なるほどなあ、やっぱりホコリだったのか。
あの原因不明のそわそわ、焦燥感、ワーっとなる感じ、動悸、発汗、などなど。
そういう自律神経失調症のような症状がずっと続いていたのですが、毎日掃除と坐禅をするようになって「ガクっ」と頻度が落ちたのでした。
そもそもパニック障害持ちですから、自律神経がおかしいのだろうか、ストレスだろうか、あるいは男性更年期障害ではないか、そんなふうに考えていました。
病院にいっても「ストレスですね」としか言われない。
単純にハウスダストのアレルギーだったのかもしれないです。
先程も書いたとおり、最近(ここ100日以上)はそのような症状がほとんど出ていなかったのです。
自律神経の不具合があったということを忘れてしまうぐらい、良好な状態は続いていました。
さて今日はタンスの中身の入れかえがあって、寝室で衣服の出し入れをしていました。
作業が完了してその部屋でゆったりしていると、それは突然出たのです。
息苦しい感じがして、動悸がしはじめる。
手足がわなわなと震えるような感覚、あたまのなかがワーっとなる感じもする。
非常に急ぎ疾る気持ちになって、落ち着きを完全に失う。
「自分に自律神経の不具合があることを忘れている」ぐらいだったから、「ホコリが原因だと思ったからそうなった」というのは違うと思います。
また最近は正月休みであり、じつは来週以降も仕事はそんなに詰まっていませんし、これといった心配事もありません。とても平和なお正月です。
だからストレスというのも違うと思う。
昨晩はぐっすり寝ましたし、ここ半年以上一滴もお酒は飲んでいません。
毎朝太陽礼拝というヨガをやり、寝る前にも全身のストレッチを行い、坐禅もしています。
毎朝掃除もしていますから、運動不足ということもないと思います。
とくに思い当たるフシがないのに、それは突然出た。
考えられるのは「ホコリ」しかないのですよね。
掃除を毎日するようになってから、格段に発作の回数が減りました。
なのにタンスのモノの出し入れをしたらものの10分もしないうちに、強烈な焦燥感が出てきたのです。
じつは、薄々そう感じていたところはあります。
あのパニック発作を客観的に眺めてみるとそれはまごうことなき「炎症」なのです。
神経が、血液の循環が、緊張が、酸素が、栄養が、ホルモンバランスが、いろいろ四の五のいったところで最終的に出ているその反応は炎症反応である。
その炎症の主たる原因が違うため、ひとそれぞれパニック障害の治療法も変わってくるのだと思います。
僕の場合はどうもホコリあるいはそのホコリに含まれる何らかの物質に原因があったのかもしれません。
一説によるとウツ病や統合失調症さえも「炎症」の可能性があるそうです。
また一般に神経・精神に不具合を持つひとは家が汚れていることが多いというのもあるらしいです。
まあ必ずしも掃除をしないから神経をやられるということでもないのかもしれませんが、体質によっては「汚れに弱い」ひともいるとは思います。
また考えようによっては汚れに強いということはむしろ炎症が強いのだともいえます。
さまざまなバイキンや有害物質に強いということは、それを排除・浄化する機能が強いということでもあり、それはまさに炎症反応です。
清潔ではない空間にいるということは汚れに強い弱いなどという幼稚な問題とは別に「炎症反応を積極的に招いている」ということには間違いがありません。
その炎症が長期間続けば神経が疲弊して自律神経失調様のさまざまな不具合を起こすことは普通に考えられるストーリーです。
ふしぎなもので、徹底的に掃除をするようになるとむしろ汚れに対して鷹揚になってくることもわかりました。
どういうわけか、それほど汚れが気にならなくなってくるのです。
いわゆる潔癖症という汚れを排除することに脅迫的な心境というのもまた炎症反応なのかもしれません。炎症反応があるがゆえに、汚れを必要以上に忌避するのかもしれないです。
これでもかワレ、もう誰にも文句言わせんぞ張り倒すぞ、ぐらいに徹底的に掃除をしたらもう多少の汚れにはべつに反応しなくなってきました。
ニワトリが先かタマゴが先か、この件だけでいえば「炎症が先」なのだと思いました。
汚れがわるい、汚れているから悪いというよりも、炎症があることで神経が興奮し、さまざまな刺激に対して必要以上に反応してしまう、ということがあるのだと思います。
そういえばすべての心の病は「過剰反応」だといえますね。
本来それほど反応しなくても問題はないはずの事柄にさえ、必要以上に反応をしてしまう。
その原因を性格や考え方などに求めることは多いですが、案外単純に肉体的な炎症反応ということだってあるのかもしれないなと思います。
もしそうだった場合にこそ「なにをしても治らない」「まったく原因がわからない」ということが起こるのではないでしょうか。
どんなひとでもなにかの奴隷であり、なにかの中毒であるといいます。
つまり、こころが囚われてしまっている。
なかなか「ほんとうの原因」を見つけられないのは、そういった人間の心のクセのようなことが関係しているのかもしれないですね。