2ヶ月毎日続けてみて、坐禅でしっかり座るためには腹筋や背筋という体幹筋群よりも「大腰筋」というインナーマッスルが強くないといけない、というのがわかってきました。
大腰筋というのは、大腿骨(ふとももの骨)と腰椎(腰の背骨)を結んでいるかなり大きな筋肉です。
ウシだと「ヒレ肉」ともいわれる。
さて、坐禅のあとには短い距離でもいいので「経行(きんひん)」というのをやったほうがいいそうで、ぼくもいちおうやっています。
スピリチュアルな角度からは、これをグラウンディングであるとかウォーキングメディテーションであるとかいいます。
個人的には、この経行もまた、大腰筋のトレーニングなのではないか、と感じます。
非常にゆっくり、歩幅も足の半分という短いものです。
上半身をまったく動かさず、左右にもブレずに「じわじわ歩く」という感じですね。
動画ではけっこう左右にブレていますが、本式ではほとんどブレないんだそうです。
ウォーキングと比べるとよくわかるのですが、この経行というのは使う筋肉が全然ちがいます。
ふだんいかに反動力や胴体の筋肉、腓腹筋(ふくらはぎ)を使っていたか、というのがよくわかります。
いつものくせで胴体のねじりや腓腹筋を使って歩こうとすると、経行ではとてもふらついてしまう。
経行をまったくブレずに行うためには「大腰筋で前進する」という、けっこう器用な力の使い方が必要なようです。
ちなみにこの動き、能のすり足ととても良く似ているな、と思いました。
能の動きも、上半身はまったくブレずに、床をすべるようにスルスルスルと進みます。
これもまた、大腰筋を酷使するのではと思います。
そういえば柔道でもすり足という歩きかたをしますね。
すり足で歩くと重心がブレず、とても安定するので技がかかりにくい、というのがあるのです。
一般的な外科や整体の世界では「すり足は筋力低下である」とみなされるようです。
おそらく、これは言葉が間違っているのだと思います。
というのも、ほんとうのすり足は、逆にけっこうな筋力が必要だからです。
とくに大腰筋がしっかりしていないと、すり足はできません。
だから外科や整体の先生がいうすり足は、すり足ではなく「ひきずり歩き」だと思います。
足を上げることができなくて、ズルペタと足の裏を地面に擦り付けて歩いている、というような。
見た目は少し似ていますが、ズルペタ歩きのばあいは重心が全く安定していないんですよね。
いっぽう能などのすり足は、パントマイムの「動く歩道」みたいな感じで、ススススと上半身が左右前後上下に全く動かずに進みます。
この「静止した歩み」は、強力な大腰筋あってのことなんだと思います。
古来の日本の動きというのは、能や武道がそうなのですが、「大腰筋主体」の動きなんだと思います。
そして重心は「どまんなか」に置く。
だからハラとかコシということを、ものすごくうるさく言われるんだと思う。
いっぽう西洋型というか、スポーツ的な動きというのは「前傾型」なんですよね。
重心がすこし前に傾いていて、重力や反動を利用して動く、というのが多いようです。
強大なパワーやスピード、跳躍力などを重視するとこのような動きになっていくんだと思います。
だから日本型が正しくて西洋型が間違えているとか、そういう短絡的な話ではないんだと思います。
目指しているところがちがうから、からだの使い方も違って当然。
おそらくですが、日本の伝統的な「大腰筋型の動き」というのは「心理」という側面を重視しているのではないか、と思うのです。
からだを動かすのは、こころである。
だからこころがまず安定していないと、うまく動かないはずだ、という。
いわゆる「霊主体従」の考えのようなものが、中心にあるような気がします。
大腰筋というのは、どうも「こころの落ち着き」と密接な関係性があるように思うのです。
坐禅をマニュアルどおりに「まっすぐ、まっすぐ」と意識するよりも、大腰筋にちからを込めて骨盤を前傾させ、膝を手前に引き寄せるような感じにする、つまり「腹を据える」あるいは「腰を入れる」ふうにすると、「とにかく垂直」よりも格段にこころが落ち着き、集中する感じがあります。
またこれを実生活でも応用すると、あまりドギマギ、ソワソワしなくなる感じがあるのです。
もちろんぼくはまだ全然できていないので、不動心などという高度な感じではなく「ふだんよりは、だいぶ落ち着いている」というに過ぎません。
しかし逆に、大腰筋を利用せずに座ったり動いたりしていると、いつものようにソワソワ、イライラが出やすくなるというのは感じます。
どちらかというと「大腰筋を使用していないときの不快感」と対比して、その効果を逆説的に感じている、というところです。
以前もうっすらと感じたことがあるのですが、大腰筋には「なにかある」と思います。
パニック障害の発作をたった一言で表現するならば、「ハラが座っていない」ということです。
落ち着きを完全に失って、不動心とは真逆の状態にある。
恐怖、不安、焦り、時には怒り、いずれにせよ、じっとしていられない。
「殺すなら殺せ」と開き直って肚を決める、なんてことが1ミリもできない状態なのです。
肚を決める、肚を据える、肚を練る。
これはもしかしたら、大腰筋の鍛錬のことを指していたんじゃないかな、と思ったりします。
坐禅も、経行も、どちらも大腰筋を激しく使うのですよね。
武道に禅が積極的に取り入れられたのは、殺生を合理化するためというだけではなく「不動心の養成にもっとも効果的だった」という、切羽詰まった必要性があったのかもしれません。
また坐禅で言う「丹田」というのは、大腰筋の力点を指しているのかな、とも思います。
うまく左右均等に大腰筋を使えたら、臍下三寸の奥の方に、ある種の緊迫した「何か」を感じます。
そしてそうなると、こころはいつもより落ち着いている感じがあるのです。