脱・ユニクロ。
さいきん、そんなことを考えるようになってきました。
いえ、ユニクロの服がわるいっていうのではないです。
むしろ、あんなに安いのにかなり丈夫で、デザインもいいし、機能的でもあるし、すげえなあと本心から思います。ユニクロ、すごいんです。
でも、そろそろやめていこうと思う。
ユニクロだけじゃなくて、GUとか無印とかGAPとか、そのへんも。
理由は「自己肯定感の向上」のためです。
ぼくはこのことについて、いままでちょっと無頓着すぎました。
「人生は、自信だよ」
っていうけど、この自信って、自己肯定感のことなんですよね。
なにも傲慢になるとかそういうことじゃなくて、自分を肯定する、認めるということ。
これが欠如すると、ウツっぽくもなるし、精神的に不安定になってきます。
「仕事中は、スーツを着るようにしよう」
「普段も、家を出ないとしても、それなりにオシャレはしよう」
そういうことを続けていくと、やっぱり元気が出てくるんですね。
精神的にも落ち着いてくる。
かのナポレオンは、言いました。
「人は、その制服どおりの人になる。」
いちにちじゅう、寝間着やルームウェアのまま過ごしていたら、そういう人になってしまうんだなあ。
だらしなくあまえん坊で、臆病で、そのくせ傲慢で、緊張感はないくせに緊張しいの、しょうもない人間になってく。
これは自己肯定感の低下が、そうさせるんですよね。
ポイントは、その服の機能性とかデザインとかではなく、ぼくは純粋に「値段」だと思います。
かんたんにいえば「高いもん」を着る。
安物を着るということは、自分の値段もそんなもんだって決めてることだと思うんですね。
高い食器は、箱も高級です。
よい製品は、梱包にも気合入ってます。
それとおなじで、自分自身を梱包するものにもカネかけたほうがいいな、と思うんです。
たとえ普段であっても。
安い服を何着も買うぐらいなら、すげーいい服を1着のほうがいい。
そう思うんですよね。
Tシャツとか、今では1000円しないものもあります。
でも5000円オーバーのTシャツは、やっぱり着心地がすごくいいです。
長持ちもします。
1000円のTシャツを5枚持ってるくらいなら、5000円のTシャツ1枚のほうがいい。
それになにより「おれっていま、5000円のTシャツ着てるんだかんな!」って思うと、なんだか気分がいいです。
でもぎゃくに、980円のTシャツを着ていると、なんだか自分が安物になったような気がしてくる。
これはすこしウガったものの見方かもしれないけど、いわゆるオタクと言われるひとたちに自己肯定感が低い人が多いのは、こんなことなんじゃないかと思うんです。
じぶんの趣味であるアニメやゲーム、漫画などにはお金を湯水のごとく使う。
だから服までにはお金が回らないんですよね。
そうすると、自分の部屋には「無形の高価なもの」は増えるいっぽう、「我が身を梱包するもの」はどんどん安物になっていく。
そうなると無意識が「じぶんは安物である」と思い出すんではないでしょうか。
いわゆるリア充といわれる人たちが、一般に元気で自己肯定感が高いのも、これが理由だと思います。
オシャレをして、おいしいものを食べ、おしゃれな場所に出入りする。
そんな生活をしていると「じぶんは高価である」「わたしは安物ではない」と無意識が思い始めるんだと思います。
だからじぶんのことや、じぶんの意見、じぶんの存在を大切に思うようになる。
「質素」ということを、勘違いしてはいけないんだと思います。
質素というのは、安物ということではないです。
禅寺なんかのお茶碗だって、かなり高価なものを置いています。
使いもしないのに高価なものを無駄に大量に持っているのは「華美」になります。
華美なことは、あまりよくないのかもしれません。
しかし必要なもので高価なものを最低限だけ持っていることは、華美ではありません。
むしろそれが「質素」というのだと思います。
よく、言うんですよね。
「高いものが良いとは限らない」
「値段が安くても、良いものはある」
たしかにそうです。
でも、自分自身の潜在意識をナメてはいけないと思います。
そのモノを「買った金額」はすなわち「じぶんの値段」でもあるということを、あまり無視しないほうがいいと思うんですよね。
だからシツコく値切って安く買ったら、じぶんの価値もダンピングしていることになる。
食べるものも、一緒です。
美食家のブリア・サヴァランは言いました。
「あなたが普段何を食べているか言ってみたまえ。あなたがどんな人か、当ててみせよう。」
食べるものは、その人を形成するんですね。
だからあまり、安っぽいものばっかり食うのは良くないのだと思います。
安物の服と一緒で、じぶんの価値を下げていく。
食べるものも、似たようなことを言うんですよね。
「高いものが美味しいとはかぎらない」
「安くても、おいしくて健康的なものは、たくさんある」
そりゃそうです。あたりまえだ。
でも、ポイントはそこじゃないと思うんだなあ。
「高いものを食う」っていうその行動そのものに、自己肯定感を高めるポイントがあると思うんです。
高いレストランは、味や雰囲気だけじゃなく、値段そのものにも意味がある。
むろん、毎日毎日高いものばっかり食うわけにもいかないですから、これは「たまに」でいいんだと思います。
ふだんは安くておいしくて、健康的なもので身を養っていく。
そしてたまには、思い切ってぜいたくをして「高いもの」を食うのです。
そうしたら、自己肯定感も高まっていくと思う。
安物ばかり食うということは、じぶんの値段も安いということになってしまうから。
いつまでも貧乏でばかな大学生みたいに、「安くて量が多い」ところで食ってるばあいじゃない。
そんなことをしていると、どんどん自己肯定感が下がっていってしまうんだと思います。
おいしくて、量は少なくて、おしゃれで、けっこう高いレストラン。
そういうところでたまに食うことも、生きていくうえでは大切なことなんだと思います。
着るものと、たべるもの。
このふたつをグレードアップすれば、自己肯定感もアップするんだと思います。
贅沢をするというよりは「じぶんにつけたい値段を意識する」ってことでしょうね。
見落としがちだけど、これは想像以上に大事なことなんだろうと思います。