自分を愛して!―病気と不調があなたに伝える〈からだ〉からのメッセージ
を読んでみました。
と言っても辞書みたいなものだから、読むというよりも「調べる」ために使うものかもしれませんが。
なんの辞書かというと病気の辞書で、「いろんな病気とスピリチュアルな関係」をまとめてくれたものです。
ざっと読んでみてまず思ったのは、
「この本が好きなひとは、風水も好きなんだろうなあ」
ということでした。
というのも、記載事項の論理的な帰結方法が風水のそれとまったく構造が同じだからです。
つまりこれは「仮説集」であって、まったく科学的ではなく、ある種の理論から論理だけをもって結論し、そこで終わっています。
いえ、だから間違っているとか、くだらないとか、そういうことが言いたいのではありません。
病で悩むひとを心理的に救済する機能を持つ本でありその論拠は仮説の域を出ていないので、普遍的な真理を伝えるものではない、ということです。
ぼくは「ダニ・ホコリアレルギー」があるので、この本で調べてみました。
もし、あなたがホコリやダニなどに対するアレルギーを持っているとしたら、あなたは、たぶん、他人から攻撃されたと感じやすい人でしょう。そんな場合は、自分に攻撃性がないかどうかを確かめてみてください。私たちが他者に対して感じる恐れは、ほとんどの場合、自分の中に存在している攻撃性が他者に投影された結果にすぎないのです。
つまり、ぼくの中にある「攻撃性」がその原因かもしれない、と。
なるほど、これは少し思い当たることがあります。
ぼくには結構「潔白主義」みたいなのがあって、曲がったこと、汚いこと、ずるいこと、悪いことが嫌いです。憎しみを持っているとさえいえます。
正々堂々、清廉潔白、質実剛健、そんなのが好き。
「間違ったことを許さぬ」という、ぼくのこの性格があって、これに合わない価値観に対して攻撃性を持っていることが原因だ、ということなのでしょうか。
そう言われれば、そんな気がしないでもないなあ。
あと、甲状腺の機能亢進の傾向があるような気がしているので、そこも調べてみました。
甲状腺の機能が亢進している人の場合、からだからのメッセージはこうです。「あなたは行動しすぎています。本当は、自分を統御して、自分の人生を創造したいのですが、愛する人たちの面倒を見なければならないと思い込んでいるために、それができずにいます。行動に移る前に、充分に時間をかけて、自分自身のニーズを探ってください。
ううむ、「行動しすぎている」かあ。
なるほどなあ。
確かにぼくには「思い立ったら吉日」的に、考える前に動け的に、すぐに行動へ移す傾向はあります。せっかちなところもある。
そこで、逆に甲状腺の機能の低下の場合はどう書かれているだろうか。
甲状腺の機能が低下している人の場合、からだからのメッセージはこうです。「もっともっと行動しましょう。自分が心の奥底で望んでいることを実現させるためには、しっかりとそれを表明し、まわりの人たちにいろいろと要求しなければなりません。
まさに機能亢進の場合と、ちょうど逆のような感じですね。
ほうほう、ふむふむ、なるほどなるほど、なるほどなるほどなるほどなるほどなるほどなるほどなるほどなるほどなるほどなるほど、
じゃ、ねえよ!
「行動をしすぎているから甲状腺の機能亢進が起こった」というが、逆だということは、考えられないのだろうか。
「甲状腺の機能亢進があるから、行動しすぎる傾向があり、せっかちになる」とは言えないのか。
機能低下についても「甲状腺の機能が低下しているから、行動量が減る」というの考えられないのだろうか。
その観点からほかの要素も見直すと、結局は「逆もまた真なり」ということがほとんどなのですね。
その症状があるから、そのようなスピリチュアルになった。
いえべつに、ぼくは現代医学至上主義ではないですし、むしろそれを疑っているところさえあります。
だからこの説について、医学的に論外であるということが言いたいわけではなく、「根本的に論理が破綻してはいないか」ということが言いたいのです。
まず「こころとからだ、どちらが先か?」という不透明な命題について、この本が取る立場は「こころが先」としているようです。
この立場の是非を証明できていないから(そもそも証明できないし)、かなりフワフワした地面に立っている説です。
しつこいですが、だからこれは間違っている、ということが言いたいわけではありません。
しかしもうひとつ、どうしても気にかかるところがあります。
だいたいの人が、そうなんじゃないの。
たとえばアレルギーについて、
アレルギーにかかりやすい人は、常に内面の葛藤にさらされているのです。自分の一部はあるものを愛しており、別の一部がそれを自分に禁じているのです。人に対しても、同じ接し方をすると言えるでしょう。たとえば、ある人を愛し、その人に依存します。しかし、自分の一部はその人と一緒にいることを望むのですが、別の一部はその人がいない方がいいと考えます。
逆に、
常に内面の葛藤にさらされていないヤツなんか、ほとんどいねえよ
もしいたとしたら、そいつ徹底的なバカ、いや、もはや、人間ではないんじゃないのかな。
強烈な葛藤を抱えていても、べつにアレルギーじゃない人もいっぱいいると思う。
この方式は、なんていうか、占いでいうところの「バーナム効果」を狙ってるんじゃないかなあ。
だって、人間で心理的な葛藤や悩み、過剰や不足を抱えているひとなんか、ほとんどいないだろうから。
そういった人間的な心理的な悩みや、過去のトラウマ的なものを病気と組み合わせてしまえば、どのようにでも書けてしまうんじゃないか。
腰は人体の要であり、知性である上半身と、生命力である下半身をつなぐ重要な箇所であり、エネルギーの中枢とも考えられています。
ここに痛みなどの不具合がある場合は、精神と肉体とのアンバランスがあるのかもしれません。
また、疲労によって生命エネルギーが低下している可能性も考えられます。
精神と肉体のアンバランスは「怒り」によって起きます。
腰痛に悩む人の多くが、人間関係や家族関係などに葛藤を抱え、怒りを抱えています。
腰痛に悩む人は怒りを手放し、しっかり休養をして生命力を高めていく必要があるというメッセージを忘れないでください。
・・・これは「ぼくが勝手に書いた」ものです。本には載っていません。
でもなんか「なるほどなあ」と思ってしまいそうなんだよなあ。
なぜならば、「人間関係か家族関係などに葛藤を抱えていない」人なんかいないし、「怒りを抱えていない人」も、ほとんどいないから。
「疲れていない」ひとも、ほとんどいないでしょう。
このうちの、どれかには当てはまることは多い。
これを読んで「そうか!俺の腰痛は、怒りが原因だったんだ!疲れてたんだ!」とか思ってしまったら・・・
思ってしまったら・・・なんちゅうかそのう・・・・、いいにくいんだけどそのう・・・・、いわゆるひとつの・・・。
アホおめでたい人・・・・・・・・だわなあ。
「原因がわからない」っていうのは、不安の最も大きな原因のひとつです。
だから心身の不調で悩んでいる人に対して「あなたのこころの、ここに問題があるんですよ」と、原因を暫定的にでも特定してあげることは、決して悪いことだとは思いません。
それはそれで、その人の不安を緩和してあげていることになるから、すくなくとも悪行ではないし、むしろ善行だと思います。
しかし、この方式では不安を決定的・恒久的に解消することはできない。
だって、バレてしまうから。
「なんだよ。よく考えてみりゃあ、葛藤とか悩みとかが無いやつなんて、いるわけがねえじゃん」
そうしたら、この「魔術」は一発で解けてしまうのです。
「からだ」と「こころ」には不可分の関係性があって、「こころ」が原因になっている病は想像以上の多いというのは確かだろうと思います。
こころを平静に保ち、過度な執着でこころを固めてしまわないように工夫することは重要だと思います。
だからこそ、不用意にスピリチュアルな言説を鵜呑みするのは危険性もあるだろうなと思うのです。
経験上、説得力がある言説は、うそか危険をはらんでいます。
説得力のない、だれでも聞いたことがある、当然至極、あたりまえの中にこそ、根本的な解決策があることが多いです。
なかでも、つい忘れがちで、しかし非常に重大なことに、以下があります。
笑う門には福来たる
四の五のいうとらんと、笑え。
いますぐ、笑え。
この本を100回読むよりも、1回爆笑をするほうが、根本的な解決に近づくでしょう。
最近のおすすめは「シルバー川柳」ですね。
この本を母にプレゼントしたら、「ションベンをチビるほど」転げ回って爆笑していました。
母は自律神経の不調で悩んでいたのですが、爆笑したらものすごく体調が良くなったそうです。
個人的には、以下の句で、腹筋が切れそうになるほど笑いましたね。
妖精と
呼ばれた妻が
妖怪に
・・・こんなもん、反則じゃ!
こういうのを読んでしもうたら、もうどんなお笑い番組も、つまらなくなってしまうやろーが!
お笑い芸人殺し、それがシルバー川柳。