ずっと以前から引っかかっていた矛盾があります。
しかし最近、やっと整理がついてきました。
「掃除や整理整頓をすると、神経が落ち着いてパニック発作が減る」
「散らかった環境のほうが創造性が高まる」
矛盾というか、「じゃあ、どうすればいーんだーっ」っていう感じだったのです。
ぼくはいちおうデザイナーなので創造性を失うことは避けたいし、できれば高めていきたいです。
しかしきちんと整理整頓された空間では生産性や正確性は高まるものの、創造性は低くなっていくのだそうです(これはぼくが勝手に言っているのではなく、たしかアメリカの学者さんの研究です)。
整理整頓して、しっかり掃除をすると神経が落ち着くというのに、そうなると創造性が低くなるという。
ほんと、どうしたらいいんだ!
このダブルバインドな件については「マインドワンダリング」ということが解消の糸口になりそうです。
まず、掃除をするとパニック発作が激減する件について。
掃除を徹底的にやると、ほんとうに神経が落ち着いてくるのです。
パニック発作の頻度が格段に減ってきます。
最初はただの気のせいかな、スッキリするのでそんな感じがしているだけかな、なんて考えていました。
でも、これはちゃんと原因があったみたいです。
整理整頓し、目の前からよけいなものが消えると、脳疲労が低減するのだそうです!
机や部屋が汚れていて、いろいろなものでごちゃごちゃしていると、脳のセンサーがいろんなものを認識しつづけないといけないそうなのです。
だから脳や神経が、どんどん疲れていく。
そこで掃除と整理整頓でよけいなものを消し去ってしまうと、認知の回数が減り、脳疲労の減少につながる、ということのようです。
なるほどこれは、確かにそのように感じます。
しかしいっぽうで、片付いた部屋では創造性が上がらないというジレンマもあるのです。
アインシュタインやスティーブ・ジョブズ、坂口安吾など、創造性の高い人は机や部屋が散らかっていることが多いそうで、これは統計的もそうなんだそうです。
創造性の高いひとほど机や部屋が散らかっている、というのは、ぼくに身近な人たちでも感じることではあります。
最近は「マインドフルネス」というのに注目が集まっていますが、この対義語がじつは「マインドワンダリング」なのだそうです。
意識を「いま・ここ」に集中させ、前後際断することをマインドフルネスといいます。
いっぽうマインドワンダリングは「現在行っている課題や外的な環境の出来事から注意が逸れて、自発的な思考を行う現象」のことを指す。
つまりマインドワンダリングは妄想の一種ともとれますが、この妄想こそがじつは、創造性にとっては不可欠な要素でもあるわけです。
天才とキチガイは紙一重、なんてことを言いますが、妄想力・想像力が常人より非常に高いということは創造性が高いとも言いかえることができるのかもしれません。
そういえば四角四面でルールに固執し、妄想力も想像力も乏しいひとは面白みに欠けるというか、すくなくともクリエイティブであるとは思えません。
正確性を問われる事務作業を淡々とこなすには適しているかもしれませんが、新しい価値を作り出すような作業にはあまり向いていないようにも感じます。
さてそこでどういう人がパニック障害になりやすいかということを考えたときに、そこに「創造性」ということが垣間見えるのです。
男性よりも女性に多く、年齢は若い人に多い。
アーティストや芸能人に突出してよく見られます。(お笑い芸人では、漫才の中川家の剛さんはパニック障害になりました。氏は「ネタ担当」らしく、あの漫才は基本剛さんが書いているのだそうです。)
こうして見ると、想像力と創造力が高い、あるいは創造性を必要とされることをしている、ということが共通項として見えてくるような気がします。
普段から脳の「創造」の部分を酷使しているのかもしれないのです。
デザイン系の人ならわかってもらえると思いますが、プログラミングやコーディングなどの演算作業に比べて、デザインワークのほうがぐったり疲れるというのがあります。
疲れ方が、ちがうのですね。
あたまが疲れるとか目が疲れるとか気疲れするとかいうのではなく、まさに「全身が」疲れる。
どっとくる。
本気で絵を書くことを仕事にしようとしているひとも同様に、ものすごく疲れるのだそうです。
創造することは、疲れる。
なぜ疲れるか、それは「マインドワンダリング」を行っている時間が非常に長いからかもしれません。
創造性を求められる仕事をしていたり、あるいはそもそも創造性を好む性格であったりすると、マインドワンダリングが人よりも活発なのかもしれないです。
だからちょっと思うのは、パニック障害になる人というのは、「創造に疲れている」のではないか、ということです。
掃除も、片付けも、坐禅も、すべて「マインドワンダリングを必要としない」あるいは「マインドワンダリングを停止させる」行為なんですよね。
創造性の高いひとが掃除や整理整頓、坐禅などをたまに行うと、これが「脳の休息」になるのかもしれません。
ぼくは自分で創造性は高いと感じたことはありませんが、業務内容や嗜好性からすると、マインドワンダリングがかな多いタイプなんだろうな、とは思います。
こうしてブログを書くということも、マインドワンダリングですし。
ここまで考えがすすんで、やっとダブルバインドが解消したのです。
この論法からすれば、「部屋が汚ければ、創造力が高くなる」ということにはならない。
外的要因ではなく「脳の使い方」が主たる要因だろうからです。
マインドワンダリングが活発がゆえに、使ったものを元の場所に戻すということをつい失念しがちである、というだけなのだと思います。
掃除や片づけを明確に意識していなければ、人よりもよけいに汚くなる可能性が高いというだけなのでしょう。
だから「掃除や片付けをしたら創造性が低くなる」というのは、ちょっと強引すぎる理屈だと思います。
禅は「創造を休む」行為なんだろうな、と思います。
脳の安息日、それが坐禅なのかもしれません。
だから「安楽の法門」というのではないか。
創造性というのは現代でこそ「良いこと」のようにいう風潮がありますが、おそらく仏教的にはあまり推奨されていない方向性なんだろうなと思います。
マインドワンダリングが多いというのは「業が深い」ともいえるからです。
日本では昔から、創造性の高いひとよりも謙虚で確動性が高く、ルールに従順で、おとなしい、思慮深い人を高等とみなしてきたところがあります。
しかし戦後西洋の文化が大量に流入し、産業革命思想を輸入していらい「創造すること」の価値が突如として高くなってしまいました。
それが現代にまで継続してきています。
蓮の花は、どろどろのきたない沼に咲きます。
創造性も、どろどろの「業」から生まれてくるのかもしれません。
創造力は、業の花。
ぬかるんだ、深い業に咲く一輪の花。
創造力が高めに生まれてしまった人は「そういうふうにできている」のだから、しかたありません。
やめようと思ったって、やめられるようなものではないですものね。
だから創造性を否定するよりも「うまくつきあう」ということが、いちばん重要なのだろうと思います。
暴走しすぎたマインドワンダリングを、安め、なだめる時間を、できるだけ多めに持つようにする。
その一種が掃除であり、整理整頓であり、坐禅なのだろうと思います。
神様でさえ、7日目には創造を休んだのです。
人間のぼくたちは、もっとたくさん創造を休むべきなのかもしれませんね。