ぼくは野球を知りません。
「スクイズ」が何を指すのか、それが野球用品のことなのか、戦略の名称なのか、それすらも知らないです。
プロ野球のチーム名も、たぶん全部言えません。
幼少の頃、両親に連れられて甲子園球場へ野球観戦に行ったものの、そこにいた阪神の応援の人たちのあまりにもの下品さに辟易して、大嫌いになってしまいました。
応援している選手がミスをすると、それはもう、ツバを飛ばしながら、まだ中身の入っているビールの紙コップを投げつけながら、怒号を送るのですよ。
「おまえ何やってんだ! やめちまえ!」
みたいな。
それも一人や二人ではありませんよ。団体様でそれをやるのです。
ぼくはまだガキだったけど、わかりました。
ぼくの真後ろでお酒を飲みながら口汚く喚いているおじさんたちよりも、さっきミスをした選手のほうが、ぜったいに野球がうまい、ということは。
できもしないくせに、どうしてがんばっているプロの選手に難癖をつけるのか。あんたたちはいったい、何様なんだ。
きたないことばと表情で、周囲に迷惑をかけつつ無粋に暴れまわるおじさんたちとセットにして、ぼくは野球を「興味のゴミ箱」に捨てました。
こんなものは、関心を持つに値しない。そう判断した。
そんなぼくだけど、イチロー選手は知ってます。
そしてイチロー選手が、不世出の逸材であるということも、もちろん知っています。
野球知らないし、正直今でも好きじゃないけど、イチロー選手は大好きです。
純粋に、カッコイイ。
そのイチロー選手が、先日引退されたんですよね。それは今日知りました。
引退会見の動画を見ていて、へんなことに気が付きました。
あれ? ぼく泣いてるぞ。
好きだけど、イチロー選手に対しては、とくに思い入れも何もないのです。
そもそも野球を知らないし、イチロー選手のことだって、ほとんど知らないんだから。
でもなぜか、話を聞いているうちに、なみだが出てくる。へんな話だ。
話を聞いていて、いちばんグっときたのが、この言葉でしたね。
遠回りをすることでしか、本当の自分に出会えない
パニック障害を患い、それが思ったように治らなくて、ぼくは強く思ったことがあります。
「この期間は、とてもむだな期間だ。」
「こんな病気にさえならなければ、もっと前へ進めていたはずなのに。」
「だから急いで、治さなければ。」
でも、いまは、そうは思いません。
ある日、気づいたのです。
「この病がなければ、もしかすると、ぼくは自分を知らないままに、年老いて死んでいったかもしれない。」
パニック障害は、つらいのです。
でもこの辛さのおかげで、やりたいこともできなかったおかげで「私とはなにか」ということを考えさせられるきっかけにもなりました。
できないことをグズグズ悩み、後悔し、恨み言を言うよりも、「いまできること」のレベルを上げていくほうがいい。
そうすれば、意外と自分には隠された能力があったことを発見することもあるのでした。
偉大なる存在の前には、小賢しい屁理屈など、その価値を完全に失う。
イチロー選手のことばを聞いていると、しょうもない屁理屈など、踏みつけて捨ててしまおうと思えました。
あれが効く、これが効かない、そんなこと、どうだっていい。
あれがわるい、これがわるい、それも、どうでもいい。
「いまできることを、せいいっぱいやる。」
結局それしか、できませんからね。
ならば、それでいいのだ。
ちょっと損したな、と思いました。
食わず嫌いをせず、野球をもっと見ていれば、今回の会見だってもっと楽しみに、もっと感動をもって観られたかもしれない。
否定して、拒絶したせいで、せっかくのエネルギーを、まともに受け止めることができなかった。
世界をつまらなくしているのは、ほかでもない、ぼく自身じゃないのか。
世界は、愛と勇気であふれている。
世界の愛と勇気をきちんと受け止められるかどうかは、じぶんのこころの「拒絶反応」を、どれだけ減らすことができるかにかかっているのですよね。
好き嫌いせず、いろんなことにトライしていこうと思います。
昨夜 放送されていました。
一弓くんも かわいいから。
よろしければ。(_ _)*
https://www.youtube.com/watch?v=Z04NG6lml7I
一弓くん、18歳なんですってね。長生き。
うちのイヌも、もう12歳。
イヌもがんばってるんだから、ぼくもがんばろうと思います。
「現役を引退するということは、アスリートとしては一種の【死】だ」
イチローさんが言うと、ほんとに重みがありますね。
この覚悟があるからこそ、一流なのかもしれません。