なーんかさーあ。
そういえばさーあ。
あれじゃん?
ベッドいらなくね?
って、ふと思ったのでありますよね。
ていうか、なんでおれはベッドで寝ているのかな?
ベッドがなければもっと部屋は広くなるし、掃除もしやすいし、いいよね。
だから布団にすれば……と思ったとき、唐突に声が聞こえたのであります。
「寝袋という手があるぞよ」
うそだよ。
声が聞こえたら、病院いったほうがいいね。
声が聞こえたのは、うそです。
思っただけです。
そうだよなあ。
寝袋、いいかもなあ。
なんか最近、すごく思うことがあるのです。
「NO RULES」
これがこの世の真理である。
そういえば、ルールなんかないんだよなあ。
そう、ルールなんか、ない。ほんとうは。
いや、もちろん法律とかあるんだけれども、でもそれもほんとうは「ない」んだよなあ。
六法全書とかは紙とインクのかたまりで、ルールそのものじゃない。
ルールってじつは「こころ」のなかにあるだけんですよね。
そしてそれを「守ろう」という意図がなければ存在できない。
人の認識という最も曖昧なものに依存している、あやふやで、実体のないもの。
ルールは確かに守るべきものではあるんだけれども、絶対でもなければ隷属するものでもない。
ただの概念である。
ただの概念のようなものに、どうしてこの俺が振り回される必要があるのか。
枕が変わったら眠れないようー、とか。
ベッドの位置が気になるようー、とか。
寝室の気温がー、とか。
寝室の湿度がー、とか。
夏用冬用の掛け布団がー、とか。
布団カバーの素材がー、色がー、とか。
通気性がー、とか。
寝室のアロマはー、とか。
マニフレックスがー、とか。
エアリーマットレスがー、とか。
とかとかとかとか、とかとかとかとか。
カーッ、ペッ!
ああ、もう、うっとうしいぞよ。
その「条件」は、だれが決めたのか。
そのルールは、ほんとうに守るべきことなんか?
ということに思い至った瞬間、何かが「ぽろっ」と頭の中から落ちたのです。
うそだよーん。
頭の中から何かが落ちてきたら、病院いったほうがいいね。
そうではなくて、なんかスッキリしたっていう話(いちいち言わなくてもいいけど)。
いやほんと、冗談はさておき、寝袋でいいんじゃない?
と思って調べてみたら、いるわいるわ、「寝袋の民」。
想像以上にたくさんいるようです。
そして彼らのブログを読んでいると、案外「快適」らしい。
またいろんな面で合理的だというのです。
・場所をとらない
・安い
・温かい
・寝相がわるくても大丈夫
・丸洗いできる
・どこでも寝室になる
・寝付きがよくなったという人の話も
・寝起きがよくなったという人の話も
・体調が良くなったという人の話も
・腰痛がなくなったという人の話も
・キャンプに行っても同じ環境なので寝付きがよい
・災害にあっても慣れているので寝付きがよい
などなど。
ううーむ。
「家では布団やベッドで寝るものである」
「布団、掛け布団、枕は必要最低限の家財である」
このへんの固定観念が、ガラガラガラと音を立てて崩れ去るのでありますなあ。
まあ、音は出ないけどね。
もし音が(以下略)
そうかあ。
寝袋、いいかもなあ。
最近登山を始めようと思っていて、そのうちキャンプとかもマジで考えています。
そんなとき普段から寝袋だったら、寝付きもきっと良いでしょうね。
「モバイル寝室」なんだもの。
ぼくはちょっとだけ「枕が変わると眠れない」みたいな繊細なところがあるんだけれども、そういうのがなくてすむ。
ていうか普段から寝袋で眠っていたらもはや「家と外」の境界さえ、曖昧になってくるよね。
寝室をモバイルするという発想。
○○でないと眠れないとか、うっとうしいんだよなあ。
条件が多いやつって、ほんとうに鬱陶しい。
(病気とかなら、もちろん別ですけどね)
ああでないといかん、こうでないといかん。
じゃかあっしゃあ。
そもそもはそんな条件、なかったんだろう?
もともとなかった後付の条件に、征服されてやんの。
情けなくね?
無条件って、いっちばん自由なんですよね。
それに憧れるから、アウトドアに目が向いたのかな。
ルールを守りながら生きていくなんて、ほんとーに、つまんねんだよなあ。
はっきりいって、それは生きていることにはならん。
この よ の こと は
ほんのちいさな かりのとりきめ に すぎないのですものね。
自由 だ。