やっぱ暑いと、なんかパニック発作っぽい感じになりそうになることが多いなあ。
パニック障害の人って、暑さにゲキヨワなひとが多いそうなんですね。
そもそもの話として、暑いとだれでもイライラ・ソワソワするもんです。
まったく同じストレスでも、涼しくて快適なときに受けたときと、くそ暑い中で受けたときでは、ぜんぜんちがう。
暑いときは、もうなんでも腹立つ、っていうのはあります。
統計によると、酷暑は暴力犯罪を増加させるというのもあるようです。
https://www.gizmodo.jp/2016/07/clash_model_for_violent_crime.html
暑いとイライラするのは、べつにヘンでもなんでもない、っていうことですね。
だから、パニック障害って「怒り」が深く関係していると思うんですよね。
暑い → イライラする → イライラが発作のトリガーになる
パニック「障害」になるひとって、元来感情コントロールが厳密な人が多いような気がする。
しょうもないことで怒ったらいかん、そんな倫理観みたいなのが強いような気がするんですよね。
我慢強いというか。
実際に、普段からバカみたいに怒鳴り散らしたりはしない。
案外そんな「強いブレーキ」のせいで、怒りがハラの中で発酵してるのかもしれない。
そこで、暑いとイライラしてきて、押さえつけていた「フタ」がグラついてきて、どばどば漏れ出す。
あんまり我慢しない人にくらべて、暑さで漏れ出てくる怒りの量が多いんじゃないか。
この異様な怒りを押さえつけようとすることで、パニックに至っている気がする。
さておき、ではなぜ、暑いとイライラするのか。
これもまだよくわかってないみたいだけど、暑いと脳の血管が開いて、脳の血流が増えるからじゃないか、っていうのもあるようです。
アタマに血があつまると、これまただれでも、イライラするんですよね。
更年期障害の女性がすんげーイライラしてんのも、ホットフラッシュとかでアタマに血が登ってるからです。
たぶん、栄養過多とかで神経がコーフンするんじゃないかなあ。
暑いと男性ホルモンがよく出るからイライラするんだ、という説もあるけど、ぼくはこれは逆なんじゃないかなと思います。
暑くてイライラするから、男性ホルモンが出るんじゃないの?
男性ホルモンのせいでイライラするってんなら、よく筋トレしてる人は全員イライラしてんのか、っていう話になる。
してねーわ。むしろ落ち着いてるわ。
なんでもかんでもホルモンのせいにすんなっつうの。
そんなことより「暑くてもべつにイライラしない人がいる」っていうことに注目したいんですよね。
あと、動物なんかは全員、暑くてもイライラしてないよ。
むしろ、グダーっとなって、べろーんとなって、おとなしくなる。
うちのイヌも、そうです。
イライラしてる感じって、むしろ冬のほうが多いような気がする。
いや、イライラしてんじゃなくて、単に元気なだけかもしれないけど。
あと、小さな子どもなんかもその傾向が強いですよね。
暑いとイライラするっていうより、なんかだらしなく、やる気がないようになることが多い。
暑いとイライラするのって、じつは人間の大人だけなのかもしれません。
だから「暑いとイライラする」っていうのは、神経とかホルモンとかそういう理系的な構造の話じゃなくて、もっと文学的な「解釈」の問題なんじゃないかな、と思ったりすることもあるんです。
物質とか本能とかいう基本構造のレベルじゃなくて、もうすこし上位の「情報処理」とか「解釈」に関わるところなんじゃないか。
刺激に対する解釈が身体的な反応を呼び起こして、それでいろんな不快感を持ち出している。
昔から、よく言われることもあるんですよね。
暑い暑い言ってたら、よけいに暑くなるぞっ!
暑いと思うから、暑いんじゃ!
一見乱暴な意見に見えるけど、これじつは、ガチなんだよなあ。
スポーツとかの運動したことがある人なら、わかると思う。
あっちー、あっちー言ってたら、ほんとうに汗がいっぱい出てきて、すげー不快になる。
でも暑い暑い言わないで、暑い暑いと思わないようにして、気をそらしていれば、案外それほどでもなくなるっていうのは確かにあるんです。もちろん、限度はありますけどね。
だから暑さというのは、必ずしも温度や湿度、脳や神経の反射、ホルモンバランスとかミネラルとかいう理系の話だけじゃなくて、もっともっと文系的な「感情」「思い込み」の領域が思った以上に多いと思うんです。
パニック発作も案外そうなんじゃないかな、と思ったりするんですよね。
神経がおかしい、脳の異常だ、そういう説もあるけれど、どうだかなあ。
それも仮説のひとつに過ぎないんですよね。
ほんとのところは、まだなーんにもわかってない。
ぼくは個人的には、パニック発作は感情発作じゃないかな、と思ったりするんですよね。
神経がおかしいんじゃなくて、刺激に対する解釈がおかしいんだと思う。
暑さや、発熱や、カフェインや、疲労がパニック発作のトリガーになるというのは有名です。
で、このへんの刺激って、ぜんぶ血管拡張作用を呼び起こすものなんですよね。
血管が開いたり、循環が旺盛になるときに、発作はよく起きるのです。
しかし、血管拡張や循環の旺盛が、からだに悪いことはありません。ただの、正常反応です。
だから暑さや、発熱や、カフェインや、疲労がわるいんじゃなくて、こころの「解釈」がおかしいんだと思うんですよね。
血管拡張や循環活性という「刺激」に対する「解釈」が、どこかで狂ってしまった。
これを治すのは、案外それほど難しくないのでは、と思うときもあります。
「こころの、刺激に対する解釈がおかしい」というふうに聞くと、なんやら難しそうではあります。
でもこれと同じメカニズムは、じつはとても身近にあります。
キライな食べ物。
たとえば、ニンジンがきらいだったとする。
ニンジンのアレルギーというわけでもなく、ジンジンを食べると病気する体質でもありません。
むしろジンジンは、カラダにいい食べ物でもあります。
でも、きらい。ニオイとか、アジとか。
「こころの、刺激に対する解釈がおかしい」って、まさにこれなんですよね。
ニンジンがわるいんじゃなくて、ニンジンに対する「解釈」がおかしいのです。
キライな食べ物だったのに、なにかのきっかけで、逆に好きになっちゃった!
これって、べつにそんなに、珍しいことでもありません。
たまたま洋食屋さんで食べてみた、ハンバーグの添え物のニンジンを食べてみたら、すげーうまかった。
そんなしょうもない理由で、その後の人生でニンジンが好物になってしまう人も、少なからずいる。
だから、そんなに深刻に考えなくてもいいのかな、と思ったんです。
ヒトのこころというか、「刺激に対する解釈」っていうのは、瞬時に、まったく逆の方向にすっ転ぶ可能性を大いに秘めている。
だから血管拡張作用に対する解釈の誤りも、案外コロっと変わるんじゃないか。
で思ったのが、それが「運動」なのかもしれないです。
わりと強めの運動を継続していくと、パニック障害や不安神経症というのは、治っていくことが多いのだそうです。
その理由として、脳科学的な複雑な論文もたくさんありますが、じつはそんなにややこしい話ではないのかもしれないです。
強い運動をすれば、当然動悸、発熱、発汗、血管拡張、息苦しさなどが強く出るようになります。
これらはすべて、血管拡張作用で、パニック発作のトリガーたるものです。
日頃から血管拡張状態に多く触れることで、慣れちゃった
っていうことだけなのかもしれないです。
血管拡張作用に対する、こころの「解釈」が、コロっと変わってしまうのです。
もしそうなら、絶対にやってはいけないことがあるんですよね。
それは、キライな食べ物を、ずっとキライなままでいる方法と同じ。
逃げることだ。
暑いのや、動悸がするようなこと、血管が開くようなことを、避け続け、逃げ続けること。
そういうことをしていたら、永久に「慣れる」ことができないので、いつまでたっても「誤った解釈」から開放されることはない。
外出が苦手だからといって外出を避け続けていると、どんどん悪化するのと同じメカニズムですね。
だから、怖くて苦手な刺激に対しては、できるだけ接するようにしていったほうがいいのかもしれません。
それこそ、修行だと思って。
ちなみに「修行」という言葉は本来、インドやチベットの原語では「慣れる」という意味なんだそうです。これはチベットのお坊さんに直接聞きました。
日本や中国では、修行というとどうしても「辛いことを我慢して継続する」みたいな雰囲気があるけど、これは全然、ちがうらしいです。
そもそも修行という漢字じたいに、辛抱とか我慢とかいう意味はない。「修め、行う」という、いわば「おぼえて実行する」程度の、ただそれだけの意味だったのです。
修行って、「慣れてしまおうぜ」ってこと。
だから修行に必要なのは、辛抱とか忍耐とかじゃなくて「ちょっとした勇気」だけなのですね。