もともと、ジーンズは好きなんです。
とくにリジッドといわれる、新品でノリがついてガッチガチの状態から履き込んでいって、じぶんのカラダになじんでいく経過がすき。
どんどん色も落ちてきて、ヨレてきて、アジが出てくるのも好き。
生地が柔らかくなってきて動きやすくなってくると「もう、お前じゃないとダメだ!」的な愛がうまれます。
ジーンズ好きだったのに、自律神経の調子を悪くしてから、全然履かなくなったんですね。
ジャージばっかり着てました。
そのほうが呼吸が楽だし、ジョギングやヨガなどもすぐにできるから安心なんですね。
具合が悪くなると、からだを動かすとすこし楽になるんです。
たまにジーンズを履こうか、とは思うんだけど「硬いし、動きにくいし、苦しいしからなあ・・・ま、いいや」ってなる。
ジーンズで硬い、動きにくい、苦しいと言っていたら、もうジャージかスエットしか選択肢はありませんね。
きのうから、仕事中はスーツを着るようになったんです。
在宅ワークなんで上着は着ないですけど、ワイシャツとネクタイ、スラックス姿になります。
そうすると「オンとオフ」の切り替えが明確になって、それが自律神経の切り替えにもいいんじゃないかな、と考えたんです。
実際やってみたら、たしかに切り替えがハッキリして、いい感じですよ。
自律神経失調症って、やっぱり「神経の運転がへたくそ」なんだなって実感できました。
長いこと在宅勤務で普段からオンとオフがあまり明確じゃないから、神経を切り替える能力がバカになっていたんですね。
仕事中はスーツを着ることで「いまは、オンなのでーっす!!」ということが、神経ちゃんにちゃんと伝わる。
着替えたら「いまからお休みなのでーっす!!」ということも、神経ちゃんにちゃんと伝わる。
続けていけば、「神経の運転のコツ」を思い出すんじゃないかな。
さて、スーツって気合は入るけど、やっぱ堅苦しんですよね。きゅうくつ。
だけどこの窮屈さがあるおかげで、相対的にジーンズを楽と感じるようになりました。
ふだんからジャージばっかり履いてたら、もう後がないんですよね。
カジュアルの王様でもあるジーンズでさえ、堅苦しく感じるようになってしまう。
そこへ「堅苦しさの王様」「フォーマルの申し子」ともいえるスーツを生活にブチ込んだら、俄然、ジーンズは「楽な服」に突如クラスチェンジするのでした。
よって、復活しました。
デニムへの愛が。
やっぱジーンズはいいなあ。
新品や洗いたてのときは、ちょっと硬いんですよね。
でも数時間履いていると伸びてきたり湿気を吸ったりして、軟化していきます。
その状態になると、わりとジャージやスエットほどの楽ちんさになってくるんですね。
でもやっぱり生地は硬いから、ジャージやスエットとはひと味もふた味もちがうんです。
ジャージやスエットが「リラックスの極」としたら、スーツは「緊張の極」といえるかもしれません。
ジーンズは「ややリラックス寄りの中間」という感じですね。
カジュアル度がけっこう強いけど「極み」でもない。
チノパンなんかは「ちょうど中道」という感じかもしれませんね。
この「ややリラックス寄り」っていうのが、いいんだなあ。
神経もそうらしんですね。
攻撃と緊張の交感神経と、リラックスと弛緩の副交感神経は、半々じゃなくて「やや副交感神経のほうが優位になっている」のが理想的なんですって。
あまり副交感神経が優位になりすぎても、元気や覇気がなくなってウツっぽくなったり、刺激に過敏になってしまうからアレルギー体質になったり、パニックになったりするそうです。
かといって交感神経がガンガンに優位だと、元気は元気なんだけど、不具合をなーんにも感じなくなってしまってとつぜんデカい病気したり、心臓イワしたりするらしいです。
だから基本は中間あたりがいいんだけど、長い目で見れば治癒力や抵抗力が活性化する副交感神経側に「ちょこっとだけ」寄ってるのがいいらしいです。
そういう意味では、ジーンズあたりのイメージは「やや副交感」に近いので、合ってるかもしれない。
ま、強引だけど。
こういった強引な理屈を持ち出してまでジーンズを褒めたいという「愛のはなし」なの。
まあ、ジーンズを履くことを苦しい、めんどくさいと思わなくなったのは、良いことです。
スポーツマンでもないのにエブリデイ・ジャージなんて、やっぱりちょっと、だらけすぎですよね。
「すぐ運動できるように」なんて、それは言い訳だったんです。
走ったりヨガしたりするのなら、そのときに着替えればいいだけなんですもの。
着替えるのが面倒だから、そうしてただけ。
その程度のことを面倒と思うこと自体が、ココロのエネルギーが枯渇していた証拠ですわね。
服装は「その行動に合ったもの」が、いちばん自然でいいです。
デスクワークをするのにジャージなんて、たまにならいいけれど、ずっとはいけませんね。