風邪をひいたりして、体調を崩したときにはだいたい「安静にしてくださいね」といわれます。
病気の療養にとって「安静」は基本中の基本、ともいえるのかもしれません。
体調不良のときに安静にするのが良いのは、休息が自然治癒力を高めるからだと思われます。
あまり動き回らずにじっとしているほうが、治りが早い。
もしかして、こころも、同じなんじゃないか?
そういえば、「こころの病」については、あまり「安静」を言うことがないような気がします。
パニック障害にしろ、うつ病にしろ、これは「こころの風邪」と言われたりすることがあります。
だったらば「こころの安静」ということを、もうすこし言ってもよさそうなものなのですが……。
安静、というと、直結的に「からだの」という言葉がついてくるようなんですね。
こころを安静に、というのは、一瞬なんとなく違和感がある。
からだを安静にする、というのはイメージがすぐ湧くけれど、「こころの安静」となると、案外どうしていいかわからないところがあります。
たとえば、面白い映画や好きな音楽を聞くことは、どうなんだろうか。
風邪をひいたときに、大好きだからといってサイクリングをしたら「ばかじゃねえ」と言われる。
安静にしてろ、と怒られる。
こころの風邪をひいたときも、好きだからと言って「こころを動かすこと」はしないほうがいいんじゃないか?
こころの安静 = こころをあまり、動かさない
好きなことを、好きなようにしないさい。
これが「こころを癒す」方法だと、一般的には言われています。
でも、じぶんの実体験も含めて、これはもしかして誤っているのではないか、と思う時があります。
映画が好きだから、面白い映画をたくさん見る。
たしかに楽しいから、なんとなく「こころに、いい」気がします。
しかしこれは、あくまでこころが健康な状態にある時なのではないのでしょうか。
「面白いこと」「たのしいこと」は、「こころを動かしている」ということに、ほかなりません。
ある程度健康なときにジョギングをすることは、とてもからだに良いことです。
しかし風邪のときにジョギングをすると、ばかじゃなかろうか、ということになる。
こころの具合がおかしいときは、面白いこととか、楽しいこととかには、あまり接しないほうが良いのではないか。
からだとこころは、よく似ています。
からだの調子がわるいときには、そもそもあまり、運動ができません。
からだが「動きたくない」というのです。
こころの調子がわるいときには、好きだった物事にもあまり関心が持てなかったり、いつものように面白い、楽しいと思えなくなります。
これは単純に、こころが「動きたくない」と言っているのかもしれません。
からだがうまく動かないからと言って、むりやりに動かそうとしたら、風邪は悪化します。
こころも、同じなのではないか?
ここころがあまりうまく動かないのに、刺激の強いものを求めて、ネットやテレビやマンガなどを読み漁って「こころを動かしまくって」いると、悪化するかもしれませんよね。
なにもしない。
なにも考えない。
もしかすると、そういう状態こそが「こころの安静」なのではないか。
坐禅を継続していくと、神経が落ち着くようになり、不動心が養われるといいます。
これはぼくも、すこしだけ実感があります。
毎晩15分だけ坐禅をするようになって1ヶ月半が経ちました。
もちろん「不動心」なんてすごいものは身についていいませんが、かなり落ち着きを取り戻した感覚があります。
以前はちょっとした体調不良でパニック発作に至ることもありましたが、最近はそんなにビビッドではありません。
不快は不快でも、こころがかき乱される、というところまではいかない。
安静は、自然治癒力を高める。
「こころの安静」は、こころの自然治癒力を高めてくれるのかもしれません。
ストレスが原因だから、ストレスを排除せよ。
いやなことが多いのが原因なら、好きなことをたくさんせよ。
そういった「敵対する」方向性は確かに説得力はありますが、じつは第三の道「安静」が抜けているんじゃないか。
好きなことをするのではなく、好きなことさえも、しない。
なにもしない、なにも考えない。
こころを、じっと、止めておく。
案外、そういったアドバイスをしてくれる人は少なかったと思います。
むしろ、こころを動かせ動かせという人のほうが多かったような。
坐禅は、こころを「止める」ことかもしれないな、と最近思ったりします。
あっちこっちに飛んでいこうとして、動き回って、あれをせねば、これをせねば、あれをしたい、これをしたいとモゾモゾするこころを「一時停止」する。
ぐっと抑え込むとか、縛り上げるとかではなくて「ポチっと一時停止ボタンを押す」みたいな感じ。
じっとしていたら、案外こころも、じっとする。
何も見ない、何も読まない、何も聞かない、何も言わない。
そうすれば、もちろん完全とはいかないけど、こころのほうも「なにもしない」時間が増えるような気がします。
こころと、神経を、安静に。
安静は「なにもしない」ということに、ほかならないのですよね。