このたびのコロナ禍については、テレビでも新聞でもラジオでもネットでも、
「困った!!!!!!!!」
一色のところがあります。
たしかに飲食業や旅行業の人とかはお客さんが激減して大変なことになっているだろうし、長期間家に要ることでストレスが溜まり、家庭内暴力が増えたりしているというのもあるようです。
いっぽう、今回の外出自粛をわりとすんなりと受け入れて、むしろ今のほうが快適だと言うひとも、思いの外たくさんいるようです。
https://news.yahoo.co.jp/profile/comments/15878636934255.f951.25527?no_focus=0
(↑ コメントをいただいた方から紹介いただいたリンクです)
週に一度のスーパーしか外出していないが、全くイライラしない。むしろとても心穏やかにすごしています。
友達の自慢話や愚痴に付き合う必要ないし、
同僚のくだらない世間話に相槌を打つ必要ないし、
上司の自分勝手な意見に振り回されることもないし、
満員電車で、モラルの無いおっさんを見なくて済むし、
今まで自分を押し殺してたんだと気付き
日常に戻ったら色々な人間関係を整理できると思っている。
おかげで、お肌の調子も体調も過去最高で良い。
私も全くイライラしません。
と、いうか、外出自粛してからの方が、心身ともに超快適です。
嫌な奴に合わずにすむし、自分の好きにしていられるし、誰にも文句を言われないし。
コロナは困るけど、お金の心配さえなければ、このまま死ぬまで引きこもりたい。
人と共に生活するって、私にとってこんなにストレスで、向かないって事にきずかされました。
人との接触を8割減らして、と西浦教授のご提案、実行したら、本当に大事な人がわかった。
遊びや外食、カフェ、だらだら習慣付いてたのが、ムダ遣いが無くなり、お金が全然減らない。
個人的には、これからも今の生活でもいい。
今までの環境が異常だったんだと思います。
この文明化社会で知らない者同士がくっついたまま1時間とかマジおかしい。
受験生でもないのに睡眠時間4時間とか休日出勤とか。
そういう環境にいたのならば、今の方がストレスたまらないな決まっている。
お金の問題があるからずつとこのままというわけにはいかないでしょうが、もう少しまともな社会にはなっていくと思います。
私も快適巣籠り生活者です。
元々、手芸好きなので、大作の作成にちょうど良いかと…(笑)
日課のように通っているスポーツクラブも閉館中の為、縄跳びに切りかえ、楽しんでます。
他にもゴミの出ない整理整頓など、普段できない事に時間を使えて、私は充実してます。「自由がない」とイラつくより、不自由をラッキーと思えた方が楽にすごせますよね。
ホンマや。
ワイもコロナ自粛で酒の量が減り
ストレスもかなりなくなった。コロナ以前は会社からの強烈な
営業ノルマで早朝から深夜まで飛び込み営業を
強制させられ毎日が地獄やった。
私の職場も、何かと言うと、やれ
新年会だ、歓送迎会だ、OB会だ、親睦会だ、忘年会だなどと言って飲み会ばかりやたらと多くうんざりしている。
内容はといえば、食事もほとんど食べることも出来ず、ビール瓶持って上司についでまわり挨拶しまくる。座ることもできない。
挨拶される側は自分たちを褒められる余興をみていい気分。内心反吐が出る。ちなみに職場は病院です。
出席断るとハブられる。
今回の件で、軒並み宴会が中止や延期になっているが、ただそれだけはありがたいと思っている。
もうキリがないのでこのへんでやめておきますけど。
ううむ。
思いの外、今回の「自粛」をすんなり受け入れているというか、いやむしろ「喜んでいる」ひとがいるようなのですねえ。
よかった。
ぼくもじつはそうで、「ぼくはオカシイのかなあ」と心配になっていたところもあったのです。
不謹慎かなあとも思ったり、危機感なさすぎかなと思ったりもしました。
でも「正直なところ」じつはけっこう喜んでいるひともいて、ちょっと安心しました。
ていうか……。
このコメントを読んでいて、つくづく思いました。
みんな……我慢してたんだな
ウウッ。
なんか、カワイソウで泣きそうであります。
外交的でみんなとワイワイガヤガヤやることが好きなフリをしていたけれど、ほんとうの、ほんとうのところでは、あまり人とツルむのは好きじゃなく、じつはけっこう孤独好き。
「引きこもり」ということが社会問題になったりしていましたが、「引きこもりたい」と思っていたひとは、想像以上に多いのかもしれませんね。
「今が異常というより、今までが異常だったのかもしれない」
ぼくはパニック障害から外出恐怖症になって、コロナとはまったく関係なく、2年ほど前から「おこもりさん」になりました。
ぼくはとても、苦しかったです。
外出したいのにできない……からでは、ないのです。
「外出できるのが普通だから、普通になるために頑張らないといけない」っていうのが、苦痛だった。
活動的なのが普通だから、活動的になるために頑張らないといけないのが、苦痛だった。
がんばって治すことが、苦痛だった。
そして今回、奇しくも —— ほんとうに、奇しくも —— 日本中の、いや世界中のひとたちが、ぼくと同じことになった。
家から出られず、遊びに行けず、仕事も在宅ワークになった。
活動的であることは、良くないとさえ言われるようになった。
ぼくは、じつのところ、とてもホっとしたのです。
「もう、がんばらなくていいんだ」
無理をして外出恐怖症を治す必要はない、ぼくはむしろ、今のままのほうが都合が良い。
無理して治すまでもなく、この世界の人々はみんな、ぼくと似たようなことになった。
ぼくはもう、「おかしい」とはいえない、むしろぼくは、今の流れを先取りしていたようなものだ。
そして同じことを感じている、
「今までのほうが、異常だったんじゃないか」
家や、家の近くにいても、楽しめることはたくさんある。
なにもおいしいお店に行く必要はない、飲み屋がなくたってかまわない。
自炊で十分、家飲みで十分。
運動だってジムや道場に行く必要なんかない、いま住んでいる町だって、家の中だって、心がけしだいでいくらでも負荷の高い運動ができる。
あえて階段や坂道をのぼる、走ってみる、いくらでも工夫ができる。
人間関係もそうだ。
「自由に外出ができる」からこそ、無駄な人間関係もあった。
切り捨てて、切り捨てて、捨てて捨てて捨てまくったら、大切な人とのつながりだけが残った。
だれが大切で、だれが大切でないか、はっきりとわかるようになった。
飲み会や同窓会、新年会に忘年会、そんなものは「無駄なこと」だった。
あって悪いことはない、どころか、ないほうがマシなところもある。
よけいな人間関係を引きずることで、こころのリソースを使い果たしてしまうことがある、ほんとうに大切な人といる時間を喪失することもある。
生きていくのに、思ったほどお金がかからないことにも気がついた。
よけいなことをしなければ、よけいなお金はかからない。
こんな当たり前のことが、自由に外出ができていると、まったく気がつくことができなかった。
お酒なんて本来は一滴もいらないことにも、気が付かなかった。
なにが大事なことで、なにが大事でないか。
なにが必要で、なにが不要か。
自由で、みんなと接続していると、かんたんにこれを見失う。
不自由なとき、分断されたとき、はじめてこれに気がつく。
ぼくだけが、おかしかったわけではない。
世の中のほうにも、おかしなところがあったのかもしれない。
そう思えたことは、おおきな安心です。
そして分断されたとき、ぼくと同じ感覚になるひとが多いことにも安心した。
疫病は「進化」を促すという説もあります。
かつて人類は、疫病とともに進化してきました。
疫病のおかげで衛生観念も芽生えたし、医療も発達してきました。
今回ぼくたちは、どのような「進化」をするのだろう。
もしかすると内面的な「価値観の進化」が起こるのかもしれませんね。
病気になったとき、知りました。
「前の状態に戻ろう」というのは、完全に間違えている。
もう、戻ることはできないのです。
時間は不可逆だし、「病気を経験したわたし」は、もう「以前のわたしではない」。
だから論理的に、絶対に戻ることはできない。
進むことしか、できないのである。
なのに無理に「戻ろう」としたとき、状態はどんどん悪化していく。
良くなるどころか、悪化していく。
治すということは、後ろに戻ることではない。
前に進むことである。
進むのである。
病気を通じて何を学び、なにを経験し、どう「進んで」いくか。
パニック障害を治すというのは、以前の状態に戻るということではない。
パニック障害を通じて、もう一歩前進するのである、もう一段階上昇するのである。
そう考えた時、病は病でなくなる。
これは、ぼくを進化させてくれる、ありがたい機会であると考えるようになる。
戻ろうとすると、あらゆることに消極的になって、不安が増大していく。
結果、状態は悪化していく。
戻れないのに、戻ろうとするからである。
今回のコロナも、同じだろうと思いました。
以前の状態に、戻るんじゃない。
進むんだ。
これは人類進化のチャンスなのかもしれない。
考えてみれば、いままでのような無理のある経済構造がいつまでも続くわけない。
微小ながら無限にインフレーションしつづけなくてはいけない経済なんて、そもそも道理に反している。
いずれ天井を打つことは目に見えている。
経済構造そのものを、進化させる必要がある。
無為自然とは戻ることではない、現状維持でもない、ゆるやかに、しかし力強く進化することである。
無理に前に戻そうとしたら必ず失敗し、以前より状態は悪化するだろう。
これは一種の、予言である。
“私もイライラしません。ここ「在宅勤務」となっていることもあってか精神衛生上とてもいいです。無神論者ですが、神が創造し、遣いし賜もうたCOVID-19様々と崇め奉っております今日この頃です。”
なんてのも
あったよ
˘m˘*
ええ、ありましたね!
テレビやネットでは不安で困っているという話しか聞かないのに、じつは「こっそり喜んでいる」ひとがいたことに、すこし安心しました。
今の状態を喜べるひとこそが、もしかしたら「いちばんつよい」のかもしれませんね。
「コロナ・ウィルスから人類への手紙」
というのを いまさっき 知って
ちょっと 読んでみました …
ご興味わきましたら? 検索など。(_ _)*
ううーむ、なんか感慨深いですね。
これぞ「SDGs」という感じもしました。
そういえば最近、友人知人も似たようなこと感じているみたいです。
前のシステムのままだったらどうせジリ貧だったんだろうな・・・っていう。
ほんとに脱皮する、よい機会なのかもしれないです。