このたびは、体調を崩していろいろ勉強になりました。
ぼくのいろいろな不調は結局「過剰な接合」によって起きていることが多い、ということにも気がつきました。
思考と感情の、必要以上の接合。
行動と感情の、必要以上の接合。
いろいろなことを「切り離して」いきたいものです。
「やる気」というのも、感情のひとつ。
これを、行動から切り離していこうと思うのです。
ぼくはモチベーションが低下することが、わりと少ないタイプです。
たぶん、けっこう好きなことを仕事にしているせいだと思います。
このことじたいはとても良いことではあるのですが、良いことがあるということは、わるいことがあるということでもあります。
基本的にやる気が多いため、つい無理をしてしまうというのがあるのです。
このたび長期間寝込んでしまったのも、これが原因のひとつもでもあると思います。
じぶんの体調よりも、仕事を終わらせるほうを、優先しすぎてしまう。
「とにかく今をがんばって乗り切って、あとでまとめて休もう。」
そんなふうに考えることが多いのですが、ある意味これは、達成できたともいえます。
2週間寝込みましたから。
しかし思った。
全然割に合わねーや。
休むっていうか、寝込んでいるんだものなあ。
たしかに休みは休みだけど、全然楽しくないよ!
「やる気がありすぎて、体調を壊す」というのとは、別の方向もあります。
むしろ、こちらのほうが、スタンダードかもしれません。
「やる気が起きなくて、なにもできない」。
仕事しなくちゃ、そう思うけど、やる気が起きないのです。
「あたくしの中の、のび太」が出てきて、ついついダラダラしてしまう。
しなくちゃいけないことはわかっているのに、やる気がどうしても起きない。
ぼくの場合は「外出」がこれに該当します。
なーんか、外出する気が起きないなあ。
家に籠もっているのは、あまり良くないことはわかってる。でも、出る気がしない。
結局どとらも、同じ原理に支配されていますのですね。
「やる気と行動の連結」という原理に。
けさ目が覚めて、またことばが天井から落ちてきた。
やる気があるから、
やるのではないぞよ。
「やる気があるから、やる」
この理屈がまかり通るから「やる気がないから、やらない」というのもまた、まかり通ってしまう。
やる気なんて「常にありつづける」ほうが、ずっとおかしいのですよね。そんなの、ある意味病気だ。
誰だって、どんなことに対しても最初はやる気にあふれています。
しかしそのうち、やる気なんか、必ず消えてしまうま。
まちがえた、消えてしまうんですよね。
感動逓減の法則、こころはつねに変化するものだからです。
こんなあやふやなものにしがみついているから、おかしなことになるんだ。
やっと気が付きましたよ。
やる気と行動は、一致していなければならないというルールなんかありません。
また、やる気を常に持ち続けていなければならないというルールもありません。
正確には、
「やる気はあるに、越したことはない」
程度なんですよね〜。
やる気も、夢も、目標も、あるに越したことはない。
しかし、そういったものが「ない」からといって、行動ができないわけではありません。
「思考と感情」「感情と行動」があまりに連動しすぎているために、どこか一部で起こったことが、まるでドミノ倒しのようにすべてに影響をしてしまう。
「思考」「感情」「行動」が依存しすぎ、分化独立できていないがために、さまざまな精神的な不具合も起こるのだと思います。
分化独立できない、その最たる原因こそが「主観依存のクセ」だと思います。
ネコは、まばたきをするたびに、世界が暗くなると思っている。
それに似たようなことで、じぶんの主観に強く依存するがゆえにすべての「こころの作用」が混ざりあって、窮屈になっていく。
そんな気がするのでありますね。
やる気なんぞ、夢なんぞ、目標なんぞ、クソくらえじゃ。
そんなものがなくたって、じゅうぶん生きてはいける。
「あるに越したことはない」程度のものに依存しているから、それを失った時に、なにもできなくなってしまうのですよね。
基本的には、やる気になんか依存しない。
でも、やる気が起きるような努力は、もちろんしたってかまわない。
これは優先順位の話なんでしょう。
正しい優先順位をつけられるのもまた、客観性あってのことですよね。