。

このことこそが、人生に意味はなく、天命もないことの証左である。

「生まれ落ちた環境の都合」によって、人の価値も、使命も、価値観さえも変わる。

 

たまたま生まれ落ちた環境が「人生に意味はある」という「都合」を持った世界だった。

これに従うと「意味のない人生は悪である」という概念を生みやすい。

人生というのは原則計画通りに、想定通りに進行すべきであると思うようになり、そのために自身の能力を高めるべきだとも思い、失敗は自己責任であると考え始める。

なにか行動を起こすたびに、入念な準備をしたり、執拗に考えたりする。

すると、失敗や衝突のたびに懐疑を生むようになる。

努力しているのにうまくいかないと、自分や、人や、社会を疑うようになる。

自分自身の価値に対して決定的な懐疑を持つようになってしまう場合もある。

 

バカかっつうの。

これぜんぶ「人生には意味がある」という「勘違い」からうまれているんですよね。

意味なんてねえのに。

いまここに存在しているのは、意味ではなく、「わたしという時間」である。

わたしという存在の時間だけが、ここにある。

人間は本質的に時間的存在であり、万物の実存は時間である。

そしてこの時間にも、意味はない。

時間は人間が作ったものではないから、人間的な「意味」など存在しえない。

 

意味のない時間を、どう過ごすべきだろうか。

んなもん、暇つぶしに決まっとるやろーも、っていう話ですよねえ。

たかが暇つぶしのために、なにをそんなにアタマに血管浮かばせて、深刻になっているのか。

いや、まあ、べつにそれでもいい。

「いのちがけの暇つぶし」だってアリだし、それはその人の自由でもある。

むしろそのほうが、暇つぶしとしては楽しいかもしれない。

ゲームでさえ、遊びこそ、本気でやるほうが楽しいから。

でも所詮、暇つぶしだ。

 

「マイブーム」を、もっと大事にしようと思う。

ハマっていることがあるからこそ、意味のない時間をまるで意味があるかのように過ごすことができる。

これはしばしば変わるほうが、都合がいい。

「一生ずっと同じことにハマる」というのも、もしかしたらオツなのかもしれないが、同じ時間内にできるだけたくさんのことを経験してみるというのも楽しそうである。

飽きっぽいのはマイブームを大量に生み出すクリエイティブ能力に長けているということでもある。

ある意味、時間の使い方が上手いのかもしれない。

 

たかが暇つぶしに、なにをビビる必要があるねん。

病気さえも、暇つぶしじゃ。

 

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