苦しみが多いのは「苦しまないといけない」と思ってるから。

さいきん、電動機付き自転車でそのへんをウロウロしてます。

 

ぼくはパニック障害から広場恐怖症にクラスチェンジして、外出が非常に苦手になってしまいました。

これを治そうと無理やりにでも外に出たり、「一日一万歩を100日連続」とかいうトライアルも達成しました。

しかし結局功を奏さず、外出恐怖は治りませんでした。

 

そこで「イヤなことを無理やりやるから、よけいにイヤになったり怖くなったりするんだ」ということにやっと気が付き、予期不安などで外出したくない、できないときには、無理に外出しないようにしました。

とても罪悪感があるのですが、請求書を出すなどの用事を両親や娘にお願いしたりしていました。

そういうふうに、恐怖を「お休み」すれば、そのうち治るんではないかと期待していた部分もあります。

しかしこれも結局、うまくいきませんでした。

それどころか、むしろ前よりも外出が怖くなってしまったのです。

外出が怖いからといって、外出を完全に拒否してしまうと、ぎゃくに悪化するのです。

まあ考えてみればあたりまえで、長い期間家に引きこもっていたら、広場恐怖とかではない人でも外出時に緊張するものです。

苦手だからといって避け続けていたら、これは病気云々の話じゃなくて、ふつうに考えてよけいにダメになる。

 

じゃあ、どうすればいいんだっ!

……なんてキレそうになりますけれども(ならないかな)、困ったものですね。

 

そこで「どうしたら治るか」という方法論を究明するのではなく、「外出の、なにが怖いのか」についてもっと冷静に観察することにしました。

そうしたら、それほど複雑なことではないのですね。

ひとことでいうと、

外出の最中に気分が悪くなるのが怖い

ということなんです。

 

自律神経の調子がイマイチだと、たとえば急に立ち上がったときに息苦しくなったり動悸がしたりすることがあります。

この循環器系の不快感が、「心筋梗塞」「脳溢血」などというよけいな知識と結びついて、怖くなってしまうんですね。

 

「外出はイヤだ」と思っているのに、無理に外出をすると、腹筋や肋間筋が硬直します。

ストレスを感じると、人間は腹筋や肋間筋が萎縮してしまうのです。

そうすると当然呼吸は浅くなり、血行もわるくなります。

だから、そんな状態で歩いていると、ただでさえ自律神経が不調で息苦しさや動悸が出やすくなっているというのに、よけいにそんな症状が出やすくなってしまうんですね。

で、歩いている最中に苦しくなったり動悸がしたりすると「ああ! まただ! やっぱりダメなんだ!」となってしまう。

 

この一連の行動を、まるでまったくの赤の他人を見る視点で眺めていると、たったひとつの評価しかありません。

 

 

 

あほちゃうか

 

 

 

条件1:そもそも外出を怖いと感じている

条件2:「怖い」と感じる具体的な対象は、不意の動悸や息切れ等である

条件3:緊張しているので動悸や息切れが起きやすくなっている

 

この3つの条件があるのに、

イヤでもがんばって、外出するんだっ! そうなのだっ!

と決意を固めて、飛び出していってしまうんですね。

そんなにガッチガチに緊張したまま突撃したら、絶対に動悸とか息切れするに決まってます。アホやなあ。

 

いったい、ぼくは何をしたかったのだろうか?

そう!

問題は、ここなんです。

何がしたかったのか

根本的な考え方として「苦しまないと目標は達成されない」という哲学を持っているんですね。

根が体育会だから、そう思うようになったもかもしれません。

体育会じゃなくても、まじめな人であれば、みんなそう思うかもしれませんが。

たとえば筋トレなんかでは、ニコニコ、ウフフ、だけではぜったいに筋肉はつきません。

試合で勝つためにも、ほんわかゆるゆる、平和な笑顔に包まれて練習をしていたのでは、ぜったいに勝てません。

商売だって、昼間っからゴロゴロ〜ゴロゴロ〜、アーアー・アーアーあくびをしていたって、儲けることはできません。

やっぱりどのようなことでも、「うわあ、キツいなあ!」と感じることを少しぐらいはしないと、目標は達成されないのです。

 

そう、それで正しいのですよね。なんにも間違ってない。

だからなにがおかしいかというと「治すことを目標にしてしまっている」というところなのです。

目標だから、何かつらい、苦しいことをしないと、達成されないのだ。

そんなことを、反射的に考えてしまうんですね。

だから、つらい、いやだ、怖いという病的な反射があったとしても、それをぶっ飛ばして遂行しようとする。

 

なにがアホかというと、外出恐怖を「治す」という「目標」に定義してしまったことなんですね。

ちがうだろ?

だってもともとは、外出はむしろ好きだったんですから。

むしろ、家のなかでじっとしていることのほうが辛かったのですから。

 

なぜ、外出が好きだったのか?

それは

外出すると、楽しいことがあるから

外出すると、気持ちいいことがあるから

なんですね。

だから「治す」とかじゃなくて、「外出の楽しさを思い出す」ことが、いちばん最初なんじゃないの?

目標を達成することじゃなくて、外出が楽しくなる工夫をすることが大事なんじゃないの?

 

そもそもどうして外出がダメになったかというと、外出中にパニック発作を幾度となく繰り返したからです。

つまり「外出=苦しい」という公式が「外出=たのしい」という公式を完全に上書きしてしまったんですね。

だから「苦しんで外出恐怖を克服する」というのは、完全に論理的に破綻しているんですよ。

苦しいからイヤになったのに、どうして苦しいことするんだよ。どうして「まちがった公式」を、強化していくんだ。

そんなもん、治ったら奇跡やんけ。

だからアホや、っちゅうんですよね。

 

そこで、電動機つき自転車でそのへんを走り回ることにしたんです。

昔趣味だったから、ロードバイクも持ってるんですよ。

でもこれは、はっきり言ってシンドイです。

とくにぼくの家の近所は坂道だらけなので、「ロードバイクに乗って外出恐怖を克服する」というのは、「苦しみの二度揚げ」みたいなものです。

無理してロードバイクに乗ってヒルクライムに挑戦したりしたら、また動悸や息切れをきっかけに、恐怖がめざめる。

へたすると、外出どころか「ロードバイクが怖い」になっていってしまうんですね。

これも、アホがすることです。

 

自転車って、すげえ気持ちいいんですね。

天気のいい日に、風を切ってサーーーっと走っていくのって、たとえそれが短い距離であったとしても、やっぱり爽快感があります。

自転車は平地だと歩くよりも走るよりもラクだから、動悸や息切れが起きにくいんですよね。

で、もし坂道になっても電動アシストがあるから、それほど強い負荷にならない。

でも全然負荷がないかと言うと、そうでもないんですね。

坂道を登っていったら、やっぱり多少は脚に負荷がかかります。

しかしそうやって電動機付き自転車でウロウロしていると、そのうちだんだんカラダも運動に慣れてきて、動悸や息切れもしにくくなってくるんですね。

そうなると、少々キツい坂道を登っても、もう動悸や息切れもしませんから、爽快感だけを感じるようになります。

大した運動じゃないけど、それでも「家でパソコンやスマホをじっと見ている」よりは断然良いわけで、そこそこ運動したなという満足感も得られます。

 

外は、たのしい。

外は、きもちいい。

まずは、これを思い出さないと。

「がんばって、必死になって、恐怖を突破するんだ!」

その意気やよし。

でも注意しないと、苦しみの重ね塗りと重ね揚げばっかりになって、どんどん恐怖は濃厚になっていくだけなんですね。

かといって、逃げてばかりいても、ぜんぜんまったく治らない。

 

ああ、外へいきたいなあ!

そう思うようになったら、勝ったも同然。

外は楽しいという「ただしい公式」に差し替えるためには、「たのしいこと」をしないとダメですよね。

 

苦しみが多いのは「苦しまないといけない」という、これまた「誤った公式」を大事にしてるからかもしれませんね。

ひとことでいえば、アホですわね。

んなわけないだろうが。

苦しまないと達成できないことは確かにあるけど、そればっかりじゃないです。

なかには「楽しまないと達成できない」ってことも、思ったよりたくさんある。

それに正しい努力をしているときって、「苦しいけど楽しい」ものです。

ただ苦しいのは、努力でもなんでもないぜ。

時間の無駄遣いだ。

 

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