足の指をつかう人、つかわない人

わかったぞっ!

どうしてぼくや、ぼくの親父が、市販のほとんどのクツに違和感を感じるかが。

親父と話をして、お互いのクツを見て、わかった。

 

足の指を使う人かどうか。

これがポイントだったんだ。

歩いたり走ったりするときに、足の指を使うクセがあるか、ないか。

これによって「クツというもの」が合うか合わないかが、決定されているのだと思います。

 

ぼくは子供のころから、じつはクツが大嫌いでした。

オカンに怒られても裸足で外に飛び出したり、学校にいっても裸足でいたりしました。

理由はかんたんです。

「きゅうくつだから」。

足の指を動かせなくて、いらいらするのです。

靴を履いていると、ずっと足の指をもぞもぞと動かしてしまい、でも動かないからイライラして、結局脱いでしまう。

その後ぼくは柔道部に入り、これまた「基本的に裸足」の生活になっていくのです。

 

親父もまったくそうだったそうです。

そもそもクソ田舎で生まれ育ち、クツというものがあまりメジャーではなくて、ゾーリとかゲタ履いて生活してたそうです。

田舎すぎて遊び場所なんかないから、そのへんの池で裸になって泳いでいたそうです。

結局その後水泳部に入って「はだし生活」がベースになっていった。

その後警察官になり、クツを毎日履くことになって、イライラしてたんだそうです。

靴はできるだけ大きめのを履くようにして、詰め所にいるときはこっそりクツを脱いでたそうです。

 

で、親父の靴とぼくの靴を比べてみて、わかったんです。

ふたりとも、靴の中敷きの「足の指」のところがひどくすり減っている。

母指球やカカトじゃなく、足の指と付け根のところ全域が、ズルムケになっているんですね。

つまりこれは「歩くのに足の指を使っている」ということです。

 

スニーカーを履くと、ふくらはぎを痛める理由。

これはぼくの、足の使い方に起因していたのです。

ふつうは、重心を前に傾けて、足の親指の付け根(母指球)あたりで地面を蹴って、前進するんだと思います。

しかし親父とぼくは、ちがう。

足の指全部で地面を掴んで、スライドさせて歩いているんです。

重心はカカトに近くて、カカトと足の指で地面をつかむような塩梅。

だから靴の内部の、足の指のことろ全域がズルムケになっている。

推進力に、足首の屈曲ではなくて、足の指の屈曲を使っているようなのです。

そんなヘンなあるき方をしている。

だからクツで足の指をがっちり固定させてしまうと、足の指が使えなくなってしまう

結果、ふだんあまり使っていないふくらはぎを酷使することなってしまい、痛めていたようなのです。

 

これですっかり、謎が解けました。

ジョギングでふくらはぎを肉離れしてしまったのに、地下足袋を履いて歩くと、いつも肉離れが治ってしまうんです。

足の指がちゃんと使えるようになったおかげで、ふくらはぎだけではなく「足の指を曲げる筋肉」を推進力に使えるようになって、負荷が減ったからなんですよね。

 

ヘンなあるき方の、せいだったんですね。

だからクツが悪いんじゃない。

 

でもまあ、ぼくはべつに、このあるき方を変えるつもりはありません。

クツに合わせる必要はありませんものね。

人は、その人に合ったクツを履けば、それでいいです。クツはヒトのためにある。

ぼくにはメレルムートピアレースがあるし、ゾーリもゲタもワラーチもある。

むしろ、構造が単純なクツのほうが合うということは、経済的でもありますからね。

わるいことには、メリットもあるのですね。

 

もしかすると、親父もぼくも妙に足腰が強いのは、この歩き方のせいなのかもしれません。

古典的な日本人の歩き方なんですよね。

いわば、原始的な歩き方。

筋肉が強いとか体力があるとかじゃなくて、ただ単に疲れにくい歩き方をしているのかもしれません。

そのかわり、クツを履いたら、もうおわりです。

むしろほかの人よりも、体力が落ちてしまって、歩く気がしなくなっちゃう。いやになっちゃう。

ソーリでいいんだ、ゾーリで。

 

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