レベルが上ったと、思うことにする。

ほぼ1日に5件も記事を書くなんて、まったく普通ではない。

つまりそれほど怒り心頭に達している、ということです。

 

怒りを鎮めるあるいは、ごまかすために、書いているのです。

じぶんのなかのいろいろなことを、整理しようと。

 

どこかで、聞いたことがあります。

「苦悩は、その人のレベルを超えてはやってこない」

つまりいま受けている苦悩は、必ず乗り越えられるものである、という。

これが正しいかどうか、それはわかりません。

ただ思い返せば、確かに合っているところもあるな、とは思います。

 

また別件で、こういうことも聞きました。

「病気が治れば、また新しい現実の苦悩がやってくる」

心身の調子が良くないと「この病気さえ治れば幸福になれる」というふうに思いがちです。

しかし実際には、病気が治れば、別の新しい現実的な苦悩がしっかりとやってくるのです。

これはぼくも、そのとおりだと思う。

そしてこの現実的な新しい苦悩は、病気のそれに、まったく引けを取らない。

 

両方の話を合わせて考えてみても、まったく矛盾はありませんね。

・乗り越えられない苦悩はない

・じぶんのレベルが高くなれば、苦悩もあわせてレベルが上がる

 

じゃあ、なんだ、この世は「苦」ばかりなのか!

なんて、キレそうにもなりますね。

でも、そう、そのとおりなんだと思います。

さまざまな苦悩を通じ、苦というものの根本原因を知るために、人は生まれてきたのかもしれません。

これこそが人生という名のゲームの、コア・プログラムなのかも。

ダライ・ラマも言っています。

「ほとんどの人は、思いやりを身につけるのに一生かかるといっても過言ではありません。」

ほんとうの思いやりは、ほんとうに苦悩した人だけが、持つことを許されます。

苦悩を一切したことがないようなひとは、苦悩している人のこころが、わからない。

 

だから今抱えている苦悩から逃げてばかりいると、苦悩のレベルアップがない。

どうしようもないときに逃げるのはいいけれど、逃げ一辺倒というのでは、経験値がたまらない。

せいいっぱい生きた、という、あかしにならない。

思いやりも、身につかない。

と、いうことかもしれませんね。

 

いままでのイライラや、いらだちには、原因がありませんでした。

自律神経の具合が悪くて、原因はないのに腹を立てることがありました。

更年期障害のようなことなんだと思います。

「理由がないのにイライラなんて、苦しすぎる。理由があったほうが、まだましだ。」

当時は、そういうふうに、考えていました。

しかしこのたび、明確な原因、それも強烈なものを伴って怒りを覚えると、こう思います。

「原因不明のイライラのほうが、まだ全然ましだ。」

 

そうなのです。

人間とはまったく、勝手な生き物なのです。

だからぼくも、もし外出恐怖が治ったら、また同じことを言うのでしょう。

「外に出られなかったときのほうが、まだ楽だった。」

 

人生に苦労が多いのは、おそらくこれが、最大の理由だと思います。

ひとはみな、いまじぶんの目の前の苦悩を最大と感じ、過去のそれは、大したことがないと思う。

それは当然ですね。

喉元すぎれば、熱さを忘れる。

過去のことはすこし、記憶があいまいになるから。

そして、もう起こってしまったことは、どのようにでも解釈が可能だから。

 

怒りは、原因を追求したり、手放したり、解消したり、対象を打倒したり、おさめたり、抑えたり、ごまかしたりすることが正攻法ではないのかもしれません。

風邪を正しく経過すると、免疫力がパワーアップするように、この怒りという苦悩を正しく経過すれば、魂のレベルが一段とアップする。

怒りとは、もしかすると、そのためにあるのかもしれませんね。

一方の極は、もう一方の極と、本質的に等価であると言います。

ぼくは個人的に、怒りの対義語は、「ゆるし」だと思います。

つよい怒りを体験するということは、そのちょうどま裏にある「ゆるすちから」を身につけることと、根っこでは等価なのかも、と思います。

レベルの高い人は、強い怒りさえ、ゆるすことができる。

レベルが低ければ、ささいな怒りさえ、ゆるせない。

 

怒りと、ゆるし。

これはぼくの、しばらくのテーマになりそうです。

そもそも、パニックだのウツだの神経症だの、そういったのはほとんど「ゆるせない」こころから来ていると思います。

ゆるす、余裕が、ない。

ささいなことでビクビクし、怒り、感情的になり、気になり、落ち込み、慌てふためき、焦る。

お医者さんがいくら難しい解説をしようが、

その原因と過程を膨大な感動的ヒューマンドラマで説明しようが、

その人の、現在の状態つまり結果を解説するのには、漢字たった2文字で十分です。

「小物」。

けっして、悪口ではありません。

その状態を、簡潔に説明すれば、人間が小さいということなのです。

 

大物は、ゆるせることの、サイズも大きい。

小物のままで死ぬか。

大物をめざすか。

それは本人しか、決められない。

 

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