ヨガは身体に悪いのかもしれない

「ヨガは身体に良い」

というのは、もはや近年では一種の常識のような感じもある。

ぼくはかれこれ5年ほどわりと真面目にヨガを続けてきたけれど、ある種の結論に到達しようとしている。

「ヨガは身体に悪い」

 

まったく逆のことを感じるようになった。

理由は2つあって、まず第一に、これが最大の理由なのだが「ヨガが身体に悪いと自分自身で感じる」というのがある。

ヨガをやった日とやらなかった日で、当日〜翌日の体調を内観してみると明らかに違うのである。

ヨガをやった直後は、体調が良い「ような気がする」。

しかしその翌日以降は、客観的に見ても体調が悪化していることが多いようなのである。

とくに自律神経の調子が不安定になったり、考えることが妄想的になったり、臆病になったりなどの影響がみられる。

しかしヨガをやらなかった日は、当日も、それ以降も「とくに何もない」。あたりまえだが。

ヨガをやらなくても、体調に大きな変化はないのである。

いっぽう、確実に体調が良くなる運動はある。

それはもはや「運動」とさえ言えないことなのだが、いわゆる「伸び」である。

ただの「伸び」。

だれでもやっている、何なら犬猫でもやっている、たまにう〜〜んと身体を伸ばすアレである。

これは「決定的に」体調が良くなることを発見した。

 

ヨガを行うことで体調が悪化することについては、当然ぼくも以下のような可能性を考えた。

・やりすぎているのではないか

・ヨガのやりかたを間違っているのではないか

・いわゆる「好転反応」によるものではないか

しかし、そのいずれも「No」という結論にしか至らなかった。

ヨガの先生に推薦されるほど真面目に学習していたので、やりかたが大きく誤っていたというのは考えにくい。

また、最近は毎日ではなく数日おきで、時間も30分以内にとどめているし、無理な菜食なども行っていない。

だから「やりすぎ」というのもあまり適切ではないと考えられる。

そして「好転反応」であるが、好転反応という考えそのものが誤っているという説もある。

好転反応や「めんげん」といわれる症状の多くは、代替医療を行う人達が偽造した「詭弁」の一種ではないかと言われているのである。

少なくとも確実に言えるのは、もし好転反応というものが科学的、客観的に認められるものならば、これは正式に一般的な医療でも言われるはずだということである。

しかし好転反応という現象は、現在のところ正式に認められているものではない。

 

このようなことを考えているときに、「恒常性」ということに思い当たったのである。

恒常性というのはほぼすべての生物に備わっている自己調整機能のようなことで、与えられた環境に応じて自在にシステムを変化させていく柔軟性である。

ぼくたち人間にも、もちろんこの恒常性は備わっている。

「デスクワークはからだに悪い」とよく言われる。

しかし「恒常性」ということから考えれば、デスクワークを長年続けていけば、その人間はいずれデスクワークに適したシステムを自身の身体で構築していく可能性がある。

むろん限度はあるだろうが、まったくデスクワークをしない人とデスクワークを長年続けている人とで比較すれば、そこには身体のシステムに何らかの「適応変化」の差異が見られるのではないだろうか。

 

「人間はとくに何らかの努力を行わずとも、身体が自然に環境に対応するようになっている」

普通に考えて、むしろそうでなくてはならないのではないか。

ヨガなどの作為的な運動を知悉しておかなければ健康に生きていけないというのは、あまりに不自然である。

そのような生物が、この世界に存在しているというのは、あまりに無理がある考え方ではないか。

生物というのは、生まれ落ちたその場所に最適化するよう最初からある程度プログラムされている。

そのような柔軟性を持っている。

しかし、この恒常性を発揮するためにどうしても必要なことがある。

それは「時間」である。

時間がかかるのである。

確かに変化はするのだが、一瞬で、というわけにはいかない。

明るいところから暗いところへ行って目が慣れるのは数十秒で可能だが、こと神経システムや循環システムなど基盤系のシステムの改変を行うためには、かなりの時間がかかると考えられる。

数日、数週間、数ヶ月、数年の月日を同様の環境下で生活し、ながい時間をかけて変化し、最適化していくことが多いように思う。

 

思うに、ヨガというのはこのような「最適化」を乱暴に「リセット」してしまうのではないだろうか。

たとえばデスクワークなら、せっかく長期間続けることで身体の恒常性維持機能が徐々に身体をデスクワーク用に最適化させていたのに、ヨガを行うことで骨格や呼吸などすべての状態が「リセット」されてしまう。

そうなると、次にデスクワークを行うときには、また最初から全部やり直しになるのである。

これは普通に考えて、身体にかなりのダメージを与えているとは考えられないだろうか。

せっかく「その環境に最適な」身体に変更するように向かっていたのに、毎日毎日、全部がリセットされてしまうのである。

このようなことを繰り返すことは、身体に余計な負荷を与えているのかもしれない。

実際、とくにパワーヨガやホットヨガなどは身体への負荷が非常に高いため、それらのエクササイズをやめたとたん、健康診断で循環器系の数値が一気に改善したという話もある。

これはつまり、ヨガが健康に寄与しないどころか、悪影響を与えていたという一例である。

 

あと、もう一つの理由もある。

「ヨガをやっている人たちが、おかしい」

という「事実」である。

ヨガを行う人には自然やオーガニックということに執着する人が多い。

趣味程度、ちょっと気にする程度なら全くかまわないのだが、徹底的にこだわる人は案外多く、そしてその傾向はいずれ「陰謀論」と結びつき、この社会は誤っているなどと思い出して、明らかにおかしな方向性に進んでいってしまうのである。

また菜食主義に拘るがあまり骨粗鬆症になり、ちょっと転んだだけで大腿骨や骨盤などの巨大な骨が粉砕骨折してしまう人もいる。

それが本人だけなら別に勝手なのだが、わが子や家族まで巻き込んで、一族郎党で社会に反発し社会生活に決定的な問題を抱えるまでに「闇落ち」をしていくのも何度か見た。

はっきり言うが、これはもはや「狂気」である。

思想であるとか考え方であるとか、ましてやライフスタイルなどではない。

「狂気」なのである。

健康に良いはずのヨガを行うことによって狂気に転落してしまうというのであれば、それのどこが「健康的」なのだろうか。

まったくもって、不健康極まりないのではないか。

 

つまり、ぼく自身が自身を観察して見える変化と、ヨガを行っている人たちの客観的変化の観察によって、

「ヨガは身体に悪い」という結論を得たのである。

 

じぶんことも、じぶんの身体も、信じられない。

 

じつは単純にこのことが決定的なのかもしれないなとも思う。

いろいろとむずかしいことを言い、むずかしいことを考え、むずかしいことをやってはいるが、とどのつまり「わたしは、わたしを、信じていない」というだけなのではないか。

自分を信じられない人は、ひとのことも信じられないという。

ひとのことを信じられないひとは、社会もことも信じられないそうである。

多すぎる疑念は、ひとを孤立させていくという。

そして多すぎる疑念は、「エゴ」から生まれる。

エゴが強いがゆえに、人のことが信じられず、だれかに何かを任せることもできなくなっていく。

 

われを信じ、ひとを信じる。

ヨガだの何だの小難しいことを勉強するまえに、まずはこの部分を勉強することが先決なのかもしれない。

からだのことは、からだにまかせておれば良い。

わたしのからだは、毎日よくがんばってくれている。

感謝こそすれ、あれがちがう、これがちがうなどとノイローゼばばあのように文句をたれてばかりいるのは、かわいそうだし、失礼きわまりない話である。

わたしのからだは、毎日よくがんばってくれている。

怪我をしても治ってくれて、ライフスタイルにあわせて骨格なども自在に変化してくれる。

何も考えていなくても生きていてくれる、生きようと、生かそうとしてくれる。

 

うまれたときから一回も離れたことがなく、死ぬまで絶対に離れていかない、このからだ。

これと仲良くできなくて、だれが、なにと、どう仲良くなれるというのだろう。

からだのことは、からだにまかせる。

わたしのことは、かみさまにまかせる。

そうすることで「エゴ」が消えるのかもしれない。

 

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