この話は、女性はまったく関係ないです。
そして「たまたま」かもしれない。
よく、ネットの記事なんかで見るんですよね。
「男性はボクサーパンツなどでタマタマ関係を締め付けるのは良くない」
という話を。
お医者さんが出てきて医学的な見地からそういうことを語っている場合もあります。
男性は、おマタのタマタマあたりを締め付けるのはよくない!
どうよくないかというと、男性機能が低下したり、精子をつくる能力が弱まったり、菌的な問題で病気になったり、しまいには精神的にも問題が出てきてウツになったりする、というのです。
だから日本古来のフンドシのような、タマタマがふらふらしている感じのほうが健康によいのだ!
という話です。
ぼくはこれを、けっこう信じました。
だから今でも「ふんどしNEXT」という、もっこふんどしによく似た下着をつけています。
とにかく、締め付けがないんですね。
タマタマがフラッフラの状態になります。
通気性もいいし、とても良い下着だとは思います。ラク。
でもなあ。
これはほんとに「タマタマ」かもしれないので、あまり強くは言えないのですけれども、
ふんどしNEXTを履きつづけると、自律神経が不調になる
というのがあるんです。
ウツとまでは言いませんけど、なんか自律神経がおかしくなってきて、やる気がうせてきて、活力をうしなうような……。
別件ですけど、最近仕事中はスーツを着るようにしてるんですね。
仕事が終わっても、ジャージなんかは着ずに、サイズぴったりのジーンズを履いたりします。
最近はAPCの「プチニュースタンダード」を育てている最中なので、スキニーとまではいきませんが、わりとキツめのジーンズも履いています。
ぼくはずっと自律神経の調子がわるいんだけれども、スーツを着たりジーンズを履くようになると、神経がけっこう落ち着きはじめるんですよね。
元気のない、覇気のない感じが治ってきて、元気になってきます。
またふんどしNEXTではなく、ディーゼルのボクサーパンツを履いているころは、同様に神経は元気でした。
つまり、タマタマ周りをしっかり固定する服を着ていると、神経が落ち着く感じがある。
これは、ネットとかで見かける記事とは、まるで正反対なんですね。
ふんどしを常着するようになって電車恐怖症が治った、という人までいるそうなんです。
なんか、ぼくは逆なんだ。
タマタマがフラフラしていると、ぎゃくに原因不明の不安を感じる。
生理的メカニズムの話はさておいて、男性一般で昔からよく使われる言い回しがあるんですね。
「褌をしめてかかる」
これは気合を入れて、真剣に物事に対峙する姿勢を表現しています。
褌をキリっときつく結ぶ、つまり、あのあたりを「きっちり固定する」ということなんですね。
そうすることが、ココロの集中や安定につながる、というのです。
ほかにも、
「大の男が昼間っからブラブラしているのはいただけませんな」
という言い方もあります。
これはもちろん生活態度のことを言うんだけれども、タマタマのことも同時に指してる気がするんですよね。
トランクス的な、ゆるいフンドシ的な下着で、ジャージとか着てたら「昼間っから男の息子がプラプラしてる」から。
そしてそういう状態は、どうも精神的にもプラプラしてるんですよね。
男って、年がら年中、股間のあたりに違和感を持ち続けているんです。
よけいなものが(よけいではないが)、コカンあたりでプラプラプラプラしてるもんで。
そしてわるいことに、このタマタマは男性の急所中の急所なんですわ。
ここを蹴っ飛ばされたら、ハビブ・ヌルマゴメドフでも気絶します。
外に出ているくせに、一番弱い。
構造的に、矛盾を抱えているんですね。
ぼくは思うんだけど、最大の弱点がプラプラしているというのは、深層心理的に不安が強化されるんじゃないのかなあ。
自然の摂理として。
薄っぺらい、ゆるゆるの布でふんわり覆っているだけなんて、そりゃあ楽かもしれないけれど、ココロの奥の奥では「ヤバイ状態である」と感じているかもしれないんですよね。
ぎゃくに、ちょっとキツめの下着やズボンでバッチリ固定してあげると「安心する」んじゃないでしょうか。
ああ、わたしは守られている。的な。
「不安は自由の眩暈である」とキェルケゴールも言っているけれども、タマタマも同じなんじゃないか。
ていうか、キェルケゴールはタマタマのことを言ってたんじゃないか?
タマタマをあまり自由にしていると、かえって不安を抱えてしまうんだぜ。と。
「女は子宮で考える」
なんてことを言うことがあります。
もしかすると、同じように
「男はタマタマで考える」
みたいなことも、あるかもしれませんよね。
だからその部分を自由放埒にしたままにしていると、不安になり、怠惰になっていく可能性もあるんじゃないのかなあ。
昔信じてたネット上の説が最近、僕の中でどんどん崩壊していってるんですよね。
というのもここ10年かけて、そういうのをぜんぶ「やってみた」から。
するとそういうことには、ほとんど効果がないということを実感してしまったんです。
べつにウソついてるとかじゃないと思うんだけど「理屈だけで言ってる」ことがものすごく多いんですよね。
あと、「読者欲しさに」甘言を撒き散らしているサイトも多いです。
すべての説には「……という可能性がある」という語尾をつけるべきなのかもしれません。
この「タマタマは固定すべきである」説も含めて、ですけどね。